異類婚ならおまかせ!
古池ねこ
四月:竜人と研究者、遅咲きの初恋
プロローグ
◆四月一日 ??
「……エターナル・ラブ・フォーエバー結婚相談所は本日をもって無期限休業、並びに全従業員を解雇し……え、解雇? 私、クビ?」
でかでかと存在感を放っていたピンク色の看板は配線の跡だけ残され、ご成婚カップル♡とこれまたピンクの♡でデコレーションがなされた写真が飾られていた窓はビニールシートで塞がれている。
エターナル・ラブ・フォーエバー結婚相談所__私が新卒として入社し、本日初出社となるはずだった事務所には、私が予想だにしなかった張り紙がされていた。
……いや、怪しいとは思っていたのだ。
婚活コンサルタントという如何にも人生経験が物を言いそうな職種であるのに未経験新卒募集してたし、三回の面接で社長(面接官)がどんどんやつれていってたし、社長以外の社員もどんどん数を減らしてたし、ネットの評価最悪だったし。
そんな怪しさ満点の会社に就職しようと思った私もバカだ、大バカだ。
はっきり言って自業自得だが、それでも言い訳したい。
元々志望していた企業からはお祈りメールの嵐、不注意で階段を滑り落ちて骨折、溺愛していた
突っ込み所満載の面接を経て内定をもらってから、本当にこの会社で大丈夫かと考える事は数度あった。
しかし、就活地獄に戻りたくないという私の怠惰と、なんだかんだ大丈夫っしょ☆という私の楽観がその考えに蓋をしたのだ。
「いやいやいやちょっと待って、私本当にクビ? ドッキリで実は普通に営業中だったりして……」
現実は非常だ。
何時まで待とうと、「ドッキリ大成功」の札を持った社長は現れない。
しかしそうなるとまずい。私はこれが最後の長期休暇と考え、七泊八日の温泉旅行を敢行したばかりだ。
勿論、貯金などない。払われる事はなくなったが、面接の段階では新卒初任給として平均よりかなり上の額を提示されていたのだ。
それを問題なく受け取れると信じ込んでいた自分はやはりバカなんだろう。
もはや馬と鹿に失礼なレベルなので漢字は使わない。
私は一縷の望みをかけてドアノブに手をかけるが、いくら開けようとしてもガチャガチャと音が鳴るばかり。
それでも諦めきれず、ドアにタックルしてみたり、逆に引いてみたり、あるいは事務所が忍者屋敷になっている可能性を考えて回転扉になっている箇所を探してみたりした。
べた、べたとスーツを着た女が壁に張り付く様はさぞ滑稽だろう。
道行く人々の視線が背中に刺さった。
「もし、そこの方。その結婚相談所は昨日退去したようですよ」
優し気な男性の声だった。
壁に頬ずりしていた私は、声のかかった反対側に顔を向ける。
するとそこにいたのは、私のピンチを救ってくれる王子様……ではなく。
ツヤツヤでフヨフヨな水色のスライムだった。
「……ご親切にどうもありがとうございます」
他人から冷静に指摘され、我を取り戻した私はそっと壁から離れた。
しかし激情が落ち着くと、今度は「本当にお先真っ暗なんだな」という実感が湧いてきて、目頭が熱くなる。
自分の人を見る目、会社を見る目がなかっただけだというのに、そんなの全て棚に上げて泣きわめきたくなる。
「心中お察しします。貴女の服装と状況を見るに、この春から勤める予定の方だったのでしょう?」
「うっ、そうです……」
「ああ、泣かないでください」
そういうと、優しいスライムは丸いボディから触手をにゅっと伸ばし、私にハンカチを差し出す。
私は遠慮なく受け取るが、触っただけでワゴンセールでまとめ買いするような安い物でない事が分かった。
最初は真っ白かと思ったが、よく見ると透かしで植物の模様が装飾されている。
ところでスライムは半透明で何も身につけていないようだが、ハンカチはどこから取り出したのだろうか。
そんな事まで気にする余裕はなく、ハンカチを得た私はドアに背を預けてズルズルと座り込み、声をあげて泣き出した。
「うう~~~なんで騙されちゃったのよ私~!」
「きっと良い事もありますよ」
「しかも全然蓄えもないのに……グス」
「それは大変ですね」
スライムの口調は淡々としているが、優しく包み込むような声に何だか安心する。
隣を見ても丸い楕円形の物体があるだけで、スライムには表情が存在しない。
それでもきっと、この瞬間に私を慰めてくれるのは彼だけだった。
「は~……どうしよこれから」
「行くあてがないのですか?」
「そうですよぉ! さよなら正社員の道……バイト、さがそかな……」
「ふむ」
段々と涙も止まってきて、周りを見る余裕も出てきた。
さっき壁に張り付いていた時は私の周りで数人足を止めていた気配があったが、今は私とスライムの二人を気にする人などいない。
嘘。やっぱりちょっとは奇異の目で見られてるかも。
しかし街の喧騒はいつも通りで、事務所が面する大通りを行きかう人々の足音は忙しない。
お先真っ暗な私の横で、この人たちは変わらない日常を送っているのだ。
キラキラと妖精が振りまく鱗粉の擦れる音、ズシンズシンと巨人が大地を揺らし歩く音、シンシンと雪女が天気雪を降らせる音、パカラッパカラとケンタウロスが何やら急ぐ音……。
この街は恨めしいくらいにいつも通り、多様な音で溢れていた。
そして今、タポンと隣から音がする。
いつの間にかスライムは立っていた。
「丁度いいですね。私も新たな仲間が欲しいと思っていた所なのですよ。そして貴女は偶然にも入社予定だった事務所が潰れ、働き口を求めている」
「へ、え?」
三十センチ程だった体高は、今や座りこんだ私を影で覆う程に伸びている。
ツヤツヤでフヨフヨのスライムは、朝方の水面色の髪にインクのような黒い瞳、そしてシルバーのモノクルが特徴的な青年へと早変わりしていた。
どういう原理か服も着ている。
紺色のスーツはどうみても、私のリクルートスーツより遥かに高級品だった。
「私、こういうモノです」
差し出された名刺を、思わず片手でしかも座ったまま受け取る。
名詞はシンプルで、白い紙に必要最低限の文字が黒で印刷されていた。
__この時の私は知らない。この事を根に持たれて社会人マナー講座地獄編で扱かれる事を。
「あいあーるけーエージェント……代表取締役?」
「はい。貴女が入社予定だったここと同じ、結婚相談所ですね。会員の皆様の幸せな結婚、恋愛をサポートするやりがいのある仕事ですよ。勿論、研修体制も充実していますし、働きに応じた給料と地位をお約束します」
捨てる神あれば拾う神あり、という諺を思い出した。
そして感謝した。こんな都合のいい夢が現実である事に。
__この時の私は知らない。このスライムは嘘をつかないが、真実を隠さない訳ではない。
「ほ、本当に本当に私を雇ってくれるんですか!?」
「ええ、本当ですよ。まだ少ししかお話していませんが、ぜひ貴女と共に働きたいと感じました」
先程の言葉を訂正しなければならない。
この人はスライムだったけど……私のピンチを救ってくれる王子様でもあったんだ!
__この時の私は知らない。既に罠にはまっている事を。
__全く同じ流れが繰り返されている事を。
__だが、私は入社初日に放り出される事なく、むしろ永い事……それはそれは永い永い年月、このスライムの元で働く事になるのである。
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