第11話 聞こえ出すナイトメア

米田秘書官を送り届けた後、総本部に戻って作戦確認を終え、羽月は自宅マンションに帰った。

 玄関のドアを開けると、綺麗に磨かれた靴が目に入る。左の壁に嵌め込まれている姿見鏡も綺麗になっている。

「あっ、相良少佐殿、お帰りなさい」

 リビングに続くドアを開け、満面の笑顔をリリア王女が向けてきた。

「ただいま。色々綺麗にしてくれて、ありがとな」

「お世話になってますから」

 当然の様に言うリリア王女を横目に、羽月はビジネスバッグを置き、洗面室に入る。

 洗面台も、掛けているコップも綺麗になっていた。

 メイドはいるよな……。

 手を洗いながら、羽月は頭の中で疑問を呟いた。

「お夕飯、出来ましたよ」

 そう声を掛け、リリア王女は電子レンジからキッシュを取り出した。

 魔人は寒暑にとても強い。リリア王女はミトンや布巾を使わずに素手だ。

 リビングに入った羽月は冷蔵庫を開けた。水とスポーツドリンク、ハイボールの全く同じ物が買い足されている。

 子供は酒を購入出来ないが、店員がリリア王女を外国人だと誤認し、日本語は通じない思ってしまったので購入出来た。

「買い足しといてくれたのか。助かった」

「はい。アイスボックスも同じやつを買っておきました」

「気が利くな」

 ねぇちゃんに、パシられてたのか……。

 疑問を浮かべながら、テーブルの上にあるレシートを手に取る。買っているのは、安いスーパーで安売りしてある品物ばかりだ。

 金銭感覚は普通か……。

 声には出さずに羽月は呟く。

「あの……昨日の分と、志保さんから頂いた服とかの、領収書か履歴を頂けませんか? 帰ったらお支払いします」

 控えめにリリア王女は尋ねる。

「別にいい。俺達はふざけていただけだ。あれくらい奢ってやるよ」

「駄目ですっ! ママに殺されますっ」

「んっ、女王陛下は怖いのか?」

「怖いってゆうか、厳しい……。でも、正しいですっ」

「正しい……ね」

 意味深に漏らす羽月が気になったが、根掘り葉掘り質問するのは失礼にあたると思い、リリア王女は聞かない事にした。

「美味いっ! すげー美味い」

 リスの様な顔で伊吹は絶賛する。

 絶賛しながら、ビーフストロガノフとカボチャのキッシュ、ヴィシソワーズ次々と口に運び豪快に食べ続ける。

「嬉しいっ、よかったです。お姉ちゃんが、よく褒めてくれたんです」

 食べ始めた手と口を止め、リリア王女は心底嬉しそうな笑顔を見せた。

 ——もうすぐ会える! 

 大好きなソフィア王女との再会を思い浮かべると、自然と胸が踊り出す。

「汚ねぇ食い方すんなよ。……金取れるレベルだな」

 伊吹と比べれば軽薄だが、羽月も褒めた。

 仕事が終わり自宅にいるので、羽月も伊吹も着崩してリラックス出来る格好をしている。

 羽月はネクタイを外し、ワイシャツのボタンを二つ目まで外して袖捲りし、ズボンから裾を出しいる。伊吹は上着を脱いでいて、ショルダーホルスターを着脱している。

「ありがとうございます。フォーク取りましょうか?」

 素手でキッシュを食べる二人を見て、リリア王女は尋ねたが、同時に「いい」と断られた。

 立ち上がった羽月が、冷凍庫からアイスボックス、瀬戸内レモンを取り出す。それをグラス三分の一まで入れ、冷蔵庫から出したハイボールを注ぎ入れた。

「羽月っ、俺も」

 催促した伊吹に、羽月は同様に入れて差し出す。

 氷と違い薄まらないので、この割り方はかなり人気がある。居酒屋でも注文出来るほど定番の割り方だ。

「おかわり、どうします?」

「いる!」

 透かさず、皿を前に出した伊吹の頭を羽月が叩く。

「っいてぇ」

「自分でやれよっ」

「えっ、やりますよ!」

 叱る羽月に動揺しながら、リリア王女は両手を前に出した。

「いい。リリアは客だろ」

 断りを入れた羽月は、伊吹と二杯目のビーフストロガノフを装り入れた。

「あの、折原大尉殿……」

「なげーよっ。俺等、堅っ苦しいの苦手だから、お兄さんでいいよ」

「全員、お兄さんじゃねぇか」

 椅子に戻った羽月がチクリと刺す。

「じゃあ、伊吹さん」

「なぁに?」

 遠慮気味に質問するリリア王女に、伊吹が戯けた返事をした。

「志保さんと羽月さん、どちらと付き合っているんですか?」

「えっ」

 ゴホッ……ゴホッ……。

 ハイボールを飲んでいた羽月は、思わず噎せた。 

「やめろよ……。気持ちわりぃ」

 羽月の顔にも声にも嫌悪が丸出しだ。

「やぁだ、ダーリン。十一の頃から仲良しじゃない」

 戯ける伊吹に「きめぇ」と、羽月は悪態を吐く。

 リリア王女は二人のやり取りを、きょとんとしながら見ている。

「志保が彼女だよ」

 伊吹が笑顔で答える。

「コイツは腐れ縁だ」

 断言する羽月に「ひでぇ」と伊吹が文句を垂らす。

「魔人は、バイが多いんだっけ?」

 伊吹の質問に「はい、私もです」と、リリア王女は答えた。

 魔人は両性愛者が多く、自分と同じ同性を好きになるのは当たり前の事と認識されている。羽月の反応を、リリア王女は軽蔑はしないが不思議に感じた。

  

 

 

 

 

 

 ——食後に一息つき、伊吹は帰って行った。

 リリア王女が、食洗機から乾いた食器を棚にしまっていると、浴室から羽月が出てきた。

 驚き赤面し、顔を手で覆いながら遠退く。

 風呂を上がった羽月は、首にスポーツタオルを掛け、腰にバスタオルを巻いた格好だ。

 着痩せしていた筋骨隆々の体格のよい身体に、生まれて初めて見る男の裸に近い姿に、リリア王女は直視が出来ない。

 やっぱ傷、結構有るんだ。体毛生えてる……。

 軍人である羽月の身体には、生々しい戦闘の傷痕が無数にあった。背中の真ん中には、大きな刀傷が目立つ。

 魔人は、頭髪と眉毛と睫毛しか体毛が無い。髭も殆ど生えないほど羽月の体毛は薄いが、それでもリリア王女は驚く。

 そんなリリア王女の反応を見た羽月は、性暴力は受けてないな。受けたのは、民兵からの集団暴行か……。

 洋館での反応を思い出す。ガラの悪さで怪しんだか……。

 羽月は推測を確定させた。

 スウェットを履き、タンクトップを着てソファーに座る。

 煙草を吸い出すと、リリア王女が近付いてきた。

 灰皿を、空気清浄機の側に寄せる。

「あの……ドラキュラ軍人に、サキュバスは貧困層の子供を奴隷にして、戦わせていると言われましたが……?」

 リリア王女は、言い辛そうに監禁中に抱いていた疑問を口にした。

 羽月が忖度し建前を言うように見えなかったから、羽月と二人きりになった時に聞こうと思っていた。

「二十七で、年収一千万以上あって、タワマンに住んで外車に乗ってる奴隷がいるかよっ」

 可笑しそうに羽月は言う。

 羽月、伊吹、那智は今年で二十八歳。旭は三つ歳下だ。

「俺達は志願兵だ。奴隷にしているのはドラキュラの方だ」

「でも、自分達は戦わないで駒にしてるって……」

 リリア王女は申し訳なさそうに俯く。

「本当にそうなら助けてない。サキュバスが嫌な奴は、日本には少ないから安心しろよ」

「私も、日本人は好きです。軍人の方は危機に立ち向かう、勇敢なる戦士だと思っています」

 軍人は勇敢なる戦士、略して勇士だと、サキュバス王国と対イーブル国際協定加盟国では、敬意を表する時に呼ばれる。

「説明した通り、レガイロも私怨じゃなく金目当てだからな」

 煙がかからないよう、目を合わさずに羽月は諭す。

 保護された日に、事の詳細は説明済みだ。

「恨みがあった訳じゃないと聞いて、ホッとしました」

 誘拐された日に、仕組んだのはアーチェ・レガイロだと、ドラキュラ軍人から知らされた。

 その日から、リリア王女は何か恨みがあったのではと、ずっと懸念していた。

「——人を、殺した事はあるのか?」

 紫煙を吐きだして煙草を消し、忖度無しの質問を羽月はしてきた。

「……無いです」

 気まずそうに、俯き加減にリリア王女は答える。

 戦うと決めたのはリリア王女自身だ。誘導された訳じゃない。

 襲撃の際、王族ゲートパスを利用された事に責任を感じていたから。

 逆らう度に集団暴行を受けた。羽月には「爆弾を付けられていたなら仕方ない」と言われたが、酷く悔やんでならない。

「でも……血を奪い返さないと、成長した身体になれないし……。何より、皆様の足手纏いになりたくないから、頑張ります!」

 顔を上げて言い切る。

 血を吸っていたのは、誘拐時にリリア王女を雷撃した軍人だ。彼こそが、民兵を率いる隊長だ。

「殺意を持てばいいんだよ。殺す気があればガキでも面倒だ」

 恐ろしい事実を、羽月は平然どころか温和ささえ感じられるように言い放つ。

 リリア王女は恐怖を覚え、立ち竦みながら「はい」と了解した。

 そんなリリア王女の頬を、羽月は優しく撫でた。

 ——心が安らいだ。

 羽月の表情が、愛しい人を見る様に優しい微笑みを浮かべていたから……。


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