第64話 天使のあとの悪魔

 鍛練を終えたフェリクスはバイト先に戻ると、すぐ様学院に行く支度を始め出した。

「朝はやけに忙しいんだな」

「そうですかね?」

「ああ。日が出る前に起きてきたと思えば外に出て、ようやく戻ってきたと思えば今度は出勤。そんなに急ぐ必要は無いんじゃないのか?」

「確かにそうかもしれませんね。まあ習慣なんで、今から止めろって言われても止められないんですけど。それじゃ、俺もう行くんで」

 用務員の作業着ではなく、私服姿で学院へ向かっていくフェリクス。仕事に必要な物のほとんどは、先日の火事で燃えてしまったのだ。


 フェリクスが店を出てから数分後、眠そうな目を擦りながらエリナが下りてきた。

「……。…………?」

「あいつなら今さっき出ていったぞ」

「……………」

「俺も同じことを思った。あれだけだらけているのに、妙に朝が早かったからな」

 流石は親子と言うべきか。エリナはほとんど目配せ状態なのだが、店主はその意を正確に汲み取って会話を成立させている。

「……………」

「何してるか?さぁ、それは俺にも分からないな。用務員にも色々あるんじゃないのか?」

 その言葉を最後に店主が開店の支度に戻ると、エリナは欠伸をしてから店の入り口をボーっと眺めていた。


⚪️


 フェリクスが学院の校舎裏に着いた時、先に着いていたシャルロットは一心不乱に手帳を読んでいた。

「おお、今日は早いな」

 ビクリと肩を震わせ、手帳を取り落とすシャルロット。

「……っ。急に声をかけるんじゃないわよ。驚いたじゃない」

「悪ぃな。それで、出来たのか?」

「出来たわよ」

 ふふんと鼻息を荒くしたシャルロットは、フェリクスから貰った魔術教本を自慢気に見せ付けた。百頁以上あるそれなりに分厚い書籍なのだが、どの頁を見ても余白が書き込みでびっしりと埋まっている。少女の努力の結晶、それは並大抵のものではない。

「凄ぇな。いや、凄ぇんだが……これ渡してからまだ一週間だぞ?流石に詰め込みすぎじゃねぇか?」

「……別にいいじゃない」

 全ての努力は目の前の男に追い付くため。

 自分が並び立つほど強くならないと、きっとフェリクスは一人で全てを背負ってしまうから。

 ―――それを真っ向から言えるほど、シャルロットの心はまだ強くない。

「まぁいいけどよ。じゃ、とっとと始めるか。今日は第四階梯が完璧になったかの確認な?」

「そ、それなら余裕よ」

「へぇ。じゃあ、まずは火属性第四階梯 《炎槍》からな」

「分かったわ。んんっ、《灼熱を纏い敵を討て》」

 気負いもなくシャルロットが詠唱を唱えると、上等な魔力回路が手のひらに組み上がった。そのあと、そこへ魔力を流し込んで魔術回路を魔方陣とする行程も上出来。そして―――

「んじゃ、撃ってこい」

「怪我しても知らないわよっ!」

 高速で打ち出された《炎槍》がフェリクスの作り上げた結界に直撃し、一筋のヒビを走らせる。

「威力も制御も十分だな。よし、合格だ」

「本当に!?」

「俺が嘘付くかよ。本当だっての。でも気を抜くにはまだ早いからな。他の属性が残ってんだ」

「わ、分かってるわよ!」

「喜びすぎだろ……本当に分かってんのかね」

 そんなフェリクスの心配を跳ね返すように、シャルロットは水属性第四階梯魔術の発動にも成功した。そして、それでノリに乗ったのだろう。残りの魔術をまるで単純作業か何かのように発動させ、フェリクスを驚愕させる。

 天才児が集う学院でも、二年生の時点で第四階梯魔術を扱えるものはいないに等しいのだ。凡才の身でその域に達しているという事実が、あまりにも異常。

「ほら見なさい!出来たでしょう!?私だって出来たでしょう!?」

「………」

 本来愛されて然るべき父親の恐怖に急かされてここまで登り詰めた、登り詰めてしまった。それのなんと哀しきことか。フェリクスは素直に喜ぶ気にもなれず、顔を背けてしまう。

「なによっ。あんたも喜びなさいよ!」

 即座にフェリクスの正面に回り込むシャルロット。

「そうだな。お前はよくやってるよ」

 掛ける言葉が見つからず、フェリクスは目の前の喧しい少女の頭を撫でて誤魔化した。

「ちょっ、子供扱いするんじゃないわよ!私はもう第四階梯をマスターしたのよ!」

「はっ。お前なぁ、それくらいじゃまだガキと変わらねぇよ」

「うるさいわね!」

 威勢のいい言葉とは裏腹に、顔は幼子のように純粋な笑みを浮かべる。その対比があまりにも面白いため、フェリクスは思わず笑ってしまった。

 その笑顔を見て、シャルロットはえへへと嬉しそうにはにかむのだ。




「んじゃ、俺はそろそろ戻るわ」

「待って、私も途中まで一緒に行くわ」

 時間になり、さっさと仕事に向かおうとするフェリクスと、それに着いていくシャルロット。そこからしばらくは無言の時間が続いたのだが、嬉しさの余韻からか大きく前に飛び出したシャルロットが、楽しそうに振り返って口を開いた。

「そういえば、今日は私服なのね?いつもの作業着はどうしたのよ」

「あぁ………家が燃えちまってな。作業着も一緒に消えたんだよ」

 シャルロットの笑顔が凍り付く。

「え?燃えたって、嘘っ。怪我は無かったの!?」

「怪我はしてねーよ。家に帰ったらボーボー燃えてやがっただけだからな」

 その時のことを思い出して顔をしかめるフェリクス。

「それは大変じゃない!必要なら幾らでもお金は出すから、今すぐにでもちゃんとしたところを探しなさいよ!あんたのことだから、どうせ貯金も無くて新しい家を探せてないんでしょう!」

「ありがたいけど、それは平気だな」

「なんでよ!?野宿じゃ体を壊すし、それに最近は色々と物騒なのよ!?」

 心配のあまり言葉を捲し立てるシャルロット。これに対して、フェリクスは実に呑気に返答をした。

「だって、エリナの家に泊めさせてもらってるし」

「えっ」

「いやぁ。俺もやばいなって思ったんだけどよ。エリナのやつがうちに泊まればいいって言ってくれたんだよ。三ヶ月もありゃ、どっかしら探せんだろ」

「三、ヶ月?」

「そうそう。まさか三ヶ月間も居させてくれるとは思わなくてな?ちょっとびっくり…し、た………あの、シャルロットさん?」

 シャルロットの様子がおかしい。恐る恐る顔を覗き込んで見ると、耳元まで朱に染まっていた。

「さ、さ、三ヶ月、ねぇ」

「おい、おーい?」

「いいのよ?私は全く怒ってないもの」

「だったらその手の魔力回路を仕舞えって。話し合おうぜ?な?」

「そうね。話し合うべきよね」

「うん。だよな?話し合うべきだよな?だったらまずは、その魔力回路をどうにかしような?な?な!?いやホント、そろそろこのくだりも飽きてきたし授業外で人に向けて魔術放つのも禁止だしそもそもそれ第五階梯じゃ―――ぎゃぁぁぁぁぁ!!!」

 その時、学院の一角で汚い花火が上がった。



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