2・冷たい奔獣

 屋敷の廃れた外見とは異なり、その内装は新品同様だ。

 カーペットには埃一つすら、髪の毛一本すらも無い。シミも何も無い壁や天井、磨かれたように鈍い光を放つ扉とドアノブ。

 まさに蛻の殻、人が住んでいる気配が無い。


「本当に人の気配が無いね。まるで内部と外部で流れる時間が違うみたいだ」


 壁を手袋越しになぞりながら、彼女はぽつりと零す。人差し指と親指を擦り合わせても、黒が濁ることは無い。

 蒼い瞳に虹色が差した。ただ屋敷内に違和感は無いようで、再びその眼は蒼く染まる。


「足跡辿りにも反応が無い。異能に狂いがあった例は無いんだけどねぇ」

「初めての例になったんじゃないか? だってあり得ねぇだろ」

「それに関しては私もそう思うよ。危険だがとりあえず、屋敷正面玄関に行こうか」


 異能というものは、遥か太古より人類史へ影響を及ぼして来た。故に、人類は知っている。異能は絶対であり、その能力に狂いが生じることは有り得ないということを。

 他の異能をジャミングする異能が確認されてない訳でもないが、足跡辿りは確かに、誘拐犯と思わしき人物たちの痕跡を捉えた。そしてそれは、屋敷の正面玄関へと続いていたのだ。

 その人物たちが誘拐犯だと仮定した上で話を進めれば、一つ疑問が残る。拘束した被害者は、一体どこへ消えたのか。


「彼らは何らかの目的があって被害者をここへ連れて来た。被害者を拘束し担ぎ上げ、屋敷の玄関で挨拶してそのまま帰る。なんてことは有り得ないよ」

「被害者で何をしたいか、にもよるんじゃないか?」

「神官の真似事でもしたと? 拘束し運んだ被害者に玄関先で祝福を授けた? 馬鹿馬鹿しい、そんなもの考慮するに値しないよ。雷が直撃する確率より低いんじゃないそれ」


 吐き捨てるように言うグレシア相手に、ディギタスは無力そうにポリポリと頭を掻破した。

 次第に見える巨大な吹き抜け、そして二つの歪曲した階段。両開きの巨大な焦げ茶色の大扉には、その二枚それぞれに巨人とそれに傅く人間の紋章が描かれていた。

 真紅のカーペットに対し、玄関マットは少し暗い赤茶色。その所々には赤黒い染みが付いており、どこか汚らしい。


「良かった。ここにも無かったらどうしようかと思ったよ」

「あれは……なんだ?」

「血の染みなんじゃないかな。知らないけどね」


 再度彼女の瞳が虹色に染まる。直後、満足そうにグレシアは頷いた。

 彼女の視界に映るのは、まさに彼女の望んだ情報。玄関マット上にグレシアが確認した複数人の痕跡。力を入れ、重い物を持ち上げたような吐息の流れ。

 そして、それを受け取る何者かの存在。何者かは受け取った被害者を担ぎ上げ、階段に囲まれた吹き抜けの一階中央へと続いている。


「アタリっぽいな?」

「あぁ、やっと光明が見えて来た。被害者を受け取った誰かがいる。その被害者を受け取った……長いな、Xとしよう」


 犯人をXと言い換え、彼女は話を進める。同時に歩みも。

 Xの痕跡は玄関下で被害者を受け取ったような痕跡を残し、玄関ホールの中央。外側に歪曲した階段に挟まれた、カーペット以外に何もない場所へと続き、そして忽然と消えている。

 異能でその途切れた痕跡を見下ろし、腕を組み低く唸る。


「Xはここで消えてる」

「は?」

「まるでここで存在自体が消えたように、痕跡が途切れてるんだよ。あー……――」


 グレシアの言葉が途切れ、ふと階段を見上げる。

 この屋敷は天井が高い。故に、二階の高さもクインテッドの平均的な建築物よりも高く、階段も長い。


「ディグ、二階に行って来てくれないか? Xの有する異能が飛行に関するものだった場合、二階に痕跡が残ってる可能性がある」


 心底不思議、と言った様子でディギタスが首を傾げた。


「痕跡なら、お前が見に行った方がいいだろ?」

「……相手の異能が飛行だとしても空気中に呼吸の痕跡が残らないのはおかしい。傍から可能性は無いと見てるんだよ、だから私はここで調べているから君が先に行って物理的な痕跡を――――」

「早口で誤魔化しても無駄だぞ。お前階段上りたくないだけだろ」

「…………まぁ、疲れるし」

「最初からそう言えバカ」


 顔を背け小さく呟く彼女に、ディギタスはやれやれといった様子でグレシアの前まで歩き屈み込み、その広い背を見せた。

 階段を上り終える。勿論グレシアではなく、ディギタスが。

 広々とした二階だ。チェスのポーンのような彫刻の柵が吹き抜け部分を囲い込み、一階と同じような深紅のカーペットが一切の皺無く広がっている。


「んー……」


 ディギタスの背に乗ったまま、グレシアが低く唸る。


「どうだ?」

「無いね。一切無い。一階と同じく、誰も立ち入ってないと見ていいと思うよ」


 再びディギタスが階段を行く。今度は下りだ。


「やはりこの中央に何かがあると考えよう」


 ディギタスの背から降りたグレシアが、意気揚々とホールの中央に躍り出る。

 腕を組み、身体ごと回転させ周りを注意深く見回し、時にその眼の色を変化させ。


「でも、何が? さぁディグ、考えてくれ」

「はぁ!? あぁ……本当に幽霊の仕業だったとか?」

「冗談の時間じゃないぞディグ。……そうだな、私なら」


 グレシアはそこで言葉を区切り、ホールの奥へと目線を移す。

 そこは、書庫にあったような巨大な本棚。それらが玄関と向かい合うようにずらりと並んでいるのだ。


「以前ディグが不在の時。アリアと一緒に少し遠くの城塞にお邪魔したことがあるんだ。勿論依頼でね」


 彼女は腕を組みながらそう口にし、ゆっくりと本棚へと歩み寄る。


「火を司る神族の巨人が、人々に火を与える。そんな神話に基づいた宗教団体に傾倒した者が最後の所有者だったんだが、そこで起きた事件の鍵は、一つの特徴的な仕掛けでさ」


 言われて、ディギタスは正面玄関の扉に刻まれた紋章を確認する。巨人に懇願するように跪く人々は、まさに彼女が口にした宗教団体の紋章なのだろう。

 本棚の内の一冊。字の書いていない赤い背表紙の本を手に取り、中身のページを数度捲り内容を確認するとグレシアは身体の向きをディグの方向へ戻す。

 続けて彼女は赤い本を手を振るように揺らす。ディギタスはその行動を、怪訝そうに見つめグレシアの続く言葉を待つ。


「本棚より、特定の内容が記された本を取り出すと、隠し階段が現れる。っていう、ね」


 がくん、と屋敷を大きな衝撃が襲った。

 ホール中央に円が浮かび上がる。同時にそれはカタカタと木と木が擦れるような音を鳴らしながら持ち上がっていき、数十秒も待てばそれは、地下へと続く螺旋階段へと変貌した。


「嘘だろ……?」

「おぉーあたりぃー。さ、行こうか」


 困惑するディギタスを傍目に、グレシアは赤い本を内ポケットに雑に仕舞う。

 そしてディギタスの背広のポケットからマッチをかすめ取り、一切の躊躇い無く階段を下りて行った。

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