閑話2 近くて遠い

 精鋭が数多く殺されるほど本腰を入れた暗殺。それで狙われたのが大貴族の子供だったということもあり、生徒たちが無事に帰れても学院はすぐには再開されなかった。

 その原因は、今回の一件で開戦派と穏健派の対立が暗殺合戦一歩手前まで進行してしまったことにある。

 勿論、国外への警戒が必要な現時点で最後の一線を越えるようなことはないが、社交の裏で暗殺者が行き交うかもしれないという緊張感は、多数の貴族の子供が通う学院の運営にまで影響を与えたのだ。

 それゆえの二週間の緊急休校。事情を知らぬ平民階級の子供たちは突然の休みに舞い上がり、そうではない貴族階級の子らは、緊張した面持ちで我が家へと帰って行った。

 学院のない空白の時間。ほとんどの生徒は娯楽などに時間を費やす。しかし―――

「おい、集中が乱れてんぞ」

「仕方ないじゃない。まだ眠いのよ」

 休みの日、それもまだ早朝。皆が立ち止まっている時に、先へ先へと進む者がいた。シャルロット=フォン=グラディウスである。

 襲撃事件で実際に命を狙われた彼女は、特別に使用許可を得た学院の体育館で、魔力回路を組み上げる練習をしていた。それを見るのは、シャルロット同様眠そうな目を擦るフェリクスだ。

「あー、また乱れてる。はいやり直しな」

「その容姿と恰好と態度と声で言われると、本っ当に腹立たしいわね!」

「それ全部じゃね!?」

 怒り散らすシャルロットの視界には、椅子を四つ横並べにして寝転がるフェリクスが映る。

 シャルロット以上に眠そうな様子のその男は、ボサボサの髪の毛も気にせずに大あくびをかまし、寝心地が悪そうな椅子の上でしきりに身体をモゾモゾさせている。とてもではないが襲撃時に圧倒的な強さを見せた男とは思えないその醜態に、シャルロットはため息を隠せなかった。

 またあの状態に戻ってほしいとは思わないが、もう少しまともにならないものかと。

「敷き布団持ってくれば良かったかなぁ、これは」

「………なら体育館の端に集められたマットでも使えばいいじゃない」

「お前ッ、天才かよ!!」

「あんたが馬鹿なのよ!!」

 堪らず叫び声を上げるシャルロット。その頃にはフェリクスは積み重なったマットのそばに移動していた。

 ここから体育館の端までは軽く三十メトラほどあるのだが、どうやって移動したのか。シャルロットは、今の今までフェリクスがいた場所に残る魔力回路の残滓を見て、再びため息を吐いた。その構成技術の高さに、そして男の醜態に。

「いやぁ、マットいいな。これからはこいつ使うか」

「はぁ。もう、なんなのかしら」

 椅子の上にマットを敷き、その寝心地に満足そうな表情を浮かべるフェリクス。

「よし、じゃあ再開だな」

「分かったわよ!」

 朝の訓練が始まってから、まだ三十分ほど。もう何回目かも分からないシャルロットの叫び声が響き渡った。


⚪️


 それから一時間後。

「まあ、こんなもんだろ。一回休憩にするか」

 ぶっ続けで魔術を扱い消耗しきったシャルロットを見て、フェリクスがそう言う。

「はぁ~~~!やっと終わったのね」

 さりげなく椅子の一つを明け渡して座り直すフェリクス。シャルロットはその椅子に座ると、背中を背もたれに預けて仰け反り、うんと伸びをした。薄い生地の洋服でそんな体勢をするものだから、まだ固さを残す少女の肢体のラインが、服の下からハッキリと写し出される。

 フェリクスは特にそれに目を奪われることもなく、シャルロットに話しかけた。

「お前、やけに気合い入ってたけどどうかしたのか?」

「―――」

 シャルロットのリラックスしていた表情が、気不味そうなそれに変わる。

「言いたくなきゃ、別に言わなくていいからな。別に気になりゃしねぇし」

「気にならないんだったら、そもそも聞いてないでしょう」

「あっ」

「別に隠すほどの事でもないわ。―――あの時、もっと力があればって思ったのよ」

「あー、この前のあれでか?つーか、それしかねぇよな」

 襲撃時、シャルロットは何もできなかった。大勢の護衛に守られ、エリュシエルに守られ、モルドに守られ、そしてフェリクスに守られた。

 あの時もう少し力があれば、死なずにすんだ護衛もいたのではないか?一度そう思うと、もう疑問は止まらなかった。自らの未熟さが誰かを殺したのかと思うと、立ち止まっている時間すら怖くなってしまうのだ―――

 ポンッ、と。

 俯くシャルロットの頭に、フェリクスの手が置かれた。突然の事態に少女は何をするんだと男を睨み付けようとするが、見上げた先にあった顔に貼り付く表情を見て、言葉を失ってしまった。

「まだ、気にすることはねぇよ」

 あの時の零度とは違う。しかし普段通りのふざけた様子とも違う。シャルロットには理解できない複雑な感情を宿した瞳で、悟ったように遠くを見つめていた。

「この道を進み続けるなら、いずれは背負うものができるだろうな。でも、今のお前はまだ子供だ。お前が背負い切れないものを背負うのが、俺達大人の仕事なんだよ。そのための広い背中だろ?」

 その、何だかよく分からない悟ったような瞳が嫌いだ。シャルロットは、そう告げることすらできなかった。どこまでも落ちていくような黒い瞳に、そしてそれを持つ男の引力とでも呼ぶべき何かに、強く引き付けられてしまったのだ。

 この力強さを器とでも呼ぶのだろうか。襲撃時にモルドやエリュシエルが纏っていた存在感よりフェリクスのそれは深く、そして広い。とてもではないが、シャルロットには測りきれない。近いのに、遠い。

「―――本当に、意味わからないわ」

「あ?」

「何でもないわよ」

 別人のような真剣さは一瞬で消え、もう間抜けな表情が戻っている。シャルロットには、一体どの貌がフェリクスの本当なのかすら分からない。

 いつか、この男の素顔を見れる時が来るだろうか。なんてことを考えながら、シャルロットは取り敢えずうざったらしい顔に魔術の水を浴びせた。



――――――――

次から二章に入ります、

ではでは

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