第3話 お別れ

 ふらふらした足取りで歩く秦野に気を配りながら、俺ら2人は日付が変わってしまった深夜の街中を歩いていた。飲み会帰りの人達でまだ賑わいが残っている。

 千堂は酔いが回り過ぎた秦野を俺に押しつけ、さっさとタクシーを拾って帰っていきやがった。

 あのくそ上司が。自分の都合だけ考えて動きやがって。うお⁉

 秦野が急に寄りかかって来やがった。酒臭い荒い息が俺の頬をなでる。そしていきなり俺のスーツの胸内ポケットに強引に手を突っ込んできた。

 なっ、何してんだこいつ⁉ はっ! まっまさかこいつ、男もイケる奴だったのか⁉ 

 秦野のイケメンフェイスが俺の顔のすぐそばにある。

 い、いかん‼ 貞操の危機‼

 バクバク鼓動を打つ俺の心臓。と急にふっと秦野は俺から離れた。手にはライターが握られている。そしていつの間にか口に加えていたタバコに火を付けた。

 はあ……、なるほど、そいうことか……って、べ、別に何にも期待なんてしてないっ! ……俺は誰に弁明をしてんだ……。って秦野あいつ⁉

 秦野は口から煙を吐きながら、まばらな群衆のなかを進んでいく。片手には手持ちタバコ。周りの人との距離に気を配らずふらふらしていやがる。

 俺は慌てて秦野に駆け寄る。


「おい秦野! まだここは人が多いからタバコは消しとけ。当たったら危ねえだろ」


 すると秦野は酔いが回ったうつろな目を俺に向ける。


「なんすか先輩、そんな子供みたいなへましませんから。……、放せよ」


 苛立った声で秦野は、俺が握っている側の手を強引に振りほどいた。さすがにガマンの限界だった。


「おい秦野! いいかげんにしやがれ! 最近お前は調子に乗り過ぎだ!」

「なんすか先輩、説教すか。そんな暇あったら俺より業績上げろよ」

「お前な! 得意げになってんじゃねえ! 客の気持ちに付け込んで高額な保険プランばっか売りつけやがって! そんなこと俺は教えてねえぞ!」

「やり方はもう俺の勝手だ! この仕事は売り上げが全てだ! あんたみたいな客重視の呑気な営業は間違ってんだよ!」

「売上のためなら何でもやって良い、ってわけじゃねぇ!」


 お互い、どちらもカッとなったのがいけなかった。


「はっ! じゃあ捨てりゃあいいんだろ!」


 秦野が手持ちタバコを後ろへ掘り投げたのだ。周りを見ずに。俺は焦った。

 

 ば、バカお前そこには!!


 でも遅かった。ブワッと何かに燃え移る音と同時に、パチンコ店の軒先、秦野のすぐ後ろにあった、のぼり旗が瞬く間に火に包まれる。

 湧き上がる周りの悲鳴。そして秦野の悲鳴。まるでヘビが這うかのように秦野のスーツに真っ赤な火が広がっていく。

 奇声を発しながら駆けだす秦野を慌てて追いかける。

 秦野のスーツにまとわりつく火に躊躇せず手を伸ばし、肩を強引に掴んだ。地面に転がる秦野。俺は脱いだ上着を鞭のように秦野の体に何度も叩きつける。そして、火は無事に消す事が出来た。


「秦野!! 大丈夫かっ!?」


 放心状態の秦野を見やる。


「せ、先輩……」

「すまん、俺のせいで……」

「あっ、い、いや。お、俺が……」

「ふむっ、大きい火傷とかはなさそうだな」 


 火がそんなに燃え広がらなかったのが幸いした。


「ははっ、大事にならなくて良かった」


 俺は安心して笑みをこぼした。すると、秦野は申し訳ない顔つきで、俺を見上げる。あははっ、そんな顔するなよ。

 なんだか懐かしい顔を見た気がした。俺が秦野の研修をしていたとき、よく見ていた純真で、素直な反省の表情。


 ……、またやり直したら良いだけだよな。秦野も、俺も。

 

「立てるか?」

 

 秦野に手を差し出した。


「あっ、は、はい」


 秦野が俺の手を、力を込めて握る。俺はそのまま引っ張り起こした。


「……、なあ秦野」

「は、はい」

「お客の、ほんとの笑顔のためにさ、また頑張りなおさないか」


 これが俺の本心だった。すると秦野は、


「先輩……、……っ!? せ、先輩ッー!!」


 な、なんだ!? 急に大声だして、あっ!


 秦野の突然の大声、そして片側の視線に眩しい光が迫っていた。1台の車が俺らに突っ込もうとしていた。そして気づいた、俺らは車道にいたということに!!


 このままじゃ2人とも車に引かれる。


 そう思ったら俺の体が勝手に動いた。秦野の手を強引に引っ張り、ハンマー投げよろしく、渾身の力でぶん投げた。

 

 バランスを崩し、勢いよく、そして運良く、歩道側に転がる秦野。


 そして、眩しい光が俺の全身を包んだ。


 その瞬間、体を貫く様な激痛が襲った。


 急に周りの景色がスローになる。ふわっと体が軽くなったような浮遊感に酔いしれながら、視線が秦野をとらえた。

 この世の物とは思えないものに出会ってしまったかのような、絶望と悲痛な面持ち。

 ははっ、ばかやろう、お前にそんな面は似合わねえっての。

 ……、お前が笑ってる顔、最後に見たかったな。

 視界の端から漆黒に包まれていく。全身には力が入らない。


 俺はもう……。


 ロウソクの火を吹き消すように、俺の意識は途切れた。

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