ギガントアーム・スズカゼ
横島孝太郎
その名はスズカゼ
1.業者の連絡もっと早くするんだったなあ
「では確認させて貰うぞ、加藤一郎。いつからだ? この、畳の隙間から冷気が出るようになったのは」
「二カ月くらい前だよ。さっきも言っただろ」
「今言っただろう、確認だと。それでその間、ずっとここで暮らしていたと?」
「そうだよ? 六畳一間にしちゃ相当に安いし。何より暑かっただろ今年の夏。冷房がタダで使えるなんて幸せじゃん」
「一理ある。が、おかしいと思わなかったのか? ここの床下は電気系統だけだ。冷気なんて出る筈ない」
「だって出たもんは出たんだし、良いじゃん。でもいい加減寒い時期になってきたからさ。観念して大家さんに頼んで、業者呼んで貰った訳よ。するとアンタが来た」
ミスカ・フォーセル。先程受け取った名刺によれば、そういう名前であるらしかった。
金髪。緑の目。尖った耳。黒いスーツ。修理屋どころか、日本人かどうかすら怪しい風体。
視線を落とし、加藤一郎は改めて読む。先程渡された名刺を。
「エルガディア・グループ? 何の会社だよ? 少なくとも修理業者じゃあないよな」
「それに答えるためには、まずこの畳の隙間について説明しなければならないが、宜しいか」
「宜しいよ」
「うむ。では結論から言うと、この畳。この隙間は次元の亀裂だ」
「はぁ?」
「そしてこの亀裂から流れ込んでいる冷気は、そもそもオマケだ。何らかの理由で指向性を持った魔力が、次元の向こうから流れて来ているんだ」
「はぁ」
「恐らくその魔力の筋道上に、冷気をもたらす空間、例えば氷原などが存在するのだろう」
「そうですか」
「ちなみにこの魔力は有害な類のものでな。そんなものに充満した空間で暮らしてた場合、普通の人間は一週間ともたないだろう」
「二カ月暮らしてピンピンしてんですけど?」
「なら普通でないという事だ。体質に感謝するといい。そしてエルガディア・グループとはこうした問題の解決を行う会社であり、僕はそこから来た者だ。君がした連絡が、巡り巡って僕に来たのさ」
「えぇー。芸術的なくらい胡散臭いんですけど」
「だろうな。初対面の人間は八割くらいそんな反応をする。ではその心象と、何よりこの次元亀裂を解決するために」
ミスカは取り出す。持ち手がついた、二股に分かれている金属器具を。
「これを使う。マジック・ディバイダ、有り体に言えば魔法の杖だ」
「どう見てもコンパスなんだが」
「ディバイダだ。コンパスと違って足先がどっちも針になってるだろう。そういう文具だ」
「そうなんだ本当だ、初めて知った」
「もちろんこれは擬装状態だが、このままでもやれる事はある。例えば」
ミスカはしゃがみ、おもむろに畳の隙間へマジック・ディバイダを突き刺す。ねじる。
直後。ばきばきと音立てて、畳と床ごと空間が歪み、口を開ける。
かくて姿を現したのは、螺旋に捻じれた氷の木々が曇天を突き刺す、異邦の地であった。
「このようにな」
「えぇー嘘だろ。なに? VRってヤツ?」
思わず一郎もしゃがみこむ。しげしげ眺める。
穴の向こうに広がるのは、森林地帯、なのだろうか。だが下生えの緑は一切ない。そもそも地面自体が氷なのだ。
見渡す限りに広がる、ぞっとするほど清潔な世界。そこに根を下ろすのならば、なるほど螺旋の氷樹林はこれ以上なく相応しい住人達と言えた。
そんな住人たちの隙間を縫い、一郎の顔へ吹き付ける冷たい風。一郎は目を見張る。
「あっこの冷たさ! この二カ月、たいへんお世話になった冷房と同じ感じだ! 本当だったのか! ありがとう異次元!」
「理解してもらえたようで何より。そしてこちらとしては、何てことしてくれたんだ異次元、と言ったところだな」
立ち上がり、少し下がるミスカ。一郎もそれに倣う。それから聞いた。
「ひょっとしてよくあるの? こういう状況」
「その辺は話せないな。業務上なるべく秘密にしなければならないし」
「あー、だからニュースとかにもならないワケか。でもネットの噂くらいにはなってんのかな」
「いや、もっと直接的な措置をとるからだ」
「へえ。具体的には?」
「関係した者の記憶を消し、痕跡を抹消するのだ。その際の手間を増やさぬためにも、依頼者への情報提供は最小限にするのが義務付けられている」
「ええー何それ怖い。てかそれってつまり俺も記憶消されるんじゃないか」
「気にするな。健康を害した記録は無かった筈だし」
「追跡調査とかが足りてないだけでは?」
「……ふうむ」
「ふうむじゃなくてさ」
「何にせよだ。まずはこの亀裂の問題をどうにかするのが先だろう」
「ごまかした」
「亀裂放置して帰るぞ」
「すんませんそれは困ります寒さが増してる上に穴がすんごい邪魔で布団が敷けない」
「分かって貰えたなら何よりだ。さて」
仕切り直し、ミスカは懐から一枚のプレートを取り出す。スマートフォンと同じくらいの、透き通った一枚板。四辺は銀色の金属で補強されていて、画面内には見慣れぬアイコンが整列している。
「ここから先は僕の仕事だ、キミは下がっていてくれ」
「分かったよ」
一郎は頷く。
それから、穴へ向かって一歩前に出た。
「……? 僕は下がってくれと言った筈なんだが。翻訳の魔法にエラーがあったか?」
「いや多分ないと思うし俺も下がりたいんだけど。何か足というか身体が、言う事を、きかないんだが」
震えながら更に一歩踏み出す一郎。歯を食いしばる表情。何かに何かに抗おうとしている。嘘は無い。
これは一体どういう事か。思い当たったミスカはプレートを操作。室内と、一郎自身の魔力の状況をスキャンする。
結果はすぐに出た。
「なるほど。時に加藤一郎、キミは冷気が噴出していても二カ月間そのままにしていたな?」
「そう、だけ、ど!?」
「その冷気には魔力が含まれていたとも、さっき説明したな」
「そう、です、ね!?」
「どうやらその魔力、キミの体内に深く根差してしまっているのだ。例えるなら、そう、二日目のおでんのように」
「ヒトを大根とかはんぺんとかみたいに言わないで欲しいんだが!?」
「今、キミはその魔力に引っ張られているんだ。どうやら何者かが流出魔力を引き戻そうと躍起になっているらしい。見ろ」
「この状況でなにを!?」
「穴の向こうから細い光の筋が流れてきているだろう。それがキミの中に入っていっている。繋がっているのだ、キミが知らず知らずのうちに取り込んだ魔力と」
「マジかよホントだ痛みも何も無いけどなんか気持ち悪い!」
「それにしてもこの手際の良さ。ひょっとすると魔力を回収したい何者かは、次元亀裂が広がるのを待っていたのかもしれんな」
「詳細な分析ありがとうよ!だけどそんな悠長な事言ってないで助け」
(よし、だいたい掴んだ!)
「は? 誰? って、あ」
更に一歩。
一郎は、次元の穴に入り込んでしまった。
足が、地を離れる。
なおこの時、ミスカとて指を咥えて見ていた訳ではない。プレートを操作して魔力を操り、どうにか吸引を阻止できないか躍起になっていたのだ。間に合わなかったが。
「う、お!?」
どうあれ、凄まじい勢いで吸い寄せられる一郎。その吸引力は凄まじく、何と地面に足がつかない。捕まる場所もない。
「うあああああああああああ!!!」
これでは学生時代、修学旅行で乗ったジェットコースターの方がよっぽどマシだった。ありがとう安全基準。今こそ来てくれ安全基準。
一郎の脳内の冷静な部分がそんな所感を述べた頃、またしても誰かの声が思考を横切った。
(何がジェットコースター? ……って)
前方。氷の木立の向こうに見える人影が、そのように喋った。理屈は分からないが、一郎はそう直感する。
目を凝らす。赤い短髪の、少年だろうか。片手に何か棒状のものを持っており、先端から光が絶えず流れ出ている。アレだ。あれが一郎を引っ張っているのだ。身体に浸透した魔力ごと。
加えてこの光の線、互いの思考をある程度やり取り出来てもいる。先程から脳内で聞こえる声の正体がそれだ。だから赤髪の少年は、自分が釣り上げたものが単なる魔力塊でない事を瞬時に理解した。
「わーっ! 緊急、停止!」
少年が叫ぶと同時、一郎の吸引速度はみるみる減速。やがて二メートル程手前で完全に止まる。最後にようやく仕事を思い出した重力が、一郎の体を地面に落とした。
「あいだッ」
「あ、危ないところだったぁー。大丈夫ですか? と言うかアナタは誰ですか? そもそもどうしてギガントアームの魔力と一体化してるんですか? 普通ならヤバい事になると思うんですが大丈夫ですか? うわッ気になって来たなあどうしよう」
「……大丈夫じゃない。加藤一郎。魔力の事は俺が知りないくらいだ。そして盛り上がる前に、手を貸してほしかったんだが」
答えながらなんとか体を起こす一郎。冷たい地面に辟易しながら顔を上げた彼は、ようやく自分を一本釣りした相手をまじまじと見た。
身長は一郎より頭一つ小さいくらいだろうか。燃えるような赤い髪と、対照的な青く大きな瞳。困惑三割、好奇心七割と言った表情が、ミスカとはまた別方向の変な奴らしい事をありありと告げている。
「で、何なんだキミは」
「あ! そういや名乗ってませんでしたね。僕はジットと言います。どうぞ」
「どうも」
差し出された手を取り、ようやく立ち上がる一郎。思った通りに頭一つ低いジットは、一郎を見上げながら首を傾げる。
「カトウイチロウ……察するに、地球から来た方ですか?」
「そうだよ、てか分かるんだ? 異次元の人なのに」
「そりゃもう。昔からの観測対象ですから」
「なんだそりゃ。まあいいや、分かるんだったら話が早い。その通り、地球の日本から来たというか、釣り上げられたんだ。腕のいい釣り人に」
「そ、そこはホントにすみません。けど、どうしてアナタの体にギガントアームの魔力が? そもそもどうすればそんな事に?」
「それはだな」
「流入していた次元の亀裂のすぐ近くで、長期間寝泊りしていたからだ」
答えたのは一郎ではない。ジット共々、二人は声の方向を見る。
そこに立っていたのは黒いスーツを着た涼しい顔の男、即ちミスカ・フォーセルであった。
「お前、一体どうやってここまで? 相当な距離を相当なスピードで引っ張られた筈なんだが?」
「ああ、答えはそこにある」
「どこ」
ミスカが指差す先を見れば、相変わらず捻じれた木々が立ち並んでおり。
うち一本の根元に、先程見た気がする空間の裂け目が、口を開けていた。
「えっ何あれ。俺の部屋が見える……って事は畳の隙間にあったヤツ? 次元の裂け目って動くもんだったの?」
「ああ、座標をこの地点に繋ぎ直したんだ。魔力のデータは収集済みだったから、亀裂越しとは言え探知にはそれほど困らなかったしな。ただ」
ミスカは、ジットに視線を向けた。
「この一帯。探知を攪乱する魔法が展開されているな。繋ぎ直す前の裂け目がその外にあったら危なかった」
「サラッと怖い事言うね」
「そして察するに、キミが次元の裂け目を、ギガントアームを隠していたと言う事か?」
「……そうです。こちらにも目的がありまして、世間の目に触れさせる訳にはいきませんでした」
「ふぅん。つまりこの夏を快適に過ごせたのはキミのおかげって事か? ありがとう」
「夏?」
「その話はいいだろう。それよりアレを、ギガントアームをどうする気なんだキミは」
「それは」
言い淀むジット。冷たく見据えるミスカ。どうもこの二人も一郎と同じく初対面であるらしい。
よくよく見れば服装からして雰囲気が違う。ジットの服装は何と言うか、作業用ツナギに似ているのだ。こうしてスーツのミスカと向き合っていると、何というか営業部と開発部のようである。
「連絡不行き届きかねえ……うあー嫌な思い出が」
頭を振り、あの安部屋へ越すしかなかった記憶を追い出す一郎。現実逃避も兼ね、視線を動かす。木々の奥、ミスカが指差す方向へ。
「……なんだ?」
そして、見た。逆光に輪郭を黒く染める、なにかを。
氷の大地に深々と突き立った、一振りの巨大な剣を。
同時に、理解した。
あれは、俺なのだと。
「いや、いやいや。そんなバカな」
「なんだ、どうした」
一郎につられ、同じ方向を見るミスカとジット。そのまま見上げる。面白くもなさそうに。
そう。
その剣は、巨大なのだ。
優に二階建ての建物くらいの大きさはあるだろうか。やや反りの入った抜き身。辺りに広がる氷森よりも、なお冷たい輝きを讃える青い片刃。
だが一郎の目を釘づけたのは、その鋭さではない。
「あれは、日本刀じゃねえか」
「あ、詳しいですね加藤さん」
「それはそうだろう。何せ畳に繋がっていたわけだからな、次元の亀裂」
「いや、それよりも! なんなんだコレ!? このバカでかい刀は!?」
「何だも何も。そもそもコイツが元凶だよ、キミの部屋に冷気と、有害な魔力を吹き込んでいたのはな」
「えっ。これが!?」
改めて、一郎は冷静に観察する。目を細め、逆光を掻い潜る。
そうして細部まで見てみると、それは一郎の知るどんな日本刀とも似つかぬ形状をしている事が分かった。
まず鍔が大きい。厚みも相当にあり、そもそも四角い。見方によってはレンガを貫いているかのよう。
刃自体も厚く太い。よくよく見れば刀身にはパズルを思わせる奇妙な亀裂が複数走っており、これが日本刀のカタチを模した何かである事を雄弁に物語っている。
では、その正体は? こんな巨大である必要性は? そもそもどうしてこんな寒い場所にある?
疑問は尽きない。だが辛うじて一つだけ分かった事を、一郎は口にした。
「送風機がついてるようには見えないが」
「確かについていたら驚きだが、そもそも忘れているようだな。キミの部屋に入り込んでいたのは魔力であって、冷気はそのついででついて来ただけだったと」
「あ、そう言えば」
「このカタナ。こちらの世界ではギガントアームと呼ばれる兵器の一種なのですが、現在大規模な問題を引き起こしているのです」
「問題?」
「……ここからでも見えますね。アレです」
やや表情を曇らせながら、日本刀とは逆方向を指差すジット。一郎は目で追う。
氷の山々が作り出す稜線の上、まばらな雲が流れる空。文字通り空気が違う異界の青。その只中を切り裂くように、屹立する白色が一筋。
「なんだ?」
最初に連想したのは東京スカイツリーだ。だが違う。手前の山の対比から考えて、明らかに大きさのレベルが違う。
それは途方もなく巨大で、途方もなく長大な、光の柱であった。
「へぇーでっかいなあ。この世界特有の蜃気楼? なのか?」
「違います。明確な実体がないという意味では、ある意味そうかもしれませんが……そうですね。軌道エレベーター、というものをご存じですか? 」
「名前だけなら」
「なら話は早い。あれはそのようなものです。もっとも、実際にはまだ宇宙へ至っている訳ではないようですが」
「はぁ。で、それとあのデカい刀と、なんか関係があるのか?」
「そりゃもう大アリです。全てのギガントアームは、あそこからやって来たのですから」
「全て? って事はこの世界、あんなデカい刀が他に幾つもあるのか」
「そうなります。もっとも、どれ一つとして同じ形のものはありませんが」
「何でまた」
「さぁ? 作った連中しか知らない何かがあるんでしょう。どうあれギガントアームは各地にばらまかれ、突き立った地域ごとに災禍をばらまき始めた」
「ウチには程よい冷気がばらまかれ始めたんだが」
「だから普通はそうならないんだよ」
「じゃあどうなるんだよ普通は」
「書き変わるのです、周囲一帯が。あの忌々しい軌道エレベーターもどき――魔法大国エルガディアの目論む通りに」
「ふうん。良く分からんけど、何となく危ないもんらしい……ん?」
エルガディア。ジットの口から出たその単語に、一郎はなんだか覚えがあった。
「さて。状況はともあれ」
次元の穴に関する問題は解決したのだから、ひとまず僕達は戻ろうじゃないか。ミスカがそう言い終えるより先に、一郎は気付いた。声を上げた。
「あ! そうだよコレだ! さっき貰ったコレ!」
一郎は取り出す。畳の穴が広がる前、ミスカから渡された一枚の名刺を。
四角い紙片の中にはミスカの本名であるフォーセルに加え、所属組織の名前も記載されていた。
即ち、エルガディア・グループの記述が。
「エルガディア! やっぱそうだよオマエんトコのヤツだったのか!?」
ミスカと名刺を交互に見やる一郎。対するミスカは無言。形の良い眉が僅かに歪む。
「どういう事です? 加藤さん。まさか、このミスカという方、エルガディアの関係者なんですか?」
「らしいぜ? そう書いてある」
「な」
ジットの驚愕は、すぐさま敵意へと取って代わる。
「なるほど。向こう側から痕跡を辿って、こちらを突き止めた訳ですか!」
杖を構えるジット。先端の光が強まる。意志に呼応しているのか。
対するミスカもディバイダを持つ手を上げ。
「いや待った。待った待った」
しかし二人が動くよりも早く、一郎が割って入った。
「ちょっ、邪魔です!」
「ああ、邪魔してるからな。剣呑になってるようだけど、その前にさ。何か聞こえないか」
「何か?」
「音が?」
「ほら、あっちの空から」
何か、飛んで来るような音が。
一郎が言い終えるよりも先に、それは現れた。
ごう、と。
移動に伴う余波だけで氷樹の枝葉をばきばきと揺らすそれは、しかし鳥でも飛行機でもない。
強いて言うのであれば。
それは、人の形をしていた。
それも、おそろしく巨大な。
「ん、な」
巨体が飛び去った先を、一郎は目で追う。
巨人はそれ程離れていない位置で、背中を向け静止していた。
「なんだ、あれ」
人の形をしたなにかの全長は、二十メートルくらいだろうか。シルクハットにも似た長細い頭部。全身を包む深緑色の装甲。大きさと言い角ばり具合と言い、鎧甲冑よりむしろ戦車や装甲車を連想させる。
とはいえ履帯やタイヤの類は見当たらない。代わりに目を引くのは、背中と足裏から絶えず放たれている白い光だ。どうやらあの光が浮遊能力を生み出しているようであった。
「あれもまたギガントアームの一種だ。型式は……グラウカか」
呟くミスカ。表情は一層険しさを増していたが、構わず一郎は聞いた。
「なんなんだあの、お台場や横浜にありそうな巨大ロボは」
「災禍ですよ、あれも。エルガディアからばらまかれた、ね。でも」
二度、三度。件の巨人――グラウカとやらの動きと、ミスカの様子。二つを見比べたジットは、意外にも杖を下ろした。
「……どうやら、アナタの味方と言う訳でもなさそうですね」
「そうなのか? でもあのデカブツ、さっきエルガディアから来たって言ったじゃないか」
「だからこそです。向こうからすればこの日本刀は、原因不明で行方不明になったギガントアーム。ミスカ・フォーセルさん、でしたか?」
「ああ」
「もしアナタがギガントアームを探しに来たのだとすれば」
もう一度、ジットは見据える。未だ中空で浮遊し、何かを探して地表を見据えている巨躯を。
「僕達へ接触する前に上空へ合図を打ち上げて、グラウカを誘導してもおかしくない。なのに向こうはこちらを探している。僕の隠蔽魔法が生きているからです」
「ああ、だからずっとキョロキョロしてるのか。因みにその、隠蔽? どれくらいの広さがあるんだ?」
「この森、全てです」
「へぇー。じゃあ相当広い感じなのかな。ほっとけば別のとこに行くかもだ」
「そうなる筈です。この二カ月、ああした偵察の無人機が現れた事は何度かありましたし」
「そうかあ。良く見りゃ全然別のとこ見下ろしてるし、安心……」
言いつつ、一郎は見やる。グラウカと呼ばれた巨人が見下ろしている場所を。
そして気付く。そこは確か、自分が釣り上げられた穴が最初にあった場所ではなかろうか。
「あのう、ミスカ・フォーセルさん」
「何だ、加藤一郎」
「僕は魔法とかまったく詳しくないんですけど。強力な魔法を使ったら、痕跡とか残ったりするものなんでしょうか」
「それは勿論。火を燃やしたら煙の臭いがこびりつくように、強い魔法であればある程痕跡は色濃く残るものだ」
「そうかあ。じゃあ、次元の裂け目を繋ぎ直すような魔法はどうなんでしょう? 強いのでしょうか、痕跡」
「勿論だ。異なる世界を強引に繋ぐのだから、それはもう大量の魔力、が」
そこで、ミスカも気付く。振り向く。背後に立つ捻じれた氷樹の根元。
未だ一郎の部屋と繋がっている次元の亀裂が、そこにあった。
「あっ」
「ぼくは魔法に関してはまったくのド素人なんですが、なんだかとってもよくない感じがします」
「だ、大丈夫ですよ! 僕の遮蔽は完璧です! 二カ月間あの巨大な刀を隠し続けて来たんですよ!?」
「そ、そっか。やや不安になるけど大丈夫だと思い込もう」
「いや、どうだろう」
「冷静に水を差さないでほしいなあフォーセル君」
「例え遮蔽魔法の中だったとしても、大規模な魔力の変動があれば遮蔽の幕そのものを揺らがせてしまう場合がある」
「どういう事」
「例えるなら、遮蔽魔法とは壁紙だ。その下にある壁がひび割れていたとしても、張った者でない限りはまず分からない」
「バラさないでほしいなあ俺の部屋の事情」
「それはただの偶然だが。どうあれ何らかの理由で壁が崩れれば、壁紙が破れて中身が出る。あるいはそこまで行かなくても変形する」
「でかい地震とかあるとどうしてもね。じゃあさっき次元の穴開け直したのが地震になると」
「そうなる」
その時、不意に。
三人の頭上へ、影が差した。
見上げる。目が合う。長細い頭部の中央。スリットの奥で赤い輝きを讃えるモノアイ。
辛抱強く哨戒を続けていた巨人――グラウカが、一郎達の頭上に移動して来ていたのだ。
「時に、加藤一郎」
「何だ、ミスカ・フォーセル」
「キミは部屋に帰って来た時、壁紙が妙に膨らんでるところを見つけたら、どうする」
「そりゃまずは、良く見るかなあ。まじまじと」
「成程。次は?」
「突っついてみたりするかなあ」
などと、一郎が答えた直後。
グラウカが右腕を地面へ向ける。上腕部装甲が展開し、現れたのは四つの口を備える円筒形。
どう見ても機関砲であった。
「げえっ」
と一郎が呻く間に、二つの事が同時に起こった。
一つ目は、グラウカによる氷樹林への無差別射撃だ。浅く、広く、ばら撒かれる銃弾は轟音と共に氷樹と遮蔽魔法の膜を引き裂いていく。
二つ目は、ミスカの疾駆だ。迷いないスプリントで一郎を目掛けると同時、マジック・ディバイダの偽装を解除。文具は魔力光となって一旦分解し、再結合。
一郎の傍で立ち止まると同時、ミスカの右手に現れたのは青色をした円形の盾。いわゆるバックラーと呼ばれるそれを、ミスカは上空へ向けて構える。
「プレート! 防御フィールド展開! ここにいる全員だ!」
「了解。防御フィールド、広域展開します」
「えっ誰!? 誰今の!?」
一郎が驚いている合間に、ミスカの盾から放たれる一筋の光。一メートル程上方に伸びたそれは、程無く噴水じみて幾本にも分割。三人を包み込む半透明の光壁を形作った。
「誰でもない。今のは、コレが喋ったんだ。僕の音声コマンドを認識してな」
更にミスカは左手を掲げる。見ればその左肘から先は、銀色のガントレットが装着されているではないか。しかし何より一郎を注目させたのは、上腕部分に埋め込まれている液晶画面のようなものだ。
四辺を金属で補強された、透明の一枚板。ミスカが呼んでいた「プレート」とはまさにこれの事であり、スマートフォンのような便利機能の他、音声によるコントロールが可能な魔法のプラットフォームである訳だ。
「とりあえずの防御はこれで良しとして」
どうする。どう対処する。逡巡するミスカ。
結論が、出るより先に状況が動いた。
「ダメ、か!」
唐突に叫ぶジット。見れば掲げた杖の先端、灯る魔力光が激しく明滅しているではないか。
ミスカには解る。あれはこの一帯を包む遮蔽フィールドをどうにか保たせようとしているのだと。
けれども今当人が言った通り、それは無意味な努力となった。
「う」
呻く一郎の耳に、空の割れる音が突き刺さる。グラウカの攻撃で遮蔽フィールドが崩壊したのである。見上げれば透明なガラス片のようなものが舞っており、それらは風に追い散らされて消えていく。遮蔽魔法の残骸だ。
かくて障害を取り払った巨人は、二つのものを発見する。
一つはこの二カ月間行方不明になっていた、異界の武器を模したギガントアーム。
一つは足元で蠢いている、遮蔽フィールドの主と思しき者達の姿。
優先すべきは、勿論足元の掃除であった。
故にグラウカは、先程氷樹林を薙ぎ払った右腕部機関砲を足元へ向け。
引金を引く直前、眼前に現れた存在に目を見張った。
それはガントレットとバックラーを装着した、黒いスーツ姿の男。即ちミスカ・フォーセルであった。彼は一息に、グラウカの目線と同じ高度にまで跳躍したのである。
「しゅッ」
鋭く短い呼気と共に、繰り出されるは回し蹴り。グラウカの横面へ突き刺さる一撃は、轟音と共にその巨体を地面へ叩き落した。
割れ砕ける氷樹。吹き荒れる衝撃。現実感に乏しいものはアパートの部屋に居た頃から散々見て来た一郎だったが、今繰り広げられるこの光景はそれまででもとびきりであった。
「なんて身体強化……やはりエルガディアの魔法はモノが違う……」
目の前の戦闘を真剣に分析するジットを横目に、一郎はぽんやりと思った。
業者の連絡もっと早くするんだったなあ、と。
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