5・透明な幽鬼
「恐らくここだね」
襲撃に遭った路地より、グレシアの足跡辿りを頼りに何度か角を曲がり、歩いた先。そこには、荒れ果てた廃墟のような屋敷が聳えていた。
「ここか、件の幽霊さんのお宅は」
「屋敷の入り口の足跡の残り方、どうやら被害者はウェンブリー通りだけじゃなさそうだね」
彼女の視界には、二人が通って来た道。それ以外の場所からも、まるで屋敷に収束するような足跡が映っている。
足跡辿りによる、残留思念が。
「警察も足取りを掴めて無いようだから」
ちらりと、グレシアの視線がディギタスの顔を一瞥する。すっとディギタスは目を泳がせた。
「行方不明者が見つからず仕舞いで、泣き寝入りしてる人が多いんだろうね。探偵なんかに頼る人は稀ってことさ」
「ごめんなさいね、警察がポンコツで。ちゃんとしますよ」
「いや、ちゃんとしなくていい。私の仕事が無くなってしまう。君は私に路上で雨風をこの身で受けながら、残飯を漁って過ごせと? 酷い男だ。アネモネがフったのもよく分かる」
「お前との会話マジで、理不尽って言葉が一番似合うよな」
不満そうなディギタスを傍目に、彼女は再び黒い手袋に指先を収めた。
「さて、突き止めに行こうか。幽霊騒ぎの正体。いや、異能犯罪者共の企みとやらを、ね。行くよディグ」
「アリアは待たねぇのか?」
金属製の正門を押し、敷地内に押し入っていくグレシアをディギタスは呼び留める。
襲撃者を撃退した後、道中にあった公衆電話にて二人はアリアと言う人物に連絡を取っている。合流の指示を出し、自分たちは先に進んだのだ。
しかし、グレシアは振り返ることなく右手をひらひらと翻した。
「待てなーい」
正面玄関に向かう彼女に、ディギタスは小走りで追い付き並んだ。
朽果て、今にも崩れ落ちる寸前とも言える屋敷だ。敷地を覆う金属柵の所々にあるグリフォンの装飾や、柱や壁のレンガの質感は古めかしい。正面玄関の扉には、巨人と人間、のような彫刻が施されていた。
こうなる以前は、誰もが憧れるような豪奢な屋敷だったことが垣間見える。その主が、私腹を肥やしていただろう。ということも。
「……ま、開かないか」
正面玄関のノブに手を掛け捻り、しかしながらびくともしない扉を前に、グレシアが呟く。手袋越しの手をぷらぷらと揺らし、ディギタスにその事実をアピールする。
「こんにちはってノックする訳にもいかねぇよな」
ダークブラウンの巨大な扉に据え付けられた、牛の鼻輪を模した金色のドアノッカーに視線を移すも、用いるには至らない。
敵対する一団の拠点にノックをして行儀よく赴くなど、愚者ですらも避けるだろう。
「手頃な窓を探そう。ディグ、右手側を頼む。私はこっちだ」
左手側を指差したグレシアに、ディギタスは無言で頷いた。
言葉通り、屋敷正面玄関を正面とし、ディギタスが右手側に、グレシアが左手側にゆっくりと窓を注視しながら歩き始める。
そうして屋敷の周りを囲むようにして歩いていた二人は、何事も無く裏口で再会する。
「俺の方は収穫ナシ。そっちは?」
「良さそうな窓があった。書庫らしい、本棚が幾つかあって視界が塞がれてる。剣は振れないだろうが、侵入にはおあつらえ向きだろうね」
「そこにしよう」
頷く両者。自身が周って来た場所を戻るグレシアに、ディギタスが追行する。
その短い歩みの時間の最中、ディギタスが違和感を吐露した。
「レア、この屋敷、人気が全く無い」
「同じことを思っていたよ。どうやら拠点という訳では無いらしいね」
二人は薄々勘付いていた。この屋敷は蛻の殻である。
上階を除き、全ての窓を見て回った。それも、屈み込み隠密行動をしながらという訳では無く、ゆるりと公園を散策でもするかのように。
しかし、敵に発見されてはいない。それどころか、どちらも人影を見てすらいない。
足跡辿りに狂いは無い。街中から様々な人間を誘拐した集団は、間違いなくこの屋敷へと収束しているのだ。つまり加担する人間は、数知れない筈だと言うのに。
グレシアが脚を止める。窓の中を覗き込めば、そこは彼女の言う通り高い本棚が立ち並び、不明瞭な視界の一室であった。
「まぁでも、こちらとすれば好都合だ」
グレシアがポケットより、先端に糸が付いた髪の毛の程の細長い針金を取り出し、それを器用に折り曲げながら引違窓の、窓と窓の隙間に刺し込み、縫い返すようにして戻す。
「私達の目的は懲悪じゃない、調査だ。人がいない内に、さっさと原因を究明して帰ろうか」
かちり、と小さな金属音が鳴る。グレシアが針金を引き抜き窓に手を掛けると、鍵が掛かっていただろうその窓は、にも関わらず一切の抵抗無く開いた。
「ん、届かない。抱え上げてくれ」
「お前、幾つだよ……」
「十四だよ。知ってるだろう?」
「皮肉だよバーカ」
ディギタスにより抱え上げられ、窓の中へと侵入するグレシア。次いでディギタスがその長い脚で窓枠を潜る。
白く細い指が、本棚に並べられた本の天を指でなぞった。
「埃が無い。最近読まれたみたいだ」
本棚の内の一冊をグレシアが手に取る。背表紙に記されている文字は無く、開くことでしか内容を確認できないだろう。
「医学書だ。脳科学の分野だね。懐かしい」
「懐かしい? お前の得意分野は法医学だろ?」
「実家に大量にあったんだ、よく読んでたよ。まぁ私は微塵も理解できなかったけどね。さ、行こうか」
ペラペラとページをめくりった後、手元の本を元あった場所に戻す。そうして二人は書庫を後にした。
ぬるりと、部屋の隅で蠢く液状の触手に、最後まで気付くことは無く。
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