第42話 終わりの始まり
「―――クス、おい、起きろフェリクス」
「………あ?」
フェリクスが目を覚ますと、不機嫌そうな顔をしたエリュシエルの顔が見えた。燃える炎を思わせる深紅の瞳が覗き込んでくる。
「ふんっ。殴り飛ばしたくなるほど間抜けな顔だな」
「起き抜けに酷ぇこと聞かせんな、お前」
「事実だろう」
「うるせぇ」
軽口を返して周囲を見渡すフェリクス。魔力回路が走る白い天井、そこらじゅうに見られる複雑そうな装置、そして何より、さっきから鼻につく独特な匂い。その全てに覚えがあった。忘れない、忘れられない、忘れてはいけない過去。
『ねぇ、―――』
失ったモノが、記憶のなかで鮮明な現実感を伴って蘇る。
「王立病院かよ、ここ」
「………ああ、そうだ」
その過去を共有するエリュシエルは、フェリクスに強烈な殺気を叩き付けながらも、表面上は平静を装う。フェリクスはそれを受け流す。
「絶対安静が必要な状態で派手に戦った馬鹿を治すためには、最新の設備が必要だったらしい」
「あいつは無事なのか?」
「それがシャルロット嬢を指した言葉であるなら、無事だと言っておこう。無事から最も遠いのがお前だ」
「そうかよっ」
「まあ、なんにせよ無事でよかった」
「は?心配してんのか?」
「殺されたいのか?私が心配していたのは、『お前』ではない」
お前の部分をやけに強調するエリュシエル。フェリクスは曖昧に笑って俯いた。影が差した表情は窺えないが、男がその身に纏う雰囲気が大きく乱れる。
「まあ、そうだろうな。で、お前は何時まで病人に構ってるつもりだよ?七魔導で師団長なお前が、忙しくないはずねぇだろ」
「ああ。この後貴族会があるからな。もう行く」
「わざわざ忙しい合間を縫って来てたのかよ」
「それは、私よりシャルロット嬢の方に当てはまる指摘だな。毎日ここに訪れていると聞いたぞ」
「そう、か」
「―――お前の人間関係に口を出す権利は、私には無いがな。一つだけ言わせろ」
「なんだよ」
そう聞きながらも、フェリクスは次に来る言葉を知ったような顔をしている。エリュシエルは、一語一句に血が匂い立つような殺気を込め、言葉を吐き出した。今度は平静の仮面が剥がれ、その下から憎しみに歪んだ貌が露になる。
「また繰り返すつもりか?」
「それを決めるのは、俺じゃねぇだろ。嫌ならお前らが踏ん張れよ」
「っ」
痛いところを突かれて言葉に詰まるエリュシエル。本能はフェリクスを否定するが、理性が己の力不足を否定した。
「ま、俺から動くつもりはねぇ。それだけは言っておく」
「そう、か。ならばいい。私はもう行くぞ」
「おうおう、さっさと行きやがれ。わざわざ病人の顔なんか見に来やがって」
振り返らずに病室を後にするエリュシエル。廊下に出て、後ろ手で扉を閉める寸前。彼女は実に悪質な笑みを浮かべて、フェリクスの方を振り返った。
「ああ、そうだ。わざわざ忙しいなかで私が訪れたのは、これを伝えるためだった」
「はぁ?」
嫌な予感に眉を潜めるフェリクス。
「お前の治療に掛かった費用は、マーレア金貨で千枚分だ。頑張れよ、借金男」
「え?ちょ、ちょっと、待っ、は?せん、千枚?いやおい、えっ」
突然突き付けられた絶望。フェリクスの表情から色が抜け落ちた。
「それじゃあな」
心底スッキリした表情で扉を閉めるエリュシエル。その後、室内に絶叫が響き渡った。用務員を勤めるフェリクスの年収が、マーレア金貨で換算して五十枚分だ。
⚪️
翌日、とある貴族の屋敷にて。
「どうやら、暗殺は失敗に終わった模様です」
「詳細は?」
書斎で報告を受ける貴族の男。使用人は手元の書類に目を通しながら報告を続ける。
「暗殺を依頼した暗殺者たち、並びに旦那様がお抱えになっていた兵二十人で襲撃を実行した結果は、シュナウザーの長男に重傷を負わせたのみだそうです。ほとんどがエリュシエルをはじめとした護衛に討ち取られました」
「情報が漏れることは無いだろうな?」
「勿論でございます。奴等には何一つ重要な情報は与えていません。生き残りを拷問にかけてこちらを探ろうとしたところで、虚実入り交じった情報に右往左往するだけでしょう」
「そうか。まあ、良しとしよう」
貴族の男は笑みを深めた。今回の襲撃でせっかく育ててきた精鋭を多く失うことになったが、得られたものは損失以上だ。
シャルロットたちを守れたとはいえ、エリュシエルが部下を多く失い、また生徒を危険に晒したことには変わりない。この国最強は昨日の貴族会でその責任を問われ、公の場での発言力を大きく落とすこととなった。
加えて、貴族たちは今回の件を通して知っただろう。シャルロット=フォン=グラディウスとルギウス=フォン=シュナウザーが襲われたことで、開戦派が狙われていることを。こうなれば、彼らは慎重にならざるを得ない。
今回の襲撃は、ターゲットの暗殺は成功すれば儲けもの程度の感覚に過ぎず、軍の顔であるエリュシエルの発言権を落とし、同時に開戦派の勢いを削ぐことこそが目的だったのだ。
「軍部は馬鹿ばかりだからな。黒騎士と魔女を失った我が国に、他国を相手取る余裕など無いというのに。何故そこまでして戦争にこだわるのか」
「私も理解に苦しみます」
「そうだろう?だがこれで幾ばくかの時間は稼げた。計画を次の段階に移そうか。おまえにはまた動いてもらうことになるな」
「はははっ」
先日までの過労っぷりを思い出して乾いた笑みを浮かべる執事。それを見て、貴族の男は大口を開けて笑ったのだった。
「それにしても、あの暗殺者が敗れるとは。フェリクスという用務員、少し調べてみるか」
今のところ、全てが上手くいっている。ただ、一つだけ不安が残る。
⚪️
定時で帰りたいだけの男を中心に渦巻く運命。時代は加速していく。
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