入学式

 春の少し煙った空の下、クエルは小走りに林の中を駆けていた。前方では幼馴染のフリーダが、ポニーテールにまとめた髪を跳ねつつ、軽快に雨上がりの道を駆け抜けていく。


 それを必死に追うクエルの横を、黒塗りの重厚な馬車が次々と追い越した。その度にクエルは足を止めて、馬車が上げるしぶきを避けている。そのため中々前へ進まない。走りながら軽やかに泥水を避けるフリーダとの間が、かなり開いてしまっている。

 

 焦ったクエルはフリーダの真似をして、走りながらしぶきを避けようとしたが、木の根につま先を取られて、前のめりに倒れそうになった。耳元では車輪が水を跳ねる音も聞こえてくる。


『やばい!』


 クエルは心の中で悲鳴をあげた。これをまともに浴びたら、いきなり全身泥だらけで、国家人形師養成学校の入学式へ出ることになる。だがクエルの体へ泥水は飛んでこなかった。横へ傘が差しだされ、しぶきは全て跳ね返されている。


「クエル様、お気をつけください」


 侍従服を着たセシルが、傘についた泥水を払いつつ、クエルに声を掛けてきた。そしてすぐに呆れた顔をする。


「マスター、我に手間を掛けさせるな」


 その幼く見える顔は、息があがりかけているクエルとは違い、汗一つかいていない。そもそも人形であるセシルは、意図的にそれをしない限り、荒い息をしたり、大汗を掻くなどしないのだろう。


 クエルがそんな事を考えた時だった。セシルがクエルへ、フンと鼻を鳴らして見せる。


「この身とて、走れば疲れるぞ」


「僕の考えを読んだのか?」


「今さら何を言っているのだ? 我はお前の人形だぞ。何を考えているかはもちろん、お前が意識していないことまで、全てお見通しだ」


「意識していないことまでって?」


「我の胸のふくらみや、スカートの中身が……」


「朝からそんな話はやめてくれ!」


「クエル、何をしているの? 式に遅れるわよ!」


 前方から大きな声が聞こえてきた。森の切れた先で、フリーダが大きく手を振っている。クエルは泥を跳ね上げないように気をつけながら、フリーダの元へと走った。


 追いつくと、そこは大きな馬車溜まりになっており、自分たちの横を通り過ぎて行った黒塗りの馬車が、所狭しと駐車している。


「もう、入学式の日から、遅刻しそうになって走るなんて最悪!」


 珍しく、フリーダが口を尖らせる。


「でも、馬車が動かなくなったんだから、仕方がないよ」


 そう答えつつ、クエルは辺りに止まっている、車輪が大きく、スプリングが良く効きそうな馬車を眺めた。自分たちが乗ってきた馬車とは大違いだ。


「ギガンティスに乗ってくれば、何の問題もなかったのにね」


 フリーダもクエルへ肩をすくめて見せる。クエルたちの人形は、学校が派遣してきた運搬用の馬車によって、既に国家人形師養成学校こくがくへ運ばれている。なので、クエルたちはフリーダの母親のリンダが、貸切にしてくれた馬車で入学式へ向かっていた。


 だが今朝方に振った雨の為、借りた馬車は学校の入り口近くの林の中で、轍に車輪を取られてしまう。その結果、クエルはフリーダやセシルと共に、入学式早々、校舎を目指して林の中を駆け続ける事になった。


「あなたたちは新入生?」


「は、はい!」


 不意に聞こえた声に振り返ると、王都守護隊の制服を着て、書類挟みを手にした女性が立っている。その左耳には、水色の水晶が光っているのも見えた。少なくとも指揮官以上の人形師だ。クエルは慌てて背筋を伸ばすと、女性へ向かって軍隊式の敬礼をする。


「アイラ副団長殿!」


 クエルの隣で同じく敬礼をした、フリーダの口から驚きの声が上がった。王都守護隊の副団長と言えば、フリーダの父親が務める、宮廷人形師とまではいかないが、それでもかなりの上役だ。


「またあなたたちなの?」


 女性が額へ手を当てつつ、顔をしかめて見せる。


「アイラ副団長殿は、どうしてこちらへ?」


 そう口にしたフリーダを、女性がじろりと睨んだ。フリーダが慌てて敬礼をし直す。


「あなたたちが知る必要のないことです」


 女性はそう答えると、手にした書類をめくった。どうやらフリーダとは顔見知り程度で、親しい間柄ではないらしい。


「いくら人手が足りないからと言って、どうして私が、こんな受付なんてことをしなくちゃいけないのよ。胸の大きな女に惑わされたエロガキのお陰で、えらい迷惑……」


 女性は書類に書きこみをしながら、ブツブツと何かをつぶやき続けている。


「これって、心の声?」


 クエルは隣に立つフリーダへ、小声で問いかけた。それを聞いたフリーダは小さく頷きつつも、口元へ指を立てて見せる。やはり独り言らしい。クエルがそれに頷き返した時だった。


「久しぶりなのです!」


 独特の口調の声が響いてくる。思わず敬礼した手をおろして、声がした方を見ると、台車の上に子供が雑に積んだ積み木としか見えない人形が、こちらへ向かってくる。その上にのった小柄な雪だるまが、そっくり返るようにしながら、クエルたちへ手を振っていた。


「げっ、北領公……」


 女性の口から声が漏れる。だがすぐに書類を脇に挟むと、クエルたちとは違う、本物の敬礼をした。


「北領公閣下、学校の方で、人形輸送車の手配をさせていただいたはずですが?」


「ムーグリィはムーグリィなのです。閣下などいらないのです。それに特別扱いも不要なのです」


「あ、あの、人形輸送車は特別扱いではなくて、こちらの保全措置の一環でして……」


 女性は少し混乱した表情をしつつ告げると、ムーグリィの人形であるサンデーを見上げて、怪訝そうな顔をした。


「閣下、そのミノムシみたいな物は何でしょうか?」


 見上げた女性の視線の先、サンデーの掲げた腕から、白い布で覆われたミノムシみたいな物が揺れている。


「スヴェン!」


 ミノムシがクエルの声に反応した。


「親父たちにはめられたんだ!」


 ミノムシ、もといスヴェンが、悲鳴のような声で答える。


「はめられた?」


「付き人と言うのは、選抜の間だけじゃなくて、国家人形師養成学校に入学中の話だったんだ!」


「そうなのです。ムーグリィはスヴェン様とずっと一緒にいるのです!」


「いやだ。絶対にいやだ!」


「照れなくてもいいのです!」


「あ、あの、北領公閣下……」


 女性士官の問いかけに、ムーグリィはそのかわいらしい頬を膨らませる。


「ムーグリィは、ムーグリィなのです」


 それを聞いた女性士官が、うんざりした顔をした。だがすぐにそれを押し殺すと、クエルたちの方を振り向く。


「名簿の確認は終わりました。入学式はこの先の講堂で行います。もう時間はありません。急ぎなさい。ではムーグリィ殿、人形溜まりへご案内します」


 そう告げると、女性士官とムーグリィたちは、馬車溜まりの先へと去って行った。

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