「春」の段 6 最後の一ページ

 あの後いそいそと広場を後にしたものの、私はヒールが折れてしまったために歩けず、替えの靴を彼に買ってきてもらう事となった。

 初対面であるというのに、彼には情けない真似を見せるどころか、迷惑をかけすぎている。

 今までの人生を振り返っても、ここまでの醜態をさらすのは初めてだった。

 道端のベンチで彼を待っている間も、気を抜くとため息がもれてしまう。


「お待たせしました~」


 声をかけた方を見ると、シューボックスを持った彼が手を振っている。

 とんでもない迷惑をかけてしまった相手であるのに、彼の人好きのする笑顔を見ると少し気が抜けた。


「ご迷惑をおかけしたのはこちらなのに……靴まですみません」

「大丈夫ですって~。それにあのまま歩けないお姉さんを放っておく事なんて出来ませんし~」


 彼の声音からは、微塵も迷惑がっている事なんて感じられなくて。彼は本当にそう思っているのだろう。

 私の横に腰掛けると、手際よくシューボックスを開封する。

 安い物でいいと伝えたが、彼が買ってきたパンプスは作りがしっかりしており、今の私の服装ともマッチしていた。


「こんなので良かったですかね~?」

「大丈夫です。本当になんとお礼を言ったらいいか……」

「いいえ~」


 さっそく履いてみても、非の打ちどころなくぴったりである。


「あ、お代……あと、美容室代は受け取っていただきますから!」


 これだけはと思い、私は予め用意していた、お金の入った封筒を彼に渡す。

 しばらく渋っていた彼だったが、攻防の末にやっと受け取ってもらった。


 封筒を手にする彼は笑顔を崩さなかったが、二人の間にしばしの静寂が訪れる。


「……じゃあ、お姉さんともここでお別れですかね~」

「そうですね……」


 色々な事が一度に起こりすぎてしまったけれど、所詮は偶然出会った他人に過ぎないのだ。

 何だか少し寂しいような気がして、私の勘違いでなければ、彼も同じように思っているように見えた。


「お姉さんは元々どこに行くつもりだったんです?」

「私は……あっ時間が!」


 腕時計を確認すると、約束の13時が後20分程まで迫ってきていた。

 歩く時間や身だしなみを整える時間を考えるとあまり余裕はない。

 そうして私の必需品である地図を取り出すと……先程の消火の為に大部分が焦げてしまっていたのだった。


「すみません、私急がないと! 広場から西に移動したんだから……こっちの道を行けば津雲辻大学につきますよね?」


 私は脳内の地図を回して最適解を導き出すと、念のためここ周辺の地理に詳しそうな様子であった彼に確認を取る。

 しかし、彼は気まずそうに頬を掻く。


「え~っと、大学は反対方向ですね」

「…………」

「おれ、ツクモ大の院生ですし。案内しましょうか?」

「……お願いいたします」


 また失態を重ねてしまった私は、年甲斐もなく赤くなった顔を隠す。

 穴があったら入りたいとはまさにこの事だろう。

 だが、このまま別れる事にならなくて良かったと思う自分がいたのだった。


――――――――――――

◇四月二日


「ひゃ~! なんですか、それ! 映画みたいです……!」


 アリシアは、自分と彼が出会った日の事をモモに語って聞かせていた。

 対するモモの反応は、さながら少女漫画を読む乙女のようである。

 他人の恋話ではあるが、聞いている自分まで火照ってしまい、両手を頬に当てて冷やしている。

 恐らくモモは、これを仕事の一環で聞いているという事を忘れかけているだろう。


「そ、それで! アリシアさんとそのお方は……」

「大学まで、世間話をしながら歩いたのですが……」

「ですが?」


 そこで言葉を切ると、アリシアは再び気まずそうに目を伏せた。

 

「大学に着いた時、名前を伺おうとしたんですけれど、教授から電話があったとかですぐ解散になってしまって」

「じゃあ名前も分からないまま、さよならしちゃったんですか⁉」

「その時は私も用事が控えていたので、うっかり……」


 そのまま関係が続いていれば結婚相談所に世話になる事がないのは明らかだったのだが、モモは目に見えて落胆する。


「でも……話はまだ続きがあるんです」


 「今度こそ!」と持ち直したモモは少し前のめりになりながら、再びアリシアの話に耳を傾けた。


――――――――――――

◆三月二十六日 アリシア・ドラゴニア


 私はIRKエージェントへ面談に訪れていた。

 必需品の地図は、あれ以来クリアファイルに入れるようにして、突然の炎にもある程度は耐えられるようにしている。

 今日も欠かさずに握っていたが、いつの間にか手に力が入っていたようで皺が寄っていた。

 少し前なら、新たな出会いに対する期待と不安を織り交ぜた、でも面談について前向きな感情を持って臨む事が出来たはずだ。

 しかし今の私の足取りは重い。

 道行く人にはどんどん追い越されていった。


 ところで、IRKはどちらかと言うと、所長である小井野さん自らのコンサルティングに重きをおいた結婚相談所である。

 私は……あまり家族以外の竜人にいい思い出がないので、特に忌避感もなくIRKに入会したが、異類婚がメジャーではないのは事実だ。

 それ故、IRKの会員数は他と比べて多いとは言えず、小井野さんも出会いの量より質を重視しているのだろう。

 通常のサービスだけでなく、必要とあらば自己プロデュースの手助けをしたりお見合いの練習にも付き合ったり、色々な所にを張って会員の為にあちこちを飛び回ったりしているらしい。

 「恋愛の何でも屋」とは本人の談だ。

 今回は私のプロフィールなどから何人か相性の良さそうな人を紹介してくれるとの事だった、が……正直に言って、私は迷っていた。


 先日の彼に、私は恋心を抱いている。

 こんな年で恋なんて、と自分でも思う。

 しかし、どうして歩きながらでも連絡先を聞かなかったのだろうという後悔と、もう一度会いたいという恋慕が日に日に積もってどうしようもないのだ。


 そんな気持ちを抱きながら婚活をするのは、相手に不義理であろう。

 だが小井野さんならばあるいは……という淡い期待を抱いて、遂に辿り着いてしまったIRKの戸を叩く。


「お待ちしておりました。ドラゴニア様」

「こんばんは。小井野さん」


 今日は私の終業後の面談となった為、空が少しずつ暗くなり始めていた。

 遅い時間にも対応してもらえるのはありがたいが、小井野さんの就業時間が心配である。


「それでは、さっそく面談を始めましょうか」

「そうですね……」


 面談室の中でも奥まった一角に案内され、小井野さんが向かいに座る。

 小井野さんは手に持っていたファイルを取り出し、私の前に差し出した。


「前回の面談から、ドラゴニア様の希望条件と合い、かつ相性の良さそうな方を何人かピックアップいたしました」


 ここまでの流れは予想通りだ。

 問題はどう切り出すか。

 しかし小井野さんの労力を無駄にしてしまうのも悪いと考え、一度ファイルに目を通す事にする。


(サラマンダーでIT企業の経営陣なんて、珍しい……こっちは吸血鬼、それにケンタウロスまで。本当に色んな人が登録しているのね)


 勿論、最初はそのつもりで入会したのだが、いざ実際にプロフィールを閲覧すると、自分にはそもそもこの方たちのような本気度が足りなかいのではという気持ちが湧いてくる。

 そして内容についておおよそ目を通し、最後のページを開いて私は目を見開いた。


「ッ小井野さん! この人……!」

「気になる方がいらっしゃいましたか?」


 そう笑む小井野さんは本当に何も知らないのか、だとすればこれは一体どういう偶然なのか。


 最後の一ページには、あの日出会った彼がいたのだった。

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