ナポレオンステーキ
森下 敬(siro)
本文
人間に寄せたクローンの発明が発表されてから、クローンに人権がない、牛や豚と同じ扱いであると断定されるまで、そう時間はかからなかった。
道徳的視点からの反対も多かったが、結局、クローンは自我を持った人型の道具として、奴隷同様の扱いを受けた。
その様相はクローン解放主義者曰く、時代は逆行している、とのこと。
しかし、その奴隷化は世界の人間が着々と怠惰になっていくうちに、普通のものとして扱われ始め、ついにはクローン自体もそれを快く受け入れるようになった。
謀反を起こさせないためにも、最初はクローンにはなるべく頭の悪い人間の細胞が使われ、そして細胞を培養し、性交を必要とせずに数を増やしていった。頭の良いクローンはなおも反抗することもあったが、それも時間が経つうちにそれの無駄さを悟ってしまったのか、そうすることも無くなった。
そして、来るべくしてか、遂にその瞬間が訪れることとなる。
クローン食だ。
それも、奴隷の遺伝子を組み換えるなどというジャガイモのような発想から始まり、次第にクローン肉を安全に食べられるようにしてしまった。
クローンも元々、不完全なものだったのか、寿命の訪れが早いのでその方が都合が良い、と世間に言われるようになり、かくして、クローンは働く豚となった。
更にペットとしては偉人や芸能人が再現されたりと、時には色欲、時には食欲を満たしてきた。
こうなると猫や犬を飼おうとでもすれば「なんで飼うの?食べられないじゃん」と言われる始末。
今や外では、とある若者が自分の好みを反映させたクローンを連れ、クローン解放主義者がクローンと駅に居座り、日本語を話すエジソンのクローンが若者と酒を交わし、クローン食反対をSNSで呟く人がクローン肉のハンバーガーを齧り、過度な税金に泣くホームレスがクローンを食えず、共に地面を這いつくばっている。
そんな世界に生まれた私は、とても幸せだと思う。
私の父は一端の家庭用クローン生産会社の社長で、毎日忙しいのだか暇なのだか分からない気の抜けた顔をしながら、クローンに何か言っている。
私は教師代用として作られた家庭用アインシュタインの授業を受けつつ、ライブ授業制の大学に通い、バイトと父の手伝いでお金を稼いでいる。偉人のクローンから作られた家庭用クローンは、ただ頭の良い人、というブランドを保つだけで、実際は顔や体型くらいしか似ていないらしい。
そしてこの春休み、貯めたお金でヨーロッパ旅行に来た。
今、ヨーロッパのとある国にいる。クローン技術の最先端を駆ける国だ。
私はスマートフォンを口のあたりにかざしながら周辺の人に話しかける。
「この近くにS社のカフェはありますか?」
そう言うと、得体の知れない言葉がスマートフォンから流れ出る。よく分からないが、英語というのだそうだ。
相手の口からも得体の知れない言葉が聞こえると、一呼吸置いてスマートフォンが話し出す。
「ここを真っ直ぐ行って、突き当たりを右に行くと大きな看板がありますよ」
「ありがとうございます」
ごにゃごにゃ。
アルファベットは数学で使うこともありなんとなく知っているのだが、単語となるとさっぱり分からない。
さっきの人の言う通りにすると、確かに大きな看板が見え、S社の名前らしき記号が並んでいる。
スマートフォンのカメラで写せば和訳が見られるのだが、面倒なのでやめておいた。
ごにゃごにゃ。
「いらっしゃいませ」
席を案内されて、メニューを渡される。
スマートフォン越しにメニューを見ると、クローン肉、と書かれたものがある。
「これください」
スマートフォンが、ごにゃごにゃ。
店員さんは、クローンだろうか、美しい顔で笑って、また、ごにゃごにゃ。そう繰り返し、厨房の方に戻って、また、ごにゃごにゃ。
私が頼んだのは、ナポレオンのステーキ。
私は純粋にこの前の記憶から頼んだのだけれど、多くのヨーロッパの方や世界各国の世界史を学ぶ学生は、私怨のためにわざわざここに訪れてこれを食べるのだそうだ。
数分してステーキがやってくると、後ろの席に座っていた人がごにゃごにゃ。スマートフォン曰く、ナポレオンステーキをSNSにあげるのだそう。
私も最近、父が取り寄せてくれた、ナポレオンのステーキに感動して、同じようにしたことを覚えている。
ナポレオンのステーキは、ナポレオンの味にこだわり、わざわざ家畜と同じように育てたのだとか。
確かに、この店でしか食べられないナポレオンのステーキはとても美味しい。
「お待たせしました」
スマートフォン越しに、店員のお姉さんの声が聞こえる。
さっきの美しい人とは違う、普通の人。私の方を向くと掌を見せ、親指を曲げ、そして他の指も閉じた。
異国の文化だろうか。
フォークを刺して、ナイフを入れる。肉の筋がスッと切れていく感覚がして、いい匂いが広がる。
一つ、口に入れる。
瞬間、肉のうまみが口中に広がった。
でも、何かがおかしい。この肉、以前父が取り寄せた冷凍のそれより美味しくない。食感は固めだし、味は脂っぽい。
私は舌にはある程度の自身がある。
味も豚や牛のそれとは違う、クローン肉のそれだ。だけれど……。
まぁ、いっか。
美味しかったら、なんでもいいのよ。
だから、美味しいものを沢山食べられる、この時代に生まれた私はやっぱり幸せだ。
ナポレオンステーキ 森下 敬(siro) @siro021428
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます