月夜

「ふう」


 クエルは夕食後に集まって談笑する他の男子生徒たちを見ながら、小さくため息をついた。


 生徒たちはウルバノ家、ローレンツ家、チェスター家の御三家の子弟や縁者で集まって、それぞれに話をしている。彼らは誰と誰が相部屋になったなど、情報交換をしているらしい。


 クエルと言えば、誰からも声を掛けられることなく、空になった皿を眺めている。もちろんクエルはフリーダと違って、自分から声を掛ける勇気はない。それにまだ宿舎の相部屋になった人物とも、顔を合わせていなかった。


 遅れて入った部屋には、荷物こそ置いてあったが、それが誰の物なのかも、未だに分からない。


『もしかしたら、避けられている?』


 ふと、そんな考えが頭に浮かんだ。自分の様なものと相部屋になるのが嫌で、学校へ抗議しているのかもしれない。フリーダを除けば、日々話をする相手もいなかったクエルとしては、誰かに気を使って過ごすより、一人で過ごした方が余程に気楽だ。


 そう考えつつ、クエルは自分で食器を配膳口まで運んで、食堂を出た。部屋へ戻るべく廊下を進むと、食堂の先にある勝手口の扉が開いているのが目に入る。そこからまだ肌寒くはあるが、春の気配を感じる夜風が吹き込んでいた。


 まだ夕飯後の消灯前の時間であるし、宿舎の外へ出てはいけないと言う話も聞いていない。クエルは誘われるように、その扉をくぐって外へと出た。今日は満月に近いらしく、月明かりだけでも、足元がはっきりと分かるぐらいに明るい。


 勝手口先の小道を進むと、小さな広場が見えた。真ん中には噴水があり、そこから噴き出した水の飛沫が、月明かりを浴びて、銀色に輝いている。クエルは噴水横にあるベンチの一つに腰をかけると、春らしく、大きな傘を被った月を眺めた。


 そう言えば、フリーダとセシルはどうしただろう。二人で仲良くやっているだろうか? いや、セシルの事だ。フリーダの見えないところで、不機嫌そうに舌を出しているに違いない。


 そんなことを考えながら、一人の夜はこんなにもさみしいものだったのかと、クエルが思った時だ。


「クエル?」


 背後から聞きなれた声が響く。振り返ると、月明かりを受けて、国家人形師養成学校の制服を着た女性が一人、立っている。


「フリーダ?」


「クエルも夜の散歩?」


 その声に、クエルは慌てて辺りを見回した。夜に宿舎を抜け出して、女子生徒と会っていたなんてばれたら、いきなり停学になりかねない。


「大丈夫よ。規約書には消灯時間まで外に出てはいけないとも書いてなかったし、誰かに会ってはいけないとも書かれてなかったわ」


 その言葉に、クエルは思わず安堵のため息をもらす。


「もう、私を見てため息を漏らすだなんて、めちゃくちゃ失礼じゃないの?」


「こ、これは……」


「分かっているわよ。停学にならないと分かって、安心したんでしょう。でも不思議ね。ちょっと前までは、お互いの家を自由に行き来していたのに、ただ会うだけでも、こんなにも気を遣うようになるだなんて」


 自由に行き来をしていたのは、フリーダだけだと思いつつ、クエルは横に座ったフリーダへ頷いた。


「そう言えば、セシルはどうしたんだ?」


「気になる?」


 フリーダがわずかに眉を上げて見せる。クエルは思わず余計な事を聞いたかと思ったが、フリーダはすぐに言葉を続けた。


「それが、夕飯前から付き人だけの説明会があるとかで、連れていかれちゃったのよね。ご飯を食べながら、色々とお話が出来ると思っていたから、とっても残念」


 そう言うと、フリーダがいかにも残念そうに口を尖らせる。


「そう言えば、クエルは誰と相部屋になったの?」


「さっぱり分からないんだ」


「どう言うこと?」


「荷物らしきものは、部屋においてあるんだけど、未だに顔を合わせていない」


「ふーん」


 クエルの答えに、フリーダは少し考え込むような表情をした。だがすぐに小さく手を鳴らして見せる。


「もしかしたら、フローラさんのお兄さんじゃないかしら」


「えっ、シグルズさん!?」


「そう、シグルズさん。フローラさんが選抜で怪我をしたと言っていたでしょう。だから怪我が癒えるまで、荷物だけ置いてあるのよ」


 クエルはフリーダの言葉に頷きつつ、心の中で冷や汗をかいた。あの迫力満点の相手に、耐えられるかどうかは自信がない。クエルの顔色を見たフリーダが、口元に笑みを浮かべる。


「ほら、アルツおじさんの工房だって、口下手の人が多いけど、みんないい人たちでしょう。きっとうまくやれるわよ」


「そ、そうか」


 確かに閥族の誰かを相手にして、礼儀作法に気を遣うよりは、まだましかもしれない。フリーダはクエルへ頷いて見せると、高く昇りはじめた月を眺めた。


「私たちも、とうとう国家人形師養成学校こくがくに入学したのね」


 そうつぶやく横顔は、いつものフリーダと違って、どこか自信なさ気に見える。自分だけでなく、あのフリーダでも不安に思うらしい。


 クエルはそっと手を伸ばすと、フリーダの手へ自分の手を重ねた。フリーダも手を動かすと、クエルの手をぎゅっと握り締めてくる。その手のぬくもりに、クエルの中の不安はどこかへと流れ去り、心が軽くなっていく。


「ごめんなさい!」


 しかしフリーダはそう声をあげると、いきなりクエルの手を振りほどいた。


「急にどうしたの?」


 驚くクエルに、フリーダが顔の前で手を合わせて見せる。


「クエルにはもう婚約者がいたのね」


「認めたつもりはないよ」


 クエルはフリーダへ即答した。それを聞いたフリーダが、当惑した顔をする。


「だって、王女様よ!」


「王女様かどうかなんて、関係ない」


「でも、クエル――」


「どこかの誰かが勝手に決めたことだ。僕は自分の意志で、国家人形師になると決めた。そしてここに入った。先ずは父さんと同じ、国家人形師になることを目指す。他の人が勝手に決めた事なんて、知った事じゃない」


 クエルの言葉に、フリーダも頷く。


「そうね、そうよね。でもクエルが国家人形師を目指すと聞いた時は、一緒に同じ道を進めると思って、うれしかったな」


「フリーダ、僕もだよ。君がいてくれて本当に良かった」


「もう、そんな台詞を言うだなんて、クエルのくせに生意気よ!」


 フリーダはおどけた口調で告げると、今度はフリーダの方からクエルの手を握り締めた。


「クエル、あなたがあなたの意志で決めたことに、私は決して文句を言ったりはしない。でもクエルが何かに迷った時は、私に相談してね」


「もちろんだ」


 クエルの答えを聞いたフリーダが、満面の笑みを浮かべて見せる。だが急に慌てた顔をした。


「あら、もういい時間ね。消灯前に戻らないと、いきなり停学になっちゃう」


 立ち上がったフリーダの髪が、空高く昇った月の光を浴びて、まるで宝石のように輝く。それを眺めながら、クエルも慌てて立ち上がった。


「今日はクエルとお話が出来て良かった。まだ夜は冷えるわよ。風邪をひかないように気を付けてね!」


 そう告げるや否や、フリーダはまるでつばめのように、女子宿舎の方へ駆け去っていく。その後ろ姿を見つめながら、クエルはいつまでこうした時を、フリーダと共に過ごせるのだろうかと考えていた。

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