幕間 [婚活 返信 きもくない]
◆三月二十七日 桜庭マジメ
「ふぁ~……あ゛」
一つ論文を読み終えた所で時計を確認すると、時刻はすでに25時を回っていた。
面白い論文があるとつい寝る時間を削ってしまう事は、ベル先生にも注意されたばかりだ。
俺の指導教員のベル先生……ベル・フローラ教授は俺たち院生に対しても優しいどころじゃない世話焼き気質で、よくツクモ大の女神と呼ばれている。
明日も午前中から研究室に行く予定だったので、寝不足の顔をしていたらまた心配されてしまうだろう。
パソコンの電源を落として机の上を軽く片付けると、シャワーは明日の朝浴びる事にしてベッドに寝転がった。
最後にスマホの通知を確認しようとして、見慣れないアイコンがある事に気づく。
「なんだっけ〜、これ。IRKの専用アプリうんぬん……?」
最近、心配性の母さんが陶芸教室か何かの伝手で結婚相談所を運営している人に知り合ったそうだ。
なんでも、異類婚を専門にしているとかで、ここだったら俺も結婚相手を見つけられるかも、と思った母さんが半ば勝手に申し込んでしまった。
確かに俺は異種族文化を専攻してるし異類婚に関する研究にも、少しは関わっているけれど……自分自身が結婚するビジョンなんて全然浮かんでこない。
この間、初回面談で話をした小井野さんは優しそうだし、あまりやる気のない俺にも熱心に婚活を勧めてくれたけど、そんな気持ちで本気で結婚したい人達に混ざるのも気が引ける。
そもそも、現役学生割とかで通常の会費よりかなり安いとはいえ、母さんは申し込むだけ申し込んで支払いはちゃっかり俺だし。……母さんがそのまま会費まで世話するのもおかしな事になるとは思うけど、金銭的な負担もゼロではない。
正直に言って早めに退会したい、というのが本音だ。
「……え!?」
そんな事を思いながら通知の内容を確認していたが、俺は驚きのあまりスマホを取り落としてしまう。
画面に映し出されたのは、しばらく伸び放題だった髪を整えるきっかけになった、紅い角を持つ竜人の女性だった。
美しいブロンドに、べっこう飴を溶かしたような瞳は、あの日出会った彼女で間違いない。
彼女からお見合いの申し込みと共に、一件のメッセージが届いていた。
『桜庭さん、こんばんは。
アリシア・ドラゴニアと申します。
三月二十一日に、南辻の噴水公園前でお会いしたのですが、覚えていらっしゃいますでしょうか?
あの時はご迷惑をお掛けして、本当に申し訳ありませんでした。
あれから、髪の状態は如何でしょうか。
もしトリートメントなどご入用でしたらお声がけくださいね。
実は、あの日に名乗りもせずお別れしてしまったのを、今までずっと後悔していました。
しかし、貴方もIRKに入会している事を知り、いてもたってもいられず、お見合い申請をさせていただきました。
もしよろしければ、ぜひもう一度お会いしたいです。
よろしくお願いいたします。』
自分宛にこんなメッセージが来ているなんて、夢じゃないかと疑った。
「いてもたってもいられず」、「ぜひもう一度」……そんな言葉の羅列が、どんどんと自分の顔を熱くしているのがわかる。
何故なら自分も後悔していたからだ。
あの時、ベル先生に電話で呼び出されて、慌てて彼女を放って走ってしまったのを。
とても短い間だったし、髪の毛も少し燃やされてしまったけど。
大学までの道を一緒に歩いた時間が、俺は楽しかったのだ。
今まで女性経験なんて全くなくて、好きな事の話になると止まらなくなってしまう俺だけど、彼女は笑顔で俺の話にも耳を傾けてくれた。
そして研究職という狭い門を目指して生活の全てを賭けている事を、彼女が褒めてくれたのが嬉しかった。
お世辞かもしれないけど、なんとなく彼女はそんな事を言わないような気がした。
息をするように他人を気遣える人だったから。
「あ、これ返信しなきゃいけないやつ〜、だよね」
メッセージの送信時間を見ると、昨日の19時となっていた。
もう6時間も経っている。
「……やばい。引かれたかな」
メールなどの返信は気づいたらすぐ、遅くとも24時間以内がベストだ。
今からではまったく遅すぎるというという訳でもないだろうが、慣れない事をする時は時間を多めに見た方が良い。
慌てて俺はベッドを飛び出すと、パソコンの電源をつける。
パッとモニターが明るくなって、起動と同時に立ち上がったホームページの検索ボックスに、[婚活 返信 きもくない]と入力する。
「う~~んだめだ、中途半端に顔見知りな人とのやり取りとか、例文なんてないよなぁ……」
そもそも、家族と友人(同性)とベル先生以外とメッセージのやり取りをするなんていつぶりだろう。
高校に入学した直後、クラス全員とメアド交換する女子がいて、「よろしくね!」「よろしく」の一文を送り合った時ぶりだと思う。
これがほぼ十年前という事に気づいてしまって震える。
母さんの心配も、もっともかもしれなかった。
何回か書き直すが、どれもあの人に送っていいようなものでないのは確かだ。
「まてまて~焦るな、おれ……例文はないけど、ちゃんと要点を読み取ればそれらしい返信になるはず」
とりあえず、一番上に出てきたサイトから順に見ていくが、ただでさえ薄い内容が過剰な広告で引き伸ばされ、中々読みづらい。
いくつかのサイトを巡ると、段々とどのサイトでも必ず書かれている共通項のようなものが見えてくる。
「まず、文は簡潔に。相手のメッセをよく見て、自分との共通点を積極的に挙げる。それから質問をして次の会話を繋げる事……」
俺は要点をまとめたメモを見ながら、返信文……いや、原稿を書き上げていく。
その背の後ろで、時計がチクタクと時を刻むのを無視しながら。
――――――――――
「で、できた~!」
いつの間にか空は明るくなり始めていた。
しかしやっと納得できる原稿が完成し、誤字脱字がないか改めて確認する。
『アリシア・ドラゴニアさん
お久しぶりです。
あの日の事、よく覚えております。
髪は美容室で整えてもらい、以前よりもさっぱりとしたくらいですから、心配なさらないでください。
私も、あの時貴女のお名前を聞かずに去ってしまった事を後悔していました。
こうして貴女からメッセージをいただけるなんて、夢のようです。
こちらこそ、ぜひもう一度お会いしたいです。
ところで、プロフィールにカメラが趣味と書かれていますが、ドラゴニアさんはアウトドア派ですか?
私も写真を撮るのが好きで、よく公園を散歩しています。』
文は出来るだけ簡潔に、質問を入れ……理想的な成分を詰め込んだ原稿だ。
スケジュール調整はメッセージ本文でやらなくても、別で調整用の機能があるのでわざわざ書かなくても大丈夫だ。
強いて言えば一人称を「俺」にするか迷ったが、なんとなく頭が良さそうに見えるという理由で「私」を採用した。
(いや、最後の質問唐突かな? あと「夢のよう」ってキモくない? 大丈夫かな……)
徹夜明けの思考は危険という事を熟知していたからこそ、俺は慎重にチェックを重ねる。
音読し、指さしし、間違いもおかしい所はないように見える。
ならば、後は送信するだけだ。
ピリリリリリ ピリリリリリ
「うわぁ⁉」
メッセージを送ろうとしたその瞬間、けたたましいアラーム音が耳を劈いた。
いつの間にか、いつも起きる時間になっていたようだ。
スマホをまた取りこぼして、俺は小さくため息をつく。
「壊れてないかな……」
俺はひっくり返ってしまったスマホを、椅子に座ったまま背を屈めて掬い取る。
ほこりを軽く払って、そのスクリーンを見た時……俺は固まった。
メッセージが送信済みになっていた事__これはまだ予想がついていた。
しかし、その文量が明らかに多かった。
「ちょっっっっとまって」
その失敗を犯してから、俺はその原因にすぐに思い当たった。
「下書き消してなかった~…………」
俺はいつも文章を書いてる最中、纏まった段落が書き直しになると、書き直しの部分は消さないまま上に書き始め、書き終わった後に書き直し部分を削除する。
その方が何かと参照しやすいし、間違いでも後から発見のヒントになったりもするからだ。
……だが、今回はこれが裏目に出た。
『アリシア・ドラゴニア様
お久しぶりでございます。
あの日を、なぜ私が忘れる事が出来ましょう。
貴女との出会いはまさに運命のようで……』
こんな冗長な第一稿も、
『あの日お話できたのちょっとだけでしたが、めっちゃ楽しかったです。
俺も会いたいと思っていました。
いつでも時間空けます!』
軽すぎる第二稿も、
『ところで、私はまだ大学院生の身分ですが、真剣に交際についても考えたいと思っております。
アリシアさんは如何お考えでしょうか?』
問題すぎる第三稿も全て送信されていた。
いくら探しても送信取り消しボタンは見当たらない。
「小井野さんんん……!」
自分のミスではあったが、開発者でもあるという小井野さんに恨みを向けずにいられなかった。
第二稿までだったら、まだ間違えましたで通せたかもしれない。
第三稿はもはや論外だ。
推敲したはずなのにむしろ悪化していってるのは気のせいだろうか、いや気のせいではない。
恐らく、一番意識が危うい時間帯だった。
俺は取り返しのつかないミスに、汗が一気に引く感覚があり、次に頭を掻きむしりたくなる衝動に襲われた。
拳を強く握り、爪が皮膚に食い込む痛みでようやく、少し冷静になれた気がした。
(あの人が婚活してるって知ったら、なんか、嫌だったんだよ……)
あの日に出会ったとき、彼女は俺が手を出してはいけない類の人だと思っていた。
美人で、輝いてて、歩くだけで人目を引く。
それに性格も最高で、すごく格好いい時もあれば、可愛らしい一面もある。
俺なんかと釣り合う訳がない。
だから、一日限りのいい思い出だと、今まではそう思っていたのに。
変わらず、結婚なんて俺に縁のないものだと思っていたのに。
(こんな偶然で、また見つけてもらえた)
その事が、俺に希望を持たせてしまったのだ。
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