法執行銃『名古屋5号』

カワラザキ

第1話 昭和46年伊勢志摩

 ミロク製の水平二連のショットガンを手にした19歳(少年A)は甲板で空を見上げた。テレビ局のヘリが嘲笑うかのように羽音を立てて飛び交っている。

 何日も寝ていない、なぜこうなったか分からない、どこで何を間違えた?

 無性に腹立たしく無性に悲しく、しかしながら腹から込み上げてくるものは嗤いであった。

 ただ一つだけ確信していることがある。もうこの世に自分の居場所など何処にも無い。


 鳥羽港に浮かぶ旅客船ホワイト号。乗員4人、乗客28人は生命の危機に晒されていた。

 後に伊勢湾シージャック事件と呼ばれる悲劇である。


 午前7時、名古屋市北区を出発したねずみ色の幌トラックは国道23号線伊勢街道をひたすら南下して四日市市を通り抜けた。

 荷台には座席というには粗末な木の板が向かい合わせに這わせてあり5人の警察官が着座している。


「ただいま津市に入りました。あと30分ほどで三重県警本部です。本部長室で着任申告をした後に自ら隊の先導で鳥羽に向かいます。」

 伝令巡査の楠本が言う。雨宮は無言でうなずいた。目は閉じている。


「小隊長、やはり執行は自分に下命いただけませんか?」

 分隊長の金田巡査部長だ。普段は無口で自分から発言することは珍しい。


「ダメだ、君は不測の事態の備えをたのむ。」

「無礼を承知で申し上げます。技能においては自分の方が確かです。大会成績でも負けておりません。これは功名心や自己顕示欲で言っているわけでは‥」

「わかっている。君がそんな男じゃないことは、」

 雨宮は金田の言葉を遮るように言った。静かだが重い。


「俺もその判断が正しいと思う。多くの人命がかかったこの局面ではより精度の高い射手が撃つべきであろう。君の技術は誰もが認めるところだ、間違いなく私より上だ」

「であれば、やはりここは自分が、」

「駄目だ、責任はすべて俺がとる。」

 

 三重県警の応援要請に呼応して愛知県警から特別銃器執行隊が派遣された。小隊長は47歳の雨宮泰造警部補、特に錬度が高い3人の隊員を引き連れての鳥羽入りである。

 任務は精密射撃による被疑者制圧。被疑者は極度の興奮状態のため失敗は許されない。

 部下は金田、高城、清水の3名だが最も優秀なのは金田だ。だが執行(ショット)は雨宮本人が執り行うこととした。


 雨宮は常々思う、狙撃は卑劣な行為である。自分は遠く離れた安全圏に居ながらも不意打ちをもって相手を射殺す。射手に要求されるのは高い技量と氷のような殺意だ。数ある警察業務の中でも唯一事前の殺意が要求される任務である。

 法根拠に担保された職務執行とは言え何をどう取り繕ってもこれからすることは人殺しに他ならない。手を汚すなら責任者の自分が為すべきと雨宮は判断した。

 だが、エラーショットの際のバックアップは金田に託した。


 貸与銃は昭和42年登録の豊和ゴールデン・ベア名古屋5号だ。

 ゴールデン・ベアは戦後に「豊和工業」が開発した国産大口径ボルトアクションの猟銃で名古屋5号は法執行仕様である。

 多くの銃を選別にかけて特に命中精度と集弾性能の高かった5つの中の1つだ。

 執行実包は7.62×51ミリの308ウィンチェスター弾。


 名古屋5号の遊底確認をしながら、雨宮はふと学徒出陣時代を思い出した。昭和19年、国家総動員法により徴兵された雨宮は陸軍兵卒としてルソン島に送られた。当時のフィリピンは制空権、制海権ともアメリカに握られ勝てる見込みなど万に一つも無かった。


 事態を見誤り方針転換を繰り返す大本営、無能なくせに傲慢な司令部、底をついた武器弾薬と食料、ろくな訓練も受けずに送り込まれた新兵は死ねと命じられたのも同然であった。


 大学で農学を学ぶ雨宮は銃に触れたことは無い、しかし38式歩兵銃を手にした日からめきめきと頭角を現したちまち中隊一の狙撃手となる。子供の頃から日置流の弓術道場に通い鍛えた集中力と体幹と呼吸が射撃に応用できたからだ。


 やがて地獄のマニラ攻防戦が始まった。死者12万、アジア最大の市街地戦である。上官は血走った目で叫んだ。

「目に見える奴はみんな便衣兵だ。殺せ、動いている奴は全て殺せ。」

 米兵はもちろん大勢のマニラ市民も撃ち殺した。

「トモダチ、ワタシトモダチ、コロサナイデ、」

 命乞いをする者も雨宮は躊躇わずに頭を撃ち抜いた。雨宮の心はもう戻ることができない場所まで来ていた。


 マニラ市街地中心部の役場に立てこもり米空挺師団とフィリピン抗日ゲリラに包囲されても雨宮は一人撃ち続けた。仲間のほとんどは死んでいる。体が赤く染まったのは敵の血なのか仲間の血なのか自分の血なのかもうわからなくなったころ、立てこもった役場は爆撃を受けて崩壊した。雨宮はがれきに埋まりながら意識を失う。

 今でも当時の感触が粘り気を含んで体の内と外を這いずり回る。そんな思いは若い奴らにはさせてはならない。

「いいか、今からやることはただの人殺しだ。」

 誰にともなく雨宮は言う。

 腕の中の5号は38式と比べて短くて軽かった。


 防波堤から船までおおよそ200メートル。距離だけなら特に問題はないが波とうねりがあって目標は揺れて定まらない。

 少年Aは甲板に立っていた。彼は既に人に向けて発砲している。説得に近づいた母親の乗るボートにめがけて2発撃った。結果として同船の警察官一人が重傷を負ったが幸いなことに死者はまだ出ていない、しかし人質の中には負傷者が複数いるとの情報もあり予断を許さない。


 風が弱まった。午後3時18分、無線機から本部長命令が下された。


 三重県警察本部長からの即時制圧命令、それは被疑者の射殺を意味する。親子ほどの年の差の若者だが逡巡はできない。

 心を殺した。氷のようだった。殺意を煉る。


 この男にだって産んでくれた母がいる。

 雨宮が為すべきは出来るだけ苦しめず、そして出来るだけきれいな状態でこの男の体を母親に返してあげることだ。…胸に決めた。


 3秒後、少年Aは崩れ落ちた。


 150グレンのフルメタルジャケットは胸骨体を無慈悲に貫き心臓を破砕しなお止まることなく胸椎と肩甲骨の間をすり抜け彼方鉛色の海に吸い込まれた。

 四半世紀ぶりの殺しだった。


 見上げた空は海面と同じ鉛色だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る