鬼ごっこ

『お願い分かって!』


 フリーダの視線に、セシルが小さく頷いた。


「クエル様!」


 背後でセシルの悲鳴が上がった。


「そんな、ダメです!」


 フリーダはそれに反応するように、ギガンティスごと背後を振り返えろうとして見せた。


 次の瞬間、ガラ空きになったギガンティスの胸に向かって、暗闇の中から馬上槍が突き出される。それは銀色に輝く先端をさらに伸ばすと、ギガンティスの胸へと吸い込まれていった。


 バン!


 何かが割れた大きな音が辺りに響く。ギガンティスの体が受けた衝撃が、繫がったフリーダの心にも痛みと衝撃をもたらす。だがフリーダは歯を食いしばってそれに耐えた。


「堅牢属性持ちだろうが、このアイゼンの穿孔属性の前に貫けぬ……」


 どこかから先ほどの声が響く。だがその声はそこで途切れた。


「貴様!」


「フフフ、捕まえた。昔から鬼ごっこは得意だったのよね」


 フリーダの視線の先には、ギガンティスの胸にめり込んでいる騎士の馬上槍が見えた。


 どんな仕掛けかは分からないが、その槍の先端は最初に見た時の数倍ほどに伸びている。相手の人形の奥の手だ。だが細く伸びた槍の先を、ギガンティスの両手ががっしりと掴んでいた。


「うああああああ!」


 フリーダの口から絶叫が漏れる。フリーダはギガンティスの手に力を込めて腕を引くと、左手を槍から離して振り上げた。


 騎士は盾を掲げようとしたが、伸びた槍が邪魔で盾を構えることができない。


「お前が消えろ!」

 

 クエルを傷つけるなど私が許さない。フリーダの思いがギガンティスへと流れ込み、それが左腕に宿る。フリーダは渾身の力を込めて、ギガンティスの左腕を振るった。


 グギャン!


 左腕が吸い込まれるように槍へと打ち下ろされ、槍と一体になった右腕そのものを押しつぶしていく。槍は右腕ごとギガンティスに引きちぎられた。


「やった!」


 フリーダの口から歓喜の声が漏れる。あとは人形にとどめの一撃を加えれば……。


「やはり素人だな」


 不意に頭上から声が響く。慌てて顔を上げると、高く昇った月を背に、黒い影がこちらへと跳躍してくるのが見えた。その右手には銀色に輝く刃を握っている。


 影はフリーダが乗るギガンティスの背に飛び降りると、フリーダの首筋へ素早く短剣を振り下ろした。


『やられた!』


 フリーダは思わず目を瞑った。頭の中ではクエルを守ってあげられなかった後悔の念と、ギュスターブとリンダが自分を見て微笑んでいる姿が浮かぶ。


 だが首筋に刃が食い込む感触も、そこからあがってくるはずの痛みも感じられない。


「マーヤ様?」


 フリーダの耳に当惑の呟きが聞こえる。目を開けると、短剣の切っ先が自分の目の前で止まっていた。


 その先では灰色の髪と目を持つ、自分とそう年の変わらない少年が、驚いた顔をしてこちらを見ている。


『なぜ?』


 フリーダは呆気にとられた気分でその顔を眺めた。だが考えるのは後でいい。


「ギガンティス!」


 フリーダの呼びかけに、ギガンティスがその巨体を急回転させた。体勢を崩した少年の体が、ギガンティスの上から滑り落ちていく。


『今だ!』


 フリーダはギガンティスを後退させてその姿を探した。


 少年は地面に背中をつけて横たわったままだ。フリーダはギガンティスの腕をその体へと伸ばす。捕まえて、どうしてクエルを襲ったのか、その理由を聞かないといけない。


『なにこれ!?」


 フリーダの口から驚きの声が漏れた。突然に真っ白い靄が足元へと流れ込んでくる。まるで牛乳でも流れて来たかと思うほどの濃さだ。


 靄は地面に横たわる少年の体を隠すと、周囲の木々すらも見えなくなるほどにたち込めていく。


『どこへ行った!』


 フリーダは辺りの気配を伺った。自分の腕の先も見えないほどの靄に、何も捉える事が出来ない。


 不意に一陣の風が吹き、靄が森の奥へと去っていく。木々の間からは再び月の明かりも差し込んできた。


 だがあの灰色の髪をした少年も、彼が操っていた騎士の姿もどこにもない。


 ただギガンティスの右手が握りしめている槍の先が、先ほどまでの死闘は決して夢ではないことを物語っている。


 訳が分からない。フリーダは頭を振った。しかし相手の行方などより、自分にはもっと大事な事がある。すぐにクエルを安全な場所へ運ばないといけない。


「クエル!」


 フリーダはギガンティスから飛び降りると、クエルの元へと駆け寄った。だが数歩駆けただけで、足がもつれそうになる。


「フリーダ様、大丈夫ですか?」


 肩で息をしながらクエルの横に跪いたフリーダを、セシルが心配そうな顔で見つめた。


「私は大丈夫よ。それよりもクエルは?」


 フリーダはセシルにそう答えたものの、砂時計の砂が落ちていくように心から何かが失われて行く。そのため意識をしっかりと保つことが出来ない。


 それに胸からは騎士の槍を受けた衝撃による痛みが、ズキズキと響いてもくる。


「クエル、ちょっとだけ我慢して。すぐに運んであげるから」


 フリーダは横たわるクエルの体に自分の腕を差し入れて、それを上へ持ち上げようとした。だが意識のないクエルの体は、まるで小麦の大袋を抱えるように重くのしかかる。


 その時だ。森の奥で何かが動く音がした。それも一つや二つではない。


「そこにいるもの、両手を上げて名前を告げよ!」


 フリーダたちの周囲に、一斉に明かりが灯った。 


「我々は王都守護隊である!」


「宮廷人形師ギュスターブの娘、フリーダです。こちらは宮廷人形導師エンリケの息子、クエルとその侍従のセシルです」


 フリーダは膝をつくと両手を掲げて答えた。明かりの先で何か動きがあるのが見える。


「ギュスターブ? 例の娘か?」


「お願いです。私達を助けてください!」


 フリーダは力の限り叫んだ。




 天高く上った月が、夜の林の中に立つ二人の人物を照らしている。その一人がもう一人の人物に向けて片手を大きく上げた。


「パン!」


 森の中に乾いた音が響く。甘んじて頬を打たれた人物の背後には、片腕を失った灰色の騎士人形が控えている。その姿を黄色い瞳をもつ少女が、怒りに燃えた表情でじっと見つめていた。


「エーリク、私達の任務は陽動よ。隊を離れて勝手に行動するのはやめて!」


「申し訳ございません」


「本当にそう思っているの?」


「はい。マーヤ様」


 マーヤはエーリクの答えを聞くと、小さくため息を漏らした。


「陽動はほぼ完了よ。相手の主隊の誘い出しに成功。私達はこれから本隊の側面掩護に向かいます。あなたはブスカに合流して退路を……」


「片腕でも、マーヤ様の盾にはなれます」


 パン!


 そう告げたエーリクの頬から再び乾いた音が響いた。


「エーリク、私の言うことを聞いて。私にとってあなたは最後の一人よ。もう誰も私の元から去って欲しくはないの」


「はい。マーヤ様。私はたとえこの身が朽ち果てようとも、決してマーヤ様の元を去ったりは致しません」


「全く分かっていないのね! そもそもなんであんな軟弱者の始末にわざわざ行くのよ」


 マーヤはそれを自分が命じたことも忘れて、エーリクに対し地団駄を踏んで見せる。だが無言で立つ少年を見ると、再びため息を漏らした。


「まあいいわ。それより移動よ。遅れないで!」


「はい。 マーヤ様、ですが……」


「ですが、何?」


「いえ、何でもありません」


「アプサラス!」


 少女の呼びかけに、背後から現れた靄が二人の体を包み込む。そして一陣の風と共に、二人の姿は靄と共に消え失せた。

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