第12話 釣った魚には餌が必要
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理事長に呼ばれて入学を許可された三日後、リアムは一人でポートランド市東部の港湾地区を訪れた。
一切記憶のない実父が、この港町で中華料理店を経営しそれは近年では複数の支店を出すほど繁盛しているということは以前から聞き知っていた。
万が一ロチェスバレエアカデミーに合格したら、この父に頭を下げて学費の一部を援助してもらおうとロチェス受験を決めた時からリアムは密かに考えていた。
母は心配したが、リアムは最初から一人で談判するつもりだった。母には事前の連絡だけしてもらえればいい。
バレエを抜きにしても、自分は九月からもう中学生なのだ。この位の交渉ができないようではロチェスでの修業にも耐えられるはずがない。
念のため約束の時間よりも早めに行って場所を確認しておこうと思い、あらかじめ教えられていた住所に近づいたリアムは、足を止めた。
角を曲がった先に、それらしき東洋風を加味した窓の大きな建物があった。
その前に一台の乗用車が停まっていたが、車と店の間に立った東洋人の男性に、十歳くらいのこれも東洋人に見える少年が不満げな声で話しかけていた。
「ねえ、どうしても行けないの? パパはいっつもお店お店で、せっかくの休みの日だから遊びに行くってずっと前から決めてたじゃないかあ」
車中から若々しい女性の声がした。
「お父さんは今日はどうしても外せない大事なご用事ができたの。わがままを言ってはだめよ」
「すまないな、母さんとたくさん写真を撮って、あとで父さんに見せてくれ」
わかったよ、というふくれっ面が目に見えるような声が聴こえた。車のドアが閉まる音、走り去る音が響いた。
角を曲がることもできず、リアムは呆然と立ち尽くしていた。そのまま踵を返し、来た方向へ歩き出した。
夏休みの終盤で人通りの多い街並みをぼんやりとした足取りで歩きながら、リアムは先刻見た光景の意味について考えていた。
リアムが生まれて間もない頃にリアムの父は別の女性を好きになったので別れた、というのが母の説明だった。
その相手の女性というのが車中にいた女性なのかかどうかは分からない。だがリアムは、世の中には血縁上の父親と家庭上の父親というものがあり、大抵の家庭では両者は当然のように一致しているけれども自分の所はそうではないということは認識していた。
だがそれでも、自分には血縁上の父親は存在し、その人はたまたま家庭上の父親の任を果たしていないだけなのだと受け止めていた。
その人が家庭上の父親になる日は永遠に来ないかもしれない。それでもそう考える限り、自分にも父親はいるのだった。だがその考えはこれからは通用しない。他の子供のために父親をやっている以上、リアムの分はもう残っていないのだ。
リアムは足を止め、腕時計を見た。約束の時刻が迫っている。
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