選択肢

 通路を先に進みつつ、クエルは周りに誰もいないことに気付いた。どうやら他の男子生徒たちは、すでに宿舎へ行ってしまったらしい。慌てて講堂の横にある人形溜まりへ向かうと、侍従を模した人形だけが、ぽつんと一台残っている


 クエルはセレンを連れて、慌てて森の中へ続く道を歩き始めた。森の中はシーンと静まり返っており、鳥のさえずりだけが聞こえてくる。その道をしばらく進んでから、クエルは首をひねった。


 だいぶ進んできたはずだが、森も道も途切れる事なく続いている。宿舎までどれほど距離があるかは聞いていないが、いくら何でも遠すぎだ。同時にクエルは学校の敷地の広大さにも驚いた。


「流石に、もう建物が見えてもいいはずだよな……」


 クエルがそうつぶやいた時だ。


 カサカサ……。


 森の中で何かが動く音がした。誰かいるのだろうか? クエルは注意深く辺りを見回した。そこは森が少しだけ開けていて、日の光が差し込んでいる。だけど誰も見当たらない。気のせいだろう。そう思って、クエルが再び足を踏み出した時だった。


「あら、こんなところでもう迷子?」


 不意に女性の声が聞こえた。再び辺りを見回すと、大きな木の幹を背に、制服を着た女性が立っている。


「イフゲニア教官!」


 どうしてさっきは気が付かなかったのだろう。そう思いつつ、クエルは背筋を伸ばして敬礼をした。それを見た女性、イフゲニアが含み笑いを漏らして見せる。


「前にも言ったでしょう。堅苦しいのは苦手なの。誰もいないときは、役職抜きで呼んでもらえないかしら」


 イフゲニアはそう告げると、クエルが進もうとしていた道の先を指さす。


「どうしてこっちに来たのかは知らないけど、この先は墓地よ」


「墓地ですか!?」


 気づけば道は少し上り坂になっている。クエルは森の中を横切る坂の先を見つめた。


「そう。この学校に入学できたけど、事故でなくなった人たちのお墓。入学中に死亡した場合、いかなる理由にも関わらず、その亡骸は家族の元へは帰らないの」


「どうしてでしょうか?」


「さあ。もしかしたら、何か秘密があるのかもしれないわね。今度一緒に墓を掘ってみる?」


「えっ!?」


 あまりにも予想外の問いかけに、クエルは思わず声を上げた。


『マスター、気をつけろ!』


 不意に頭の中にセシルの警告が響く。クエルは下げてしまっていた手を、慌てて元の位置へ戻した。


『冗談がきつ過ぎて、つい手を――』


『そんな事ではない。向こうはやる気だぞ!』


 セシルの言葉通り、イフゲニアの瞳は、先ほどまでとは違う光を宿している。


『来るぞ!』


 セシルの緊迫した声が続く。


『どこだ!? 何も見えない!』


『マスター、何をしている。我の目で探せ!』


 次の瞬間、クエルの視界が全くの別物へと変わる。クエルはセレンの目であたりを見回した。森はセピア色に染まり、吹き抜ける風に、落ち葉がゆっくりと舞い上っていく。


 だがこちらを見つめるイフゲニアを除けば、辺りに見えるのは森の木々と、下映えの草だけだ。特に不審な物はない。でも、もし本当にそうならば、セシルは警告の声を上げたりはしないはずだ。


 セレンと繋がることで、研ぎ澄まされたクエルの意識も、得体のしれない何かを感じている。しかし、いくら見直しても何も見つからない。いつしか強く吹き始めた風が、森の木々を揺らしているのが見えるだけだ。


『何も見えない……』


 そう思ったところで、クエルは自分の違和感の正体に気づいた。音だ。木の枝やそこについた葉のざわめきの中に、不協和音が混じっている。風の動きとは違うテンポで動いている何かだ。


 その音に耳を澄ませながら、クエルは頭の中に広がるセレンの視界をのぞき込む。


『あれだ!』


 イフゲニアが背にする木が、他の木とは僅かに違う動きをしていた。次の瞬間、その木の枝が、まるで鞭のようにクエルへ向かってくる。


『セレン、枝だ!』


 セレンは素早くクエルの前へ出ると、背中に背負う金属製の箒を手にした。それで迫ってきた枝を薙ぎ払う。


「あら、気づかれちゃったのね……」


 イフゲニアのつぶやきが聞こえた。クエルは「なぜ?」という台詞を口にしようとして、それを飲み込んだ。すでに事を構えた相手に、理由を聞いても意味はない。


『マスター、止まっていると狙われるぞ!』


 セシルの警告に、クエルは横へ向かって走り出した。その行く手にも枝が迫る。クエルはセレンと共に体をひねると、背後へ飛び退いた。


 相手の攻撃はムーグリィのサンデーと似ている。素早く、そして範囲が広い。より厄介なことに、数多くの枝に模した鞭のような武器で攻撃してくる。しかし木に模している以上、相手の足は決して速くないはずだ。ともかく来た道を引き返して逃げるのが一番――。


『木?』


 この派手な攻撃が陽動だとすれば……。クエルは自分の足元へ視線を向けた。地面がわずかに盛り上がっていくのが見える。


『セレン、下だ。根だ!』


 だがクエルが心の中で叫ぶより早く、地面から現れた無数の触手が、クエルの、そしてセレンの体をからめとっていく。その力はあまりにも強力で、まるでくるみ割り人形に入れられたくるみのように、今にもつぶれそうだ。


 それでもクエルはセレンの胸の中に抱かれながら、腕と足を使って、何とかセレンの体を支え続けた。


「ドライアドの動きに気づけたと言う事は、やっぱり本同期が出来るのね」


 気づけば、空中に持ち上げられたクエルとセレンを、イフゲニアが下から見上げている。


「だけどそれが出来ると言う事は、人形が受けたのと同じ衝撃を、己が精神で受け止めると言う事よ」


 触手がセレンを締め上げる力がさらに強まる。


 アアアァァアアアァ――!


 どこかから悲鳴が聞こえた。それはクエル自身が痛みに震えつつ上げた声だった。同時に視界がセレンから切り離され、緑の森が戻ってくる。


「あなたが人形との接続を切れば、あなたの命は助かる。だけど人形は失われる。あなたが命がけで頑張れば、人形は助かるかもしれない。でもあなたの精神は失われる。そこで質問よ」


 そう告げると、イフゲニアはクエルに対し、口元に怪しい笑みを浮かべて見せた。


「人形と自分の命。あなたはどっちを取る?」


『マスター、この女の言う通りだ。すぐに我とのつながりを断て!』


 セシルの声が頭に響く。


『そんなこと出来るか!』


『何を言う。我は人形だ。所詮は物だぞ!』


『物なんかじゃない! 我、クエル・ワーズワイスは汝、セシル=セレンに命じる。二度と自分の事を物と――』


 ギャアアアァア――!


 クエルの口から再び悲鳴が漏れた。体中が汗に濡れ、心の中に湧き上がる痛みに、今にも気が遠くなりそうになる。セレンが自分へ呼びかける声も、次第に小さくなっていった。


 次の瞬間、クエルの体がセレンの胸から滑り落ちて、地面へ転がる。


「やっぱり、あなたも人形を取るのね」


 頭の上から声が聞こえた。必死に顔をあげると、イフゲニアが呆れた表情で、クエルを静かに見下ろしている。


「私の周りにいる人たちは、どうしてこういう人たちばかりなのかしら?」


 イフゲニアは膝を折って地面へしゃがみ込むと、クエルの顔を覗き込んだ。


「本同期はもろ刃の刃よ。それが出来た人に偉大な人形師は多い。でも長生きできた人も少ないの。覚えておいて。どんなに人形と深くつながりが持てたとしても、所詮は人形。道具にすぎないわ」


 そう告げると、イフゲニアはおもむろに立ち上がった。


「あなたの宿舎は来た道を戻って、右手になります。左手へ行くと女子宿舎よ。そちらへ行くと、入学早々停学になるから、気を付けてね」


 イフゲニアはクエルへ軽く手を振ると、森の奥へと進んで行く。吹き抜ける一陣の風と共に、その姿はどこにも見えなくなった。




「いきなりのえこひいき?」


 森の奥の小道を進むイフゲニアの耳に、聞きなれた声が響いた。振り返ると、その耳にはイフゲニアと同じ水色の水晶が、木漏れ日を受けて光っているのが見える。


「とある人からの依頼よ」


「依頼?」


 イフゲニアの答えに、アイラが小首をかしげて見せる。


「あなたの所にも、チェスター家を始め、色々なところから一杯来ているでしょう? もし興味があるのなら、依頼主の名前を教えてあげるけど、個人的には聞かない方がいいと思うわ」


「ご心配なく。元からそんなものに興味はないの。それよりも、父親からあの坊やへ、鞍替えするつもりなの?」


「それもいいわね。どちらかと言えば、彼の方が私の好みだし……」


 イフゲニアの答えに、アイラがいかにも嫌そうな顔をする。


「相変わらず、気持ちの悪い女ね」


「そうかしら? 年下だし、アイラこそ好みのタイプじゃないの? それとも私の勘違い?」


 そう告げると、イフゲニアは口元に手を当てて、含み笑いを漏らして見せた。

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