「春」の段 1 異類婚専門相談所

 ここはまじわりの街、津雲辻つくもつじ

 鉄道の結び目であり、島々を繋ぐ港であり、異界との境でもある。

 それでも港を中心に広がる街並みは、雑多なようで奇妙なバランスを保っていた。

 一見して、2020年代の日本とそう変わらないように見えるが、決定的に違う点が一つある。


 この街の住民はヒトのみにあらず。

 あらゆる「知的生命体」がこの街を闊歩し、又、定住している。

 津雲辻は物、金の交易地であり、ヒトとの交わる場所でもあるのだ。

 否、ヒトですら、この街に存在する知的生命体群の内の一種に過ぎない。


 一体いつからこうであったのか、知る者はいない。

 しかしそれでもこの街は交わりとともに発展し、今に至る。


 ――――――――――――

◇四月二日


 この街の名を冠し、大陸でも有数の規模を誇る「津雲辻駅」から徒歩十五分。

 絶妙な立地の雑居ビルに、IRKエージェントは門を構えていた。

 時刻は午前10時。津雲辻の中でも比較的落ち着いた雰囲気のブロックに、ある新卒社会人の叫びが響き渡る。


「これ全部覚えるんですかぁ!!?」


 どちらかと言うと渋い、アンティークの家具で纏められたオフィスで、若い女が立ち尽くしている。

 彼女は昨日、ここIRKエージェントに新卒入社した渡会わたらいモモ。

 少々向こう見ず・短絡的・考えなしの彼女でも、このように特殊な形で雇用されたのだから、その道は平坦で易しいものではないだろう、との覚悟はしていた。

 また、ここで実力をつける事で、今までお祈りメールを送ってきた企業に対して(間接的)復讐をしてやろうという密かな決意もしてあった。

 しかし、彼女をスカウトしたスライム__小井野こいのが彼女に求めるものは、その覚悟と決意を上回っていたのだ。


 彼女の面前にあるのは大量のファイル、そして小井野が選定した参考書がおよそ100冊。

 モモのスペースとして増設された事務机に積まれたそれらの天辺は、ヒトの女性の平均程度である彼女の背を軽く抜いている。

 小井野がわざと高く積んだのではなく、机の面積をフルに使ってその有様である。


「渡会君は未経験からのスタートですから。我が社の業務内容をはじめ、婚活コンサルタントとしての私の知識の全てを資料にまとめました。書籍は各種族の文化や特徴がまとめられた学術書が多いですね。どれも必要な知識です」

「……これ、読むだけで100年かかりそうですが⁉︎」

「特に重要な事項は赤いファイルにまとめてありますから、とりあえずそれだけは一ヶ月を目標に頭に入れてください」


 そう軽く言ってのける小井野は、無論この量の(実際にはもっと大量の)知識を備えているのだろう。

 呆然とするモモを横目に、彼はこの部屋の調度品の中でも一目で良いものと分かる革張りの椅子に腰掛け、優雅に紅茶を嗜んでいる。

 一方のモモはの天辺に赤いファイルを発見するも、それが国語辞典と同等の厚さを持っている事にも気づき、また気が遠くなった。

 しかし出会いからたったの10分で雇用が決まったのだ。小井野は優しく誠実そうだがいつクビを切られるかもわからない。

 モモは「やれるだけやってやる」との決意を固め直す。


「というか、各種族って……ここ、ヒト専門じゃないんですか? 雇用された後にする質問じゃないと思いますケド」


 彼女は昨日の出会いの後、近くにあったカフェで小井野と契約書の類を交わした……だけで小井野が言うままに解散した。

 騙される可能性など微塵も考えていないが故の行動である。

 勿論、小井野にモモを騙すつもりは毛頭ないのだが。ちなみにすぐ解散となったのは、小井野が取引先に向かう途中であったためである。

 結果として、そこが結婚相談所である、という知識しか持たない新入社員が誕生したのだった。

 この事を考えると、彼女の前に積まれた塔の高さは仕方がないとしか言えない。

 そんな彼女からの、小井野からすれば今更としか言いようのない質問にも、彼は真摯に応える。


「言っていませんでしたね。ここ、IRKエージェントは異類婚専門の結婚相談所なのですよ」

「…………え?」


 向う見ず・短絡的・考えなしではあるが、それでも人一倍の優しさと明るさを持つ彼女の目に、はっきりと困惑の色が浮かんだ。


 ここで一度、津雲辻における結婚について説明しておこう。

 この街には多種多様な種族が存在し、生活エリアや学校、職場などあらゆる場面において、種族によって区別される事はほとんどない。(一部の巨大すぎる体を持つ者たち、逆に小さすぎる者たちにのみ、公的な専用施設と居住エリアが用意されている)

 そして法的な結婚においても種族による区別はなされず、違う種族同士のカップルでも婚姻届を提出する事が出来る。


 しかし現在、違う種族同士の結婚__異類婚をしたカップルの数は全体の1割に留まる。

 それは一重に、種族間の価値観の違いが原因だった。

 ここ、津雲辻はあらゆる種族が交わる街であるが、他の地域はそうではない。

 この街の外では、それぞれの種族はそれぞれだけのコミュニティを築いており、同じ種族同士での結婚が当然とされているのだ。

 それだけでなく、元々種族間の特徴や習俗は分類が不可能なほど多様であり、自らの常識が通じない異種族との間に心理的ハードルを持つ者は少なくない。


 それ故、この街に存在する結婚相談所のほとんどは、いずれかの種族のみを対象として会員を募集する。

 どちらかというと、広大で様々な種族が入り混じるこの街で、自分と同じ種族の者を見つける、という機能が相談所のメインの役割なのである。

 ではそんな状態で、何故津雲辻では大きな争いが起きる事もなく、多種族が共存できているかというと……これ以上はまた別の機会に説明しよう。

 

 さて、モモは自分がヒトである事、小井野が人型形態にもなれるスライムである事から、IRKエージェントをヒト専門相談所と予想していたのだが……。


「ふむ、分かりやすくて良い名前だと思っていたのですが。IRKとは、〈I=異R=類るいK=婚こん〉の略称なのですよ」

「あ」


 自分がここまで頭の回らない……とは流石に思っていなかった、と後の彼女は語る。

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