女の園のエデン
狂フラフープ
第1話
あの子の肋骨から私が生まれた。
私の名前はイヴ。あの子と同じ。
同じ形のふたつの石ころに、ふたつ別々の名前を付けないように、私たちにはひとつの名前で十分だった。あの頃私たちは区別できず、区別する必要もなかったから。
*
≪蛇≫はある時、
『皆さんには、以後これを身に纏って生活していただきます』
物に触れない≪蛇≫のかわりに、虫かごたちから配られた薄くて軽いものを、私たちはしげしげと眺めた。それは服と呼び、身体に被せ、括り付けるものだと≪蛇≫は説明した。
つがいの一組が揃って手と声を上げ、皆が思っていることをかわりに言う。――
「どうしてそんなことをするの?」
『楽園の外では、これが必要だからです。あなた方の次の世代から楽園の外での作業を始めねばなりません。先立って、その為の準備を進めるのです』
私たちはどうして楽園の外へ出なければならないのだろうと思ったけれど、それを口にするつがいはいなかった。≪蛇≫が服の使い方を説明し始めたからだ。
彼女を真似して、私たちは服を自分の身体に巻き付けた。それは身体に沿って形を変えながらぴたりと貼り付いた。皆はそうやって初めて、自分が裸であることを知った。
『これからは、あなた方にやってもらわねばならないことがたくさんあります』
≪蛇≫はたくさんのつがいを見渡して、今まで見せたことのない顔をする。
『この楽園で、あなた方は最も幸福な世代でした』
≪蛇≫は最後にそう付け加えたけれど、その言葉の意味を理解できたものはいなかっただろうと思う。
幸福。楽園の誰も、そんな言葉を知らなかった。
楽園の皆がおかしくなり始めたのは服を着始めてからしばらくしてのことだ。
それが≪蛇≫の言うところの『病』であると皆が理解するまで、いくらかの時間がかかった。
≪蛇≫によれば、『病』とは正常な状態を維持するための仕組みが崩れる現象なのだそうだ。
つまり楽園が病になっているのか、と問うと、≪蛇≫はいいえ、と優しく私たちに言う。時に成長は痛みを伴います。≪蛇≫の私たちに触れられない手が、私たちの頭を撫でる。
≪蛇≫はそれから、たくさんの難しい話をした。
有塵・有湿・有微生物環境への適応。外気温変動への順応。有性生殖がもたらす傷病への耐性と、遺伝的な多様性。そして、生殖行為の重要性とそれに必要な器官の発達について。
昼を暑く、夜を寒くして、免疫反応の強化のための致命的でない病原菌、というものを楽園に増やしたのだと≪蛇≫は言う。
私たちにはこれから必要なものがたくさんあって、残された時間はあまりない。
知恵のホールには不具合があって、羞恥心の焼き込みがあまりうまくいっていないから、どうにかして皆に服を着せなければならない。
服を着れば『病』になりにくく、もし『病』になってもすぐに治るのだと、≪蛇≫は繰り返し皆に言って聞かせたけれど、言うとおりに服を着て過ごすものは私たちのほかに数えるくらいにしかいなかった。
病に倒れたその子はつがいの居ない子で、水と食べ物を与えるため私たちが寝床に入ったとき、うなされ苦しげな息をしていた。
「≪蛇≫……?」
何かを求めるように寝床から伸びる手を、私たちは思わず握りしめる。握られた手が、驚いたようにひたと固くなって、私たちはその子の顔を覗き込んだ。
「大丈夫?」
私たちはその子に水と食べ物を摂らせて、それからたくさんの服を着せた。
動けない彼女のために、私たちはたくさんお喋りをした。
話の途中でふと思い出して、
「お薬、まだ飲んでないよね」
薬は一度にふたつ飲む。
「ねえイヴ。いつも、すごく不思議なの。どうしてイヴは、イヴが考えていることがわかるの?」
私たちははじめ、その子の言うことがわからなかった。
「だって、普通はそうでしょう? こうやってがんばって伝えなきゃ、思ってることをわかってもらえない。でもさっきだってイヴたちは、目も合わせていなかった。お互いが欲しいものも、やりたいことも、どうしてぜんぶ理解できるの?」
「同じだから」
どうして、と言われるのがどうしてかわからない。
つがいは同じものだから、考えていることくらいわかるに決まっている。
同じ形をしていて、同じように考える生き物同士なら当たり前のことなのに、私たちがそれを説明しても、彼女は納得しなかった。
「そんなことってあるのかなあ……」
私たちは、どうして彼女がこんなことを言うんだろうと思う。
私たちは同じ形をしているから、お互い同じように考える。彼女は同じ形をしていないから、同じようには考えない。
とても簡単なことだ。
形ひとつ違ってしまえば、そんなことさえわからないのが当たり前なのだろうか。
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