人形の涙 〜 The Master of Marionette 〜

ハシモト

融合

操り人形

主な登場人物


クエル…………人形師を目指す少年。


エンリケ………クエルの父。行方不明。


セラフィーヌ…クエルの母(故人)。


フリーダ………クエルの幼馴染。


ギュスターブ…フリーダの父。王宮人形師


リンダ…………フリーダの母。


スヴェン………クエルの友人。人形技師見習い。


アルツ…………人形技師。スヴェンの親方。


* * *


 クエルは厳重に封印された箱の鍵を回すと、金属の蓋を慎重に開いた。キーンという金属音と共に、真鍮でできた蓋が開く。中には七色の光沢を放つ白い珠が、真紅のビロードに包まれ収められている。


『世界樹の実』


 この世の至宝。これ一つあれば、大きな家が優に一軒立つほどの価値がある代物だ。クエルはそれを慎重に取り出して両手に収めた。


 震える手の中で、それは金属の様にひんやりとした感触と同時に、生きものの持つ脈動も感じさせる。


 クエルは両手をゆっくりと前へ掲げた。その先には、紺色に白い縁取りの侍従服を着た、まだ幼い少女の姿がある。しかしその目を瞑ったままの顔に、生気らしいものは全く感じられない。


 それにあろうことか、少女の侍従服の胸元は大きくはだけられており、そこから僅かな胸の膨らみと、日の光に触れたことすら無さそうな、真っ白な肌を覗かせている。


 クエルは手にした世界樹の実を、そっと胸へと近づけた。そこには人ならあり得ない大きな穴が開いており、ちょうどその球を収めるべき機械仕掛けの台座になっている。


「最後の一つだ」


 クエルの口から思わず言葉が漏れた。深呼吸を何度も繰り返すが、繰り返す度に、むしろ手の震えは酷くなっていく。


 それでもクエルは慎重にその穴へと手を差し込むと、白く輝く珠を台座の上へ収めた。


 バン、カチリ、カチリ!


 珠が胸元に収められた瞬間、機械音と共に、台座の周囲にある歯車やカムと言った機器がいきなり動き出した。


 台座に収められた珠が、金属の保護カプセルに収められて、淡い光を放ち始める。


 クエルは少女から一歩後ろへと下がった。保護カプセルの隙間からは、すぐに目を開けていられないぐらいの眩ゆい光が漏れ出す。


 世界樹の実と人形の接続である「融合」の開始だ。クエルは精神を集中して珠の存在を探した。意識の中で、先程の白い珠が鈍い光を放つのが見える。


 クエルは融合に続く次の段階、世界樹の実と己の精神の接続である「結合」を行うべく、心の中で光る珠に手を伸ばした。そしてそれを両手で包み込もうとする。


『熱い!』


 クエルは意識の中で悲鳴を上げた。実際には触れていないのだが、手が焼け落ちそうなほどの熱さだ。


『拒絶反応!?』


 世界樹の実が自分を拒んでいる。それでもクエルは激しい痛みに耐えながら、世界樹の実に向かって必死に手を伸ばした。だが炎で焼かれたみたいな痛みが体中を駆け巡る。


「ああぁぁああぁあああ!」


 自分の悲鳴にクエルは我に返った。顔をあげると、そこには相変わらず生気の感じられない少女の顔が見える。だがあのまばゆい光はもう何処にも見えない。


 慌てて自分の体に触れると、体中がまとわりつくような汗で濡れてはいたが、自分の手や体には何も異変はなかった。


 拒絶する世界樹の実によって焼かれたのは、クエルの心であって体ではないのだ。

 

 ガシャン!


 不意に小さな機械音と共に、少女の胸元の保護カプセルが開いた。その奥の台座には、白い珠の代わりに、茶色くしなびた何かが乗っている。それは乾いた音を立てると、床の上へと転がった。


「ダメだったか……」


 かつては世界樹の実だったものを眺めながら、クエルは大きくため息をつく。これが最後の一つであり、最後の望みでもあった。


 これが失われてしまった今、父の跡を継いで人形師になるというクエルの夢も、失われてしまった事になる。


 クエルは力なく立ち上がると、黒く厚い布で裏打ちされたカーテンを開けた。その隙間からは、夕刻の黄色い光が部屋の中へと差し込んでくる。そしてクエル以外は誰も住んでいない屋敷の居間を照らし出した。


 その奥にある暖炉の上には、このこじんまりとした居間には似合わない、大きな鉄の盾が飾られている。盾には巨大な世界樹に向かってひざまく人の姿と、飾り文字が刻まれていた。


人形の導師The master of marionette


 この世界で偉大な力を奮う人形師たち。その人形師の中の人形師。マスターと呼ばれる存在に送られる盾であり、父のエンリケが国王陛下から贈られたものだ。


「もう一年だ……」


 クエルの口から独り言が漏れる。かつてクエルは父や母と一緒に、この家で暮らしていた。それが失われてしまってから、どれだけの時が過ぎたのだろう。


 四年前に母が流行り病で亡くなり、一年前に父のエンリケが失踪した。いや、消えてしまったという方が正しいかもしれない。


 父が居なくなった時、クエルには母を亡くした時の様に、それを嘆いたり悲しんだりしている暇は与えられなかった。いきなり現れた国の役人たちにより家中が捜索され、


 クエルも王宮の一角に軟禁される。それだけではない。父の行方について、また父が行きそうな場所の心当たりについて、何度となく尋問され続けた。


 やがて尋問の内容は、父が工房として使っていた地下室の開け方へと変わる。庭に穴を掘るなど、ありとあらゆる手段をとっても、そこには入ることが出来なかったらしい。


 国の役人たちはクエルがそれを教えたら、王女の一人と結婚させるなどと言う、まったくもって現実感がない条件すら示して来たほどだ。


 どのような好条件を示されても、知らないものは知らない。尋問はすぐに脅迫へと変わり、クエルは死を覚悟した。


 だがクエルの軟禁は半年ほどで突然の終わりを迎える。そして主に役人たちが住む一角にあるこの家へと戻ってきた。


 荒らされて何もなくなっていたはずの家は、一見すると元通りになっている。


 だけどここへ自分を連れてきたギュスターブ師、隣に住む幼なじみの父親は、いくつかの物は以前と同じではないとクエルに詫びた。


 そして世界樹の実と、この人間そっくりに作られた侍従人形を渡してくれた。父がギュスターヴに預けていたものらしい。


 ギュスターヴはもし人形師になるつもりなら、これを試してみるといいと告げた。そこから約半年の間、クエルは特に何もすることなく、ただこの家で過ごし続けている。


 その間も父の行方についての噂は耳に入ってはくるが、その大半は開かずの工房で死んでいるのではないかと言うものだ。


 だがクエルは父が死んだとはどうしても思えなかった。それに未だに工房の扉は開かずの扉として、この家の地下室に存在し続けている。その秘密を解き、父の行方を知るには、自分が人形師になるしかない。


 それでもクエルは中々踏ん切りがつかないでいた。父は間違いなく偉大な人形師だ。その父と自分が同じになれるとは到底思えなかった。


 でも自分が人形師になるしか、父の行方を追う方法は思いつかない。クエルの心は水面を漂う落ち葉の様に揺れ続けた。だが一月ほど前、ついにクエルは人形を動かす決心をする。


 クエルはその理由である、居間の卓の上においてあった書類を手に取った。そこには「国家人形師選抜について」と書かれている。ギュスターブが父の品と一緒に、自分に手渡してくれたものだ。


 父のエンリケ同様の人形師を目指すのであれば、この選抜に通って、国家人形師にならねばならない。これは優れた人形師に対して、国家がその身分を保障するものであり、四年に一度しか行われなかった。


 その申し込みの期限は今月末だ。選抜を受けるには人形を動かし、自分が人形師であることを示す必要がある。


 それには世界樹の実と人形が存在するだけではだめで、人形と世界樹の実を融合させ、さらに世界樹の実との結合が必要だ。


 世界樹の実は王家直属の人形庁が管理しており、自由に手に入るものではない。その母体となる人形も、複雑な機械の集合体でとても高価だ。


 なので国家人形師のほとんどは、王宮人形師の家系や、大貴族の師弟などに限られている。


 元々が人形工房の家柄だったエンリケが、国家人形師になれた事。ましてやその頂点である、導師の尊称を得るなどというのは、この世界の常識からすれば、青天の霹靂みたいなものだ。


 しかし父の力を疑う者は誰もいない。父は単なる人形師ではなかった。画期的な人形制作者でもあったのだ。父の作った人形はこれまでの人形とは違い、ほぼ人と見分けがつかない。


 その一方、母のセラフィーヌは庶民も庶民で普通の人だった。なので父が導師だろうがなんだろうが、この家で工房に篭る父の世話をしながら、クエルに愛情を注いでくれた。


 母はクエルが器用なのを見ると、父や自分が知らない祖父の血を引いていると言っては、喜んでくれたのを思い出す。


 だが母が流行病であっさりと死んでしまってから、父は王宮からの呼び出しにさえもまともに応じず、工房へ籠りっきりとなった。


 ある意味、父がいなくなる前から、クエルはこの家で孤独な時間を過ごしていたとも言える。


 クエルは手にした書類を卓の上へと放り投げた。掃除をサボっているせいか、落ちた書類の周りから埃が上がり、夕刻の日差しにキラキラと輝く。


 この家には貴族が使うような侍従人形はいない。父が人形師の中の人形師であったのにも関わらず、母は家のこと一切を、人形に委ねることはしなかった。


 それはこの家における禁忌の様なものであり、母が亡くなった後も続いている。


 最後の人形が少女の侍従姿だったのは、父がこの家のことを侍従人形にやらせようとして、思い留まったせいなのかもしれない。


「売った方がよかったかな?」


 クエルの口から再び独り言が漏れた。世界樹の実はあれで最後だ。別の世界樹の実を手に入れるなんてことは到底無理だし、そもそも3つもあったのに、一つも反応しなかった。


 自分には人形師としての才能など、最初から無かったのだ。だけど今後どうやって生計を立てて行くかは考えないといけない。


 思い出が詰まったこの家も、何れは手放すことになるだろう。父がどこでどう使ったのかは知らないが、この家には大した金は残っていない。だが地下にあれがあるこの家に、買い手など付くのだろうか?


 クエルは頭を振った。間違いなく誰も手を出したりはしない。それにクエルはもうすぐ17で、普通ならとっくに働いている年だ。


 今すぐにでもどこかの工房に弟子入りすべきだが、幼馴染のフリーダを除けば、唯一の友人のスヴェンが働く、アルツ親方の所ぐらいしか当ては無かった。


 あの親方なら父の人形の手伝いもしていたので、弟子入りするには歳が行きすぎていても、きっと受け入れてくれるだろう。


 早速明日にでも挨拶に行く決心をすると、クエルは壁に掛かっていた操り人形を外して、その釣り手を握った。


 クエルの足元で仮面をつけたピエロの人形がくるりと回り、胸に手を当てて挨拶をする。母が10歳の誕生日にくれた操り人形だ。


「こっちなら、それなりに行けると思うんだけどな……」


 人形は見えぬ相手と軽やかに踊り、その相手に膝をついて求愛すると、敗れた恋に涙を流してみせる。だがこの家には、それに拍手を送ってくれる人はもういなかった。


 クエルは深いため息をつくと、手にした釣り手を傍の椅子の上へ放り投げる。急に命が奪われでもしたかのように、ピエロの人形が床にだらりと横たわった。


 窓の外では夕飯の支度に、家々の煙突から煙が上がり始めたのが見える。


『孤独とは、それが訪れて初めて理解するものだ』


 その景色に、前に読んだ誰かの本に書いてあった台詞を思い出す。だが何かを忘れている気がする。


「しまった!」


 クエルの口から声が上がった。今日は隣にある幼なじみのフリーダの家で、夕飯を食べる約束をしていたはずだ。


 フリーダの母親のリンダおばさんは、一人暮らしのクエルに気を使って、いつも食事に来るように誘ってくれる。


 正直なところ、孤独に慣れているクエルとしては、一人でいる事に何の問題も感じてはいなかったが、誘われれば断ることなど出来ない。


 何より遅れて、フリーダの機嫌が悪くなると、とんでもなく煩わしいことになる。


 急ぎ出かけようとしたクエルが、椅子から身を起こそうとした時だ。何かがクエルの足に触れた。


『ネズミか!?』


 クエルは慌てて床から足を上げる。見るとそこにはピエロの人形がいた。


『釣り手は?』


 不思議な事に、ピエロに繋がっている糸はだらりとぶら下がったままだ。けれどもピエロは手を上げると、クエルのズボンの裾を引っ張った。


「なんなんだ!?」


 思わず叫び声を上げたクエルの目に、ピエロの仮面の奥で、そこにないはずの右目が微かに赤く光っているのが見えた。

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