質疑応答は浮遊式

硯哀爾

第1話 黄昏


「どうしたら成仏できると思う?」


 授業が終わり家に帰って玄関を開けたら、窓から差し込む夕日をバックに白装束の人が浮いていた。そして前述のように問いかけられた。

 どうやら私は疲れているらしい。


「待て、閉めるな。見えているんだろう」


 そっと扉を閉めたら、そこを突き破って──というか上半身だけがにゅるりと出てきた。すり抜け、という奴だろうか。ソシャゲのガチャ以外では初めて見た。どちらも気分が良くなるものではない。

 正直とても気持ち悪かったので警察を呼ぶか逃げ出すかはしたかったのだけれど、不幸なことにここは私の部屋である。部屋番号を確認したが、間違っている様子はない。

 つまり、この白装束の人は私の部屋の中にという訳だ。大学進学と共に地元を離れた私に、もう逃げ道はない。

 諦めて部屋に入る。靴を脱いで手洗いうがい。黄昏──というには眩しすぎてしんみり出来ない日差しをカーテンで遮って、リビングの電気を点けてから、やっと本題に入る。


「どちら様ですか」


 私の背後でふよふよ浮いていた白装束の人は、やれやれとでも言いたげに肩を竦めた。腰まである長い黒髪も、肩の動きに従ってさらりと揺れる。


「見ての通り幽霊だ。成仏できなくて困っている。助けてくれないか」

「除霊は専門外なのでちょっと無理ですね。お引き取りください」

「つれないことを言う。俺にとってはやっと見つけた見える人だというのに。お前だけが頼りなんだぞ、慈悲を見せてくれ」

「そう言われても……私、霊感とかないはずなんですよ。幽霊が見えたのも、これが初めてですし。無力な一大学生のアパートよりも、近くのお寺に行った方が良いんじゃないですか」

「近場の寺や神社には粗方行ったが、何処であろうと認識してもらえなかった。それでは意味がないだろう」


 だから一般人を頼るしかなかった、と幽霊は言った。一体どのくらい見える人を探していたのか定かではないけれど、今のところ彼の姿を認識しているのは私一人だけらしい。

 しかし、成仏するにはどうしたら良いか、と聞かれても明確な答えを出すのは難しい。私の身内は化けて出たことはないから、皆無事に成仏したんだと思う。

 改めて、幽霊を観察してみる。

 見たところまだ若い。三十歳にはなっていないだろう。長い黒髪は癖のないストレート、本物なだけに幽霊画のような温度の感じられない美人だ。声の低さや背の高さから、残念ながら男性であることは明白なので美人というのが褒め言葉になるかはわからないけれども。


「あなたの事情は知らないけど、幽霊って基本未練があって出てくるものですよね。未練を晴らせば成仏できるのでは?」


 とりあえず、幽霊と言えばこの世に未練があるものだということを前提にありきたりな仮説を立ててみる。余程の悪霊でなければこれで成仏するはずだ。

 幽霊はなるほど、とひとつうなずいた。彼に心当たりはあるだろうか。あったとしても自力でどうにかできる範囲であって欲しい。


「未練なら晴らした。特に気掛かりなこともない。本当に心当たりがない場合はどうしたら良い?」

「晴らした後なんですね。じゃあ私にはわからないですね。お引き取りを」

「諦めるのが早すぎないか? 無関係でいたいという気持ちはわからないでもないが、まずは話を聞いてくれ。生者だからこそわかることがあるかもしれない」

「話って、あなたの身の上?」

「簡潔にまとめる」


 幽霊は昔語りする気満々のようだ。ちゃっかり私用のクッションの上に座っている。非常に姿勢が良いので少し腹立たしい。

 幽霊は不思議な座布団だ、と呟いてから語り始めた。


「俺は会津に生まれた。今となっては首をかしげたくなるようなことも多々あったが、当時は若かったからな。藩のため尽くすことを厭わぬ武士として生きようと常々思っていた。そんな矢先に戦が起こった。長く続いた幕府を終わらせた、薩長土肥の連中だ──わかるか?」

「会津戦争ですね。ある程度理解していますのでお気遣いなく」

「それなら良かった。俺も会津の士として仲間と共に各地で戦ったのだが、戦況は逼迫ひっぱくされるばかりだった。結果として城下まで追い詰められ……負傷した俺はこれ以上迷惑をかけまいと自刃することを決めた──のだが」


 そこまで言うと、幽霊はぎり、と歯軋りした。何を考えているかわからなかったぼんやりとした眼差しに、確かな敵意が宿る。


「その直前に、俺は同志よりとんでもないことを聞いてしまった。共に日新館で学んだ同輩が敵に通じ、我等の情報を流していたと」

「裏切り者がいたんですね」

「俺はそいつを知っていたから、余計に許せなくてな。その怨み辛みがあってか、腹を切って介錯されたと思ったら透けて浮いていた。自分の死体が側にあった時は驚いた」


 淡々と語るが、なかなかにえげつない話だ。逆に臨場感がなくて精神的に楽かもしれない。


「初めこそ戸惑ったが、これは裏切り者を誅する絶好の機会だと思ってな。殿が無事に生き延びられたことを確認してから、俺は件の同輩を探すことにした。何せ死んでいるからな、頼れるのは己だけだ。不思議なことに、他の幽霊が見える訳でもない。故に、奴を見つけるのにはそれなりの時間がかかった」

「それでも、ちゃんと見つけたんですね」

「頑張ったんだ。褒めてくれても良いんだぞ」

「続きをお願いします」

「けち」


 話が横道に逸れたら面倒なのに、幽霊は見ず知らずの小娘に褒められなかったというだけでしょんぼりとした。何がけちなのだろう。

 とにもかくにも、幽霊は故郷の裏切り者を見つけた。認めたくはないが、話は佳境に入ったところだ。


「それで、その裏切り者はどうしたんですか」

「いや、色々仕掛けてやろうと思ったんだが、相手に認識されないのはなかなか難儀でな。奴に付きまとってみたり、耳元であれこれ囁いてみたり、奴の眠る布団の中に潜んでみたりした。あ、今思えばあれは同衾どうきんだったな。何か嫌だな」

「終わったことですし気にしないでおきましょうよ」

「それもそうだな。そんな訳で、俺はあれこれと手を尽くした。効いたかはわからないが……奴は始終何かに怯えた様子でな。俺が付きまとい始めてから一年もしないうちに突然発狂して死んだ。あいつもそれなりに罪悪感を抱いていたんだろうか……まあ死んだのだから良しとしよう。すっきりした」

「多分認識されてたと思いますよ、それ」


 鈍感なのだろうか。冗談で言っているのならヤバいと思う。

 しかし、何はともあれ裏切り者は変死を遂げた。恐らく幽霊が見えていたか、それとも偶然にも同輩の幻覚が見えていたのか……真相は誰にもわからない。妙にもやもやするのがしゃくである。

 今の話からして、幽霊の未練というのは裏切り者がのうのうと生き延びることだったのだろう。それなのに、彼は成仏していない。未練を晴らした上で存在しているとなれば、たしかに不思議なことである。

 ここで、私は疑問をぶつけてみることにした。いつまでも幽霊、と呼称するのはさすがにどうかと思うので、年長者への敬意も込めて幽霊さんと呼ぼう。


「ところで幽霊さん」

「そのままだな。しかし俺は一度死んだ身だ。今更生前の名を称するのもおかしい。ということで幽霊さんとなろう。なんだ」

「いちいち説明しなくて良いですよ。……で、幽霊さんは会津の方なんですよね? どうして和歌山……あ、紀伊って言った方が良いかな。関西にいるんですか?」


 今私が暮らしているのは、高野山に程近い閑静な町だ。少なくとも、戊辰戦争に関係する土地ではない。

 件の裏切り者がこの辺りに住んでいたというなら話は別だが、本来なら会津と縁もゆかりもない場所。それなのに、何故幽霊さんは私のもとに現れたのだろう。

 おとなしく座っているのに飽きたらしい彼は、ああ、と浮かびながら答える。


「いつになったら成仏できるかわからず、百年以上経ってしまった訳だからな。こんな状態でいられることなど滅多にないから、色々な土地を見て回っていたんだ。さすがにいつまでも彷徨しているのも寂しいから、名だたる名刹ということで効き目がないかと期待して見に来たんだが……何も起こらなかった上に厳かな空気感が重くて合わなかったので早々に下りてきた」

「成仏する気あるんですか?」

「あるぞ。だからお前を頼っている。助けてくれ、俺にはお前しかいない」

「ええ……」


 ふわん、と逆さまになった姿勢で私に近付いてくる幽霊さん。顔は真剣なのだが、なんだろう、本人の話に掴み所がなかったので真面目に聞くのが馬鹿らしく思えてくる。この人、大丈夫なのだろうか。

 そういえば、この前スマホをいじってたら幽霊に関する話を見た気がする。解決策になるかわからないけど、黙っているよりは良いかもしれない。


「実際に見た訳じゃないので真実かわからないんですけど、幽霊って死んでるのに寿命があるらしいですよ。その寿命が来れば、自然と成仏できるかも」

「おお、それは興味深い。して、何年程で成仏できる?」

「大体四百年らしいですよ。関ヶ原の辺りの幽霊が減ってるって話もあるそうです」

「四百年……」


 幽霊さんが死んだのは、約百五十年前。仮に幽霊寿命四百年説が当たっているとすれば、彼はあと二百五十年さ迷わなければならない。

 はっきり言って、希望になる話ではない。幽霊さんからしてみれば、むしろ絶望的な情報だろう。

 ちら、と幽霊さんを見てみる。彼は今、どんな顔をしているだろうか。


「──よし、決めた」


 彼は逆さまのまま、ぽんと両手を合わせた。そして、笑いも泣きもせず、無表情で言う。


「このまま残りの期間を過ごすのは正直いってきつい。退屈だし孤独だ」

「して、その心は」

「お前に付きまとおうと思う」

「お引き取りください」


 玄関まで押し出せたら、どんなに良いだろう。しかし彼は幽霊、触ろうとしたところでするんとすり抜けてしまう。

 ふふん、と幽霊さんは妙に誇らしげな顔をしながら一回転した。空中ででんぐり返しする人──もう死んでるけど──は初めて見た。


「そう拒絶ばかりするな。お前を祟り殺すつもりはないから、発狂死はしないはずだ。むしろ独り暮らしの孤独から逃れられる。利点しかない」

「いや、別に孤独で悩んでる訳じゃないし……そもそも私、シェアハウスとか絶対無理な人間なので、誰かといっしょに生活する方が苦なんですよ。あと単純に何もない空間に話しかけてるヤバい人間だと思われたくない」

「大丈夫だ。人目があるところでは極力話しかけないようにする。それに、俺は割と寂しがり屋だ。突き放されたら逆恨みしてお前を祟るかもしれない」

「最悪じゃないですか……」

「何と言われても、俺はお前の側を離れないぞ。それが嫌なら、いっしょに成仏する方法を探してくれ」


 大変なことになってしまった。人を暫定だが祟り殺した幽霊が私に付きまとおうとしている。

 幽霊さんは私に多大な期待を寄せているのかもしれないけど、残念ながら私は幽霊を成仏させる方法などほとんど知らないし実践しても成功するとは思えない。それに、自分の生活を幽霊さんのために犠牲にするつもりもない。

 ああ、どうしてこんなことになってしまったのだろう。私は日が暮れかけている空──正確にはそれが見える窓──をすがるように見つめた。


「誰か助けて」

「奇遇だな。俺も同じ気持ちだ」


 全く嬉しくない。わかったようにうなずかないで欲しい。

 ちゃっかり横に並んで浮かぶ幽霊さんから肩を組まれそうになった。私たち二人がすり抜けるので意味などないことに気づいたのは、私がその手を払おうとした後のことだった。

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