第18話 ティンダロスの猟犬再び 後

 ホールに入ってあれこれやってると、天井から獣の唸るような声が聞こえてくる。

「なんだ、この唸り声………」

 ジークは警戒しているが、奇妙な事にその声は次第に大きくなり、辺りには膿の匂いに似たひどい悪臭が漂い始める。


「あれ、何だ………?」

 俺が指さしたのは天井だ。天井と壁の角にうねるように蠢く影が見える。

 その影はキュービズム絵画で描かれるような奇妙な角ばった鋭さを持ち、その姿を四足の獣、人型、黒いもやなどへと変えていく。

 そしてまるで狩りでもするかのように、俺達の周りをグルグル回り始めた。


 獣は標的をグランに定めたようだ。

 とっさに助けようとしたのだが、彼は恐ろしい影に包まれ、苦しみの声をあげながら天井へと連れ去られて行く。

「お前ら、逃げろ!」

「生きてたら必ず助ける!」

「逃げるんだ!」

「ダメだ!誰かにかばわれるのは嫌なんだ!」


 天井を「通り抜けた」様に連れ去られてしまうグラン。

 天井には、大きな人型の染みが残るだけだ。

 今のは正気度に結構来たぞ………。

 生きててくれよ、かばわれるのは大嫌いなんだ。


「………ジーク、グランが「通り抜けた」のと似たような染みが3つある」

「あー、確かに」

「これって血痕だよな?」

「そうだな。何か気になる事でもあるのか?」

「いや、これ医学的に見ると1週間ほど前のものなんだわ」

「男の悲鳴ってやつか」


「ここで取引してて………襲われたんじゃないのか、シリュッセさんよ」

「ああー、で、部下を盾にして取りに来たってか」

「私は知らん!これはあくまで違法取引の証拠の押収であって………!」

「何回か言ったけど、あんたは尾上家の私兵であって、官憲じゃないからな?」


「そうだな、それ、ここから出たらちゃんと魔帝庁に提出しなよ?」

「自分で試そうとは思うなよ!」

「………わかった」

 燃え尽きたようになったが、この際それは関係ない。


「まだ一緒に行動するつもりなのか?」

「大事な部下が得体のしれない怪物に連れ去られたんだ。上司として、助けに行かねばならないだろう」

 嘘臭いが、探索する理由ではあるか………。


 それよりも、ホールでの恐るべき影との遭遇後、開いていたはずの扉まで閉まっている。要は玄関が閉まっているのだ。どうなっているのか?

 触ったら鋭い痛みが走った。これは………閉じ込められたか?

 強行突破はロクな事になりそうにない。やめておく方がいい。


 ドアを観察してみると、玄関やドアに使われている木材に青い膿が染み込んでいる。

 多分、蹴ったりすると、大量に出て襲いかかってくるだろう。

「まあ、携帯は使えるようだし、ここは気楽に行こう!」

「雷鳴ってポジティブだよなー」

「こういうのでネガティブになったらおしまいだからな」


「しかし青い膿といえばティンダロスの猟犬なんだが………あいつが分泌する青い膿だけしか見てないな。本体がどこかにいるのかな?」

「スマンな、雷鳴。俺にそういう知識がなくて」

「いや、味方が一人でもいるのは心強いぞ。できたら基礎本を読んで欲しいけど」

「ああ、考えとく」


 とりあえず、食堂、台所、浴室には何もなかった。

 制限空間なら使える物もあったんだけど、ここは解放空間だ。


 使用人のものとおぼしき部屋がある。

 部屋はまるで獣が暴れたように荒らされ、床や壁には血の跡が残っている。

 ん………なんかあるな。埃の中から小さなノートを発掘した。

 料理のレシピや、愚痴なんかが書いてある。

 屋敷で住み込みで働いていたメイドのものだと思われる。

 屋敷の主人に対する不安が描かれたページが目に入った。


 メイドのメモ。

 この家はどこかおかしい。

 奥様やお嬢様はいい人だけど、旦那様は家の繁栄の為と言って犬を殺している。

 しかも、今度は怪しげな骨董屋から妙なものを買って何かの準備をしている。

 怖い。何かおぞましい事が起こりそうな気がする。


「役に立ちそうにもないメモだな」

「けど骨董屋から何を買ったのかは気にならないか?」

「そう言われると、そうだな」

「ジーク、こういうのに目端が効かないと後々困るぞ?」

「その通りだ、勉強が足りないな………」


 次は書斎だ。

 典型的な書斎だな。作業机、応接机とソファ、本棚がある。

「お?これとか、新しい版が親父の書斎にあったな」

 経営書や実用書だな。それと一緒に魔術書の類もある。

 自身の財産を増やすための呪術や儀式についてまとめられたものだ。


 俺は資料の中から、屋敷の主人が魔界の極北―――悪魔の住まない地で発見された「高価な水晶」を骨董屋から買い入れていることをつきとめた。

 メイドのメモにあった「怪しげなもの」だろう。

 購入の書類に主人がメモを残している。


 主人のメモ

 ついに犬神が棲まう冷たい宇宙へのカギを手に入れた!

 これを持って「門よ、開け」と念じれば、犬神への道が開かれる。

 青き血は私に永遠の命、空間と時空を超える力、そして富をもたらすだろう!


 ティンダロスの猟犬と犬神を一緒にするなよ………頭痛がしてきた。

 ジークにこの情報を告げると、頭を抱えてしまった。分かるぞその気持ち。


 次は子供部屋だな。鍵がかかっていたのでちゃっちゃと開錠した。

 見つかったのは日記だ。


 子供の日記(抜粋)

 〇月〇日

 お父様がまたあの怖い儀式をやっている。

 おうちの商売が上手く行ってないみたい。

 あんな呪いみたいなことをなぜ、どんな意味が。

 お金がなくてもみんなが一緒なら幸せなのに。

 〇月△日

 お父様の様子が昨日からおかしい。

 お夕飯の時もまるで犬みたいに食べるし、生肉を沢山所望する。

 お話の「犬神持ち」になったみたいで怖い。

 〇月□日

 見てしまった!体が角ばった鋭い形に変わっていたり。

 時々別のどこかに消えてしまったみたいに、消えたり現れたり。

 元のお父様に戻って………!

 日付無し

 かせいふさんもたべられた。かべをぬけておとうさまがおそってくる。

 おかあさまはうえににげた。どうかたすかって。

 だれかもんをひらいてうみをうちゅうにすてて。

 たすけて。


 うん?要は門とやらを開いて、膿を宇宙に放逐してくれということか?

 そのカギが冷たい水晶、でいいのか?今までの情報からすると。

 なら、冷たい水晶を探しに行かないといけないな。


 次は寝室だ。なぜかと言うと、気温が他より低かったからだ。

「ジーク、冷たい水晶を探してくれ」

「わかった、今までの情報からして、それがカギなんだな?」

「そういう事だ。吞み込みの早い相方で助かるよ」

 実際ジークは単純だが、俺が言ったことはすぐ吸収する。

 Aクラスなんだ、これぐらいは出来て当然なのかな?


 寝室に備え付けられた洗面室から冷気が漂ってきているように感じる。

 洗面所に入るとより強く冷気を感じた。

 冷気は洗面所の天井の換気口から流れていることが分かる。

「『念動』で屋根裏っぽい場所への穴をあけるぞー」


「おう、じゃあ俺が『浮遊』かけるから、屋根裏に行こう。何かドキドキするな」

「屋根裏って言われるとそうなるよな。でもこの先多分ろくでもないぞ」

「マジかよ、この家の怪物に責任を取ってもらおう」

「ああ、それいいな」


 屋根裏に入ると、数多くの白骨化した死体を発見した。まあそれはどうでもいい。

 屋根裏はまるで冷蔵庫の様で、死臭はあまりしないのはありがたい。

 さらに進むと、大きな人が倒れているのに気付いた。

「グランじゃないか!本当に生きてたんだな!良かった!」

「すぐに回復魔法をかけるからな」

 俺たちはグランを救助した。


 グランをジークに預け、俺は冷気の発生源を探す。

 すると、高級だったろう衣服を身につけた女性の白骨死体を見つけた。

 血文字を残しているようだ。

 「もんはかみだなのかがみ すいしょうはかぎ あのひとのまえでひらいて」


 彼女は白骨死体となっても、水晶を手放さなかったようだ。

 俺は慎重に、ハンカチで水晶を持ち上げた。

 この水晶は、俺でも多いと思うレベルの魔力をため込んでいるようだ。

 ただ『勘』だが、それでも足りずに、俺の魔力も消費しそうだなと思う。

 邪神系の呪文の扱いづらさは、魔力を多く要求してくるところにもあると思う。


 さて、ジークを人質にして俺を脅そうとしたシリュッセさん。

 ジークに全く能力が及ばず縛り上げられているが。

「残念だったな、学生と言っても高能力者の卵なんでね」

「な、なんで未成年者にこれだけの力が………」

「あの学園の高等部Aクラスなんだ。気付けよ」

「今日の事は尾上家とキッチリ話し合わせてもらうからな」


 そんな話をしていると、シリュッセの後ろにある部屋の角から、あの恐るべき影が浮かび上がる。その影はキュービズム絵画のような、角ばった鋭い形を現したかと思  うと、青い膿にまみれた猟犬とも思えるおぞましい姿に変わる。

 結構正気度が削れた気がするが、狂気に陥るには届かない。


 鏡をかざし、水晶を持って「門よ開け!」と叫ぶ。

 すると、銅鏡は強い光を発し、その向こうに宇宙を映し出す。

 その光に反応した青い膿は、鏡の中に吸い込まれていった。

 犬神憑きのものだけでなく、屋敷の木材に潜んでいた大量の膿も銅鏡に吸い込まれていく。


 しばらくすると銅鏡の光は消え、その鏡面はひび割れて砕け散ってしまう。

 水晶の魔力も空になり―――これは普段から魔力を蓄積するようにしておけば使えそうだ―――常温に戻っている。


 犬神憑きのいた場所には、コロンが気絶して倒れている。

 特に怪我とかもしていないようで、良かった。

 ミーナに返した後、俺とジークは異空間病院だな。


 犬1匹助けるために、ここまでややこしいことになるとは思わなかった。

 まあ、病院ではジークの隣だし、友情を深めておこう。


 あと、ロクでもない警備員を雇っていた尾上家には、よく言っておく事にしよう。

 相手の力量も計れない警備員なんていらない。

 グランの方を推しておくことにしよう。


 水晶に魔力を蓄積するようになったら、寒くなったとモーリッツに言われたので、血の保管庫にでも置いておくことにしよう。

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