第5話 線香花火
お隣さんが
「わたしは、見ての通り、独り身。須恵さん、あなたにこれ、差し上げます」
そんなお隣さんこと
いや、たしかに盈さんは独り暮らしだけど、それは私だって同じだ。きっと大学生だから友達がいるんだろう、と予想したんだろうが、生憎いっしょに花火を楽しめる間柄の人間はいない。
……いや、元人間なら、いなくもないけれど。
「珍しく出会い頭に声をかけてきたと思えば、そういう事情があったのか。たしかにお前は大抵独りぼっちだものな」
「独りはともかく、ぼっちって付けるのはやめてください。寂しさが増します」
「なんだって良いだろう。お前以外に俺は見えないのだし」
「こら、拗ねない。一人でも見える人がいるんだから、最悪ではないでしょう」
という訳で、私と幽霊さんはアパートの裏手で花火に興じることとなった。派手に発火する種類のは怖いから、線香花火だけにする。
無論、一人で虚空に向かって話しかけ続ける女というのは変人奇人に分類されてしまうので、あたかも誰かと通話しているかのようにスマートフォンを片手に用意している。誰かに聞かれるようなことがあっても、近くに友達が住んでいないんです、と言い訳ができる。我ながら良いカモフラージュだ。
夏至を過ぎてから日の入りが格段に遅くなったので、七時前でもまだ空は明るい。そんな中で線香花火に着火してもあまり目立たないかもしれないけれど、さすがに夜中外に出るのはちょっと怖い。これくらいの明るさがちょうど良い、ということにしよう。
チャッカマンで先端に火を潜らせると、ぱち、と音を立てて控えめな火花が散った。知らず、おお、と声が漏れる。
「なんだ、初めて手持ち花火に挑んだ子供のような顔をして」
そう驚くことでもなかろうに、と幽霊さんは言う。こなれた振る舞いが少し……いや、結構むかつく。
「良いでしょ、どんな顔したって。実家だと、手持ち花火は危ないからってなかなかやらせてもらえなかったんです」
「ほう。過保護な家だな」
「それは私もよく自覚してます。……というか、幽霊さんって手持ち花火の経験あるんですか?」
いつもこちらに質問されるばかりなので、たまには私から聞いてみる。これで答えてくれなかったら不公平だ。
幽霊さんは線香花火にじっと顔を近付けてから、そうだな、と切り出す。
「生前から、線香花火はあったぞ。納涼祭の時期に、よく川辺でやった。そう珍しいことでもなかったぞ。さすがに戊辰の戦が始まってからは、頻繁にすることはできなかったがな」
「へえ、なんか良いですね、そういうの。昔ながらの風物詩って感じで」
「うん、家族ぐるみだったり、よくつるむ友人だったりといっしょにやるのは楽しい。俺としては、もっと派手な花火の方が好きだが──あ、」
拍子抜けするような声を出されて、何事かと瞬きする。幽霊さんは眉を少し動かして、ちょい、と指差した。
「火種、落ちた。意外と短いな」
「製造元によって差異があるのかもしれませんね。こんなものかあ」
「いや、お前が初心者だからだろう。俺はもっと長持ちさせるぞ。傾け方にもコツがあるんだ」
「私が下手くそだって言いたいんですか」
「そうだ。よくわかったな」
「感心しないでください。おもいっきり貶してるじゃないですか」
何故だろう、幽霊さんに言われると倍悔しい。線香花火経験者だからって、今日はどことなく偉そうだ。
負けず嫌いな性格ではないはずだけど、私はここで諦めたくなかった。はいそうですと言って負けを認めるような真似はしたくない。
幸い、線香花火はまだ残っている。こうなったらリベンジだ。さっきよりも長く持続させて、幽霊さんにやるじゃないかと一目置かせてやる。
着火完了、第二回戦。今度の私はいつになく本気だ。いつもやる気がない訳じゃないことを、ここで証明してみせる。
「持ち手を少し傾けると長持ちするぞ」
そして幽霊さんは私の心を知ってか知らずか、謎にアドバイスをしてきた。気に食わない気持ちはあるけれど、一応彼は先輩だ。ありがたく、ありがたーくその助言を受け入れることとしよう。これを実践した瞬間に火種が落ちたら、おもいっきりクレームを付けてやる。
と、思ってはいたのだけれど、考えていたような即落ちはなく。火花はぱちぱちと、オレンジ色を散らしている。
「そういうコツって、やっぱり経験から得るものですか?」
今後の参考にしよう、と思い尋ねる。今後、線香花火にチャレンジする機会が確約されている訳じゃないので、時と場合によれば一時の時間潰しにしかならないかもしれない。
だが、幽霊さんは基本的に話好きだ。私から声がかかった時、彼が無視したことは一度もない。今回も、例外ではなかった。
「そうだ。……と、言いたいところだが、今のは先輩からの受け売りだ」
「先輩?」
「会津にいた頃、戦にあたって人員が集められたんだが……年齢が近いということで、なんとなく時間があったり、共に活動することがあったりした際によくつるむ面々というのがいてな。俺よりも歳上の者が多かったから、その時色々教えてもらった」
「なるほど……いつメン、ってやつですね」
「いきなり容姿を褒めるな。照れる」
「それはイケメン」
横文字に弱いはずなのに、何故イケメンは知っているのだろう。普段、どういった会話を盗み聞きしているのだろうか。
「いつメンっていうのは、普段からよくいっしょにいるメンバー……人たちのことです。平生はそんなに気にしないけど、改めて考えてみたらいつもこの面子だな、って感じの」
「ならそう呼ぶのが的確だな。その、いつめんとも、河川敷で花火をした。夏場は、いくら東北と言えど堪えるから」
今時、むしろ東北とか北関東の方が猛暑になりやすいというイメージが強い。私はそっちの方に行ったことはあまりないけど、全国ニュースでは最高気温を更新したとか、よく話題になっている。軽井沢とかは避暑地で涼しいのに、何が違うんだろう。やっぱり、地理が影響しているのかな。
「でも、今でもそうやって思い出せるってことは、それだけ繋がりが強かったってことですよね。いいな、そういうの、青春って感じで」
「陰陽五行か。たしかに、俺は三十を迎えることなく死んだが……お前、博識だな」
「いや、そういうことでは……」
私はこう、雰囲気としての青春について話したかったのだ。博識だな、と幽霊さんは言ったけど、そっくりそのまま返したい。昔の人って、常識として陰陽五行思想を履修してたんだろうか。前に幽霊さんが日新館の出身だと言っていたから、あの時代の中では学がある方なのだとは思う。
その、同じ学校の出身者が、彼を幽霊たらしめることとなった。実際に命を奪った相手ではないけれど、その人の裏切りによって幽霊さんは腹を切り、そして祟った。その結果、彼は成仏できずにいる。
火花が小さくなっていく。さっきよりも暗いから、その変遷はわかりやすい。
「お前、死神を知っているか」
唐突な質問。幽霊さんの
「それってそのままの意味ですか? それとも落語?」
「どちらでも。ただ、花火を見て後者を思い出した」
「あれは
「どちらも似たようなものだろう」
ふわりと空中で横たわり、幽霊さんは物憂げな顔をする。こうして見ると、一枚の絵みたいだ。アンニュイな雰囲気が、夏の日暮れによく似合う。
そして、彼は僅かに唇を尖らせる。子供っぽい仕草だった。
「俺のところにも死神が来れば良いのに」
「もう死んでるじゃないですか」
「だからこそ、だ。俺はいつまでも、霊体として漂っている。死神がいれば、本当の意味で死ねるかもしれない。そんな期待を、事あるごとにしてしまう」
本当の死。この世から、綺麗さっぱりいなくなる──成仏するということ。
幽霊さんが成仏できない理由はなんだろう。人を祟り殺したから? それとも、自分で命を絶ったから? もっと他にも、理由は挙げられるかもしれないけど……でも、どれもこれも、地獄行きならともかく、この世に留まる決定打にはならない。
もしかしたら、本人が気付いていないだけで、この世への楔になる未練があるのかもしれない。それを明かさない限り、幽霊さんはずっとこの世に留まったまま。
それって結構残酷だ。酷い話だと思う。私みたいな例外がいなければ、誰にも知覚されることなく存在し続けなければならないなんて。
……いや、下手な同情はいらないはずだ。当事者がどう思っているかなんて、生者の私にはわからない。百五十年なんて、普通に考えても発狂してしまいそうな時間を幽霊として過ごしている幽霊さんだけど、彼はけろっとしている……ように、見える。口にしないだけかもしれないけど、彼がそれを望むなら私は余計な口出しをしない方が良い。
幽霊としての存在年数は、果たして長いのか、短いのか。人の一生は一瞬だ、なんて言う人はよくいるけれど、人でなくなったら、どうなってしまうんだろう。
ああ、と幽霊さんが息をこぼす。つられて視線を動かせば、彼はほんの少し、残念そうな顔をしていた。
「消える、」
ぽとり。
火種が、落ちる。コンクリートに吸い込まれたそれは、もう色も形もない。
暫しの沈黙。その後に、幽霊さんが口を開く。
「ここでひとつ、残念なお知らせがある」
顔を上げてみれば、彼は一層申し訳なさそうな表情になった。
「時間を計り損ねた」
「…………ばか」
この野郎、私のやる気を返せ。
まあ、まだ線香花火はある訳だし、ここで怒るのはさすがに短気が過ぎる。私もあれこれ考え事をしていたんだから、おあいこということで手を打とう。
次こそは頼みますよ、と念を押してから、私はチャッカマンを手に取る。またひとつ、元気な火花が生まれた。
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