噂
宿舎へ戻ったフリーダは、部屋の前に立つ人影を見つけた。学校の制服ではなく、侍従服を身にまとっている。
「セシルちゃん、随分と長かったみたいだけど、説明会とか言うのは終わったの?」
「はい。終わりました」
侍従服を着たセシルが、丁寧に頭を下げる。別にいけない事をしてきた訳ではないが、一人でクエルに会ってきたので、フリーダは悪いことをした気分になった。
「よかった。お風呂の時間がもうすぐ終わりだから、一緒に行きましょう!」
フリーダはそう告げると、持っていた鍵で、宿舎の部屋を開けた。部屋の両側には寝台が据え付けられており、正面の窓の前には、共用の机と、小さなテーブルが置いてある。寝台はそれぞれのプライベートが保てるよう、カーテンで仕切れた。
フリーダは制服を脱いで衣装棚にかけると、下の引き出しから、パジャマと着替えの下着を取り出す。顔を上げると、セシルが下着姿の自分をじっと見つめている。その視線に、フリーダは違和感を感じた。
「セシルちゃん、どうしたの?」
セシルがフリーダへ頭を下げる。
「フリーダ様、申し訳ございません。荷ほどきがまだ終わっていないので、後から行かせて頂いても、よろしいでしょうか?」
「私も手伝うわよ」
「いえ、大した荷物はありませんので、すぐに終わります」
「分かった。先に行っているわね!」
フリーダはセシルへ声をかけると、部屋の扉を閉めた。やっぱり、いつものセシルとは、どこか違う気がする。でも何が違うのだろう? フリーダが首を傾げながら、階段を降りはじめた時だ。
「なんであの子が、マクシミリアン様からちやほやされる訳?」
階段の下から、誰かの声が聞こえてくる。
「本当よね。どの家とも関係がない、庶民の子でしょう?」
何人かの女子生徒が、風呂上りに階下で話をしている。もしかしたら、自分の事かもしれない。そう思って、フリーダは足を止めた。
「それが、どうもマクシミリアン様じゃなくて、お兄様のジークフリード様がらみらしいの。だから、学校としても黙認みたい」
「どういうこと?」
「ここだけの話だけど、あの子って、ジークフリード様の愛人の一人なのよ」
「あの年で、もう愛人!?」
「屋敷付きの侍従とかなら、あの年で囲われたりするのも、別に珍しくはないでしょう?」
「確かにそうね。でも、どうしてジークフリード様が、あんな庶民の小娘を愛人にするの? もっとましな女性を、それこそ、よりどりみどりだと思うけど……」
「それが、ジークフリード様って、ともかく若い子が好みと言う噂があるの」
「もしかして、私たちにもチャンスがあると言うこと?」
「そうよね。あんな子よりは、私たちの方がはるかにましよ!」
「いけない。もうすぐ消灯の時間よ」
どうやら三人が話をしていたのは、自分の事ではなく、フローラの事らしい。パジャマに着替えた三人の女子生徒が、階段を駆け上がってくる。そしてフリーダの姿を見つけると、小さく会釈をしながら通り過ぎた。
『次期ローレンツ家当主の愛人!?』
彼女たちの話が、フリーダの頭の中で繰り返される。フリーダも全くの世間知らずな訳ではない。それが何を意味するかぐらいは、よく分かっている。
そもそも自分たち傍流の家の娘は、どこかの閥族の子弟へ嫁ぐためにいると言っても、過言ではない。嫁ぎ先は後妻である場合もあるし、妻と名乗れない場合だってある。
フリーダがその宿命から逃れて、ここにいられるのは、両親のギュスターブとリンダが、自分たちの利益など全く気にする事なく、フリーダの意志を尊重してくれているおかげだ。
『単なるうわさ話にすぎない……』
フリーダはそれを頭から追い払おうとした。だがそれが事実だとすれば、フローラが人形省にいたことも、シグルズがマクシミリアンを敵視していることも、全てつじつまが合ってしまう。フリーダが心の内に、とても重たいものを感じた時だ。
ガタ……。
背後で何かが動く音がする。フリーダが階段の後ろの暗がりへ目を向けると、廊下の油灯りを受けて、銀色に輝く車輪が見えた。
「フローラさん? もしかして、お風呂?」
フリーダの呼びかけに、フローラが当惑した顔をする。
「は、はい。でもご心配はいりません。濡れた布で体を拭くだけですので、自分だけで大丈夫です」
「でも、女の子でしょう? ちゃんと汗を流さないと。私がお手伝いさせて頂きます」
「で、ですが……」
「こう見えても、結構力持ちなんですよ。それに――」
「フリーダ様、お待たせしました」
着替えを持ったセシルが、階段を降りてくる。
「ちょうどよかった。セシルちゃんも、フローラさんをお風呂に入れるのを手伝ってくれる」
「承知いたしました」
「お願いですから、やめてください!」
フローラの声が響いた。
「同情されるぐらいなら、さっきの人たちの方が余程にましです」
「まし?」
「だって、正直じゃないですか!」
「そうね。確かに正直かもしれない。でもそれを口に出して言っていいかどうかは、別の問題よ。それに私はあなたに同情している訳じゃないの。困っている人を見たら助ける。当たり前の事でしょう?」
そう告げると、フリーダはフローラの固く握りしめた拳へ、そっと手を添えた。
「なにより、フローラさんは女の子なんだから、ちゃんと湯船に入らないとだめよ」
フローラが当惑した表情でフリーダを見上げる。
「私は子供のころ、とってもお風呂嫌いで、お母さんからいつもそう言っては怒られていたの。それよりも、消灯の時間になっちゃうから、急ぎましょう!」
「はい、フリーダ様」
フリーダはセシルに頷いて見せると、風呂場の扉を開けた。
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