私と“世界”

葉月林檎

The Crumbling World

 人が見る夢や考えは、“世界”になるらしい――




 不思議なほどに透明な水溜まりを蹴るようにして進む。

 ふわりふわりと飛ぶ蛍が辺りを照らし、今にも小人が飛び出してきそうな雰囲気だった。満天の星空、苔や草木が巻き付き、ほとんど瓦礫の様なオフィスビル。半分が水と土に埋まっている看板を靴で擦ると、かすれた文字が見える。


『――駅』


 この文字しか読み取ることは出来なかったが、どうやら近くにある空洞の金属の塊は、かつては電車だったようだ。覗けば水と苔、小さな草花の庭園が出来ているのが見える。

 その先に見えた月明かりが差している場所には、ギシギシと音を立てながらも鳴る自動ピアノがあった。誰かが定期的に手入れをしているのか比較的綺麗な方だ。しかし、鉄骨やパイプが剝き出しになっているような朽ちた場所。そんな中にあるピアノは不気味でもある。


(まるで持ち主の“好き”を詰め込んだような場所だな)


 額に浮かんだ汗を袖で拭いながら辺りを見渡す。

 きっと荒廃した世界と言いながらも植物は生えている、そんなノスタルジーなものが好きなのだろう。いや、そうに違いない。


 コンクリートのがれきの山を上ると、途端に開けた場所に出た。目的地はもうそろそろだろうか。もう一度ぐるんと辺りを見渡すと、こんな寂れた所には似合わない、傷一つない銀色の扉が目に留まる。シェルターだ。


 手紙に書いてあった特徴と一致している。近くまで行ってみると何だか先ほどよりも頑丈そうに見えた。分かりやすく言うならば『ごつい』というやつだろう。


 ハンドルを回しぐぐっと重たい扉を半分ほど開けたとき、ふいに扉が軽くなった。


「そろそろだと思いましたよ。お待ちしていました」


 一見クールに見える青年だが、声はふわふわと少し高い。ジト目でエメラルドのような瞳に、表情とは正反対の元気に跳ねている髪の毛はくすんだ茶色だ。作業をするのに邪魔だったのだろうか、前髪を二つのピンで留めていた。


(ああ、また好きそうなやつだ)


 私の表情から読み取れたのだろう。


「よく言われるんです。予想通りだって」


 呟きながら苦笑して、地下への階段を降りていく。


 後ろについて入ると、中は外と全く違うテイストの喫茶店となっていた。

 ダークブラウンで統一された木製の家具に、壁に飾られたドライフラワー。コーヒー豆やクッキー、はちみつに漬けられたナッツは瓶に詰められ、天井からはガラスでできたペンダントランプが吊るされている。

 邪魔にならない音量でかけられた音楽はカフェで流れるようなジャズだった。


 事前に用意してくれていたのだろう。陶器製のカップにたっぷりと注がれたホットコーヒーと、しっとりしていて大きいタイプのチョコチップクッキーが三つ。どうぞ、と勧められ、目の前のカウンター席に腰掛ける。




「で、どんなご用件でしょう?」


 私がコーヒーにクリープと砂糖を注ぎかき混ぜていたところで、青年は聞いてきた。


「いや用件と言う用件はないんだ。ただ最近顔を見せないから、何かあったのかと思って」

「あぁ、店長のことですよね」


 ……喫茶店で店長はどうなのだろう。

 しかし大きく間違ってはいないはずなので、こくんと頷く。


「僕にもさっぱりです。本当、全く姿を見ないもので。どうせゲームでもしてるんじゃないですかね」

「せめて勉強とか真面目な理由ならいいけどな。年中『最近このゲームにハマってて』とか言ってる奴だから、何となく予想はつくが」


 ですねぇと気の抜けた返事が帰ってきて、思わず笑ってしまう。そのとき、店の奥の方から、とたとたと軽い足音が聞こえてきた。


「お、久しぶりじゃの」


 丸っこい宝石のような青い瞳に、細くサラサラの黒髪。瞳と同じ色のリボンで長い髪を耳の高さで束ねている。ツインテールだ。背は低く、私の肩にも届かない。一言でまとめると所謂いわゆる……。


「ロリババッ――」

「それ以上言うてみい、この首がどうなってもいいならな」


 ぐえ、という声も出ないほど強く首を腕で絞められる。流石に言い過ぎたか。悪かった、と両手を挙げると直ぐに力が弱められた。


「ふう、この超絶美少女になんてこと言うんじゃ」

「それはすみませんでした。それよりだ、あいつ最近見ないじゃないか。死んではいないだろうけど心配になって」


 自称超絶美少女にクッキーを分け与えつつそう聞いてみる。


「それなら心配無用、あっちの机の上を見てみよ」


 指の先を見てみると、部屋の端にあるテーブルにはたくさんの画材や本、ゲームが積まれていた。よく見ればどれも学生が買うにしては少し値の張るものばかりだ。ため息をついてしまいそうになるが、なんとか堪える。


「……なるほどな?」

「真夜中にふらっとやってきては、数時間あそこでごろごろして帰っていく。ちゃあんと生きておるから安心せい」


 あの大量の物の持ち主を知らなかったのか、青年は納得したように頷いていた。

 だがあれで大丈夫なのだろうか。私は今度はため息をついて、クッキーを一欠けら口に放り込んだ。

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