リヒテンシュタイン家 五

---まえがき---

2話同時更新です。

1つ前のお話を確認下さい。

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 精霊殿と今後の約束を確認して、子爵はホクホク顔で店を出て行った。


 店内では店主がザック氏と共に生存を喜んでいる。


 貴族と平民のパワーバランスを垣間見た気分だ。


 結果的に我々は、彼の命を助ける運びとなったらしく、再三に渡って感謝の言葉を伝えられた。そこには当然のように御礼の品なるものも含まれる。同店がお酒を扱っていることからも、送られたのは大量のお酒だった。


「おぉっ! これも美味しいなっ!」


 おかげで精霊殿はめちゃくちゃ機嫌がよろしい。


 店の奥に用意された来客スペースで、バカスカとボトルを空けている。結構な勢いでお店の商品を消費しているのだけれど、店主はこれといって困った様子もなく、次々と棚に並べられたお酒を彼女に紹介していた。


 きっと根っからの善人なのだろう。


 今後とも生きて行くのに苦労しそうな人だ。


「すみません、精霊殿がお知り合いに迷惑を掛けてしまいました」


「い、いえ、そんなことないですよっ!」


 店長に声をかけると、やたらとかしこまったふうにお辞儀をされた。


「これは彼女が飲んだお酒の代金になります」


 取り急ぎ、金貨を一枚お渡しする。


 日本円で百万円前後の価値がある。酒屋のお酒となると、ボトルによっては二桁万円するようなものも普通に見られることだろう。過去に店頭でシングルハーフ五千円を要求された経験を思えば、妥当な額ではなかろうか。


「そんな滅相もないっ! むしろ助けられたのはこちらですから」


「そうは言っても、貴方が一方的に損をしているだけでしょう。彼女は放っておけば、一樽くらい軽く飲んでしまうザルですから、こちらは受け取っておいて下さい。幸い我々は金銭的に余裕がありますので」


「そ、そうでしょうか?」


「ええ、そうなのです」


「……お心遣い、誠に感謝いたします」


 深々と頭を下げて、店長はこちらの差し出した酒代を受け取った。


 代金分は精霊殿の洞窟にあるエルフ酒を呑みまくって元を取ろうと思う。元々は彼女がエルフたちの造ったお酒をかっさらったことで、市場に流通するロットが少なくなったのが原因なのである。たぶん。


 あぁ、そう考えると殊更に毟り取らねばという使命感に駆られる。


「ザックもありがとう。君が連れてきてくれた方々のおかげで助かった」


「いや、こっちは偶然居合わせただけなんだけどさ」


「このお礼は必ずするよ! 本当にありがとうっ!」


「しかし、貴族様を相手に仕事をしていたとは、大したものじゃないか」


「偶然からエルフのお酒を仕入れる伝手ができたんだ。それでも元々は近所の酒屋に卸していただけで、まさか貴族様を相手に商売を始めるなんて考えていなかったよ。どういった経緯があったのか、あちらの子爵様のお耳に入ったみたいでさ……」


 ザック氏と酒屋の店主も穏やかな調子で言葉を交わしている。


 どうやら万事解決といった様子である。


 しかし、この調子だと精霊殿の信仰心が我らが神様に向かうか否か、些か不安である。建前だけ祈りを頂いても、こちらの肉体が変化しないことは、過去の経緯から判断がついている。そして今回は物々交換で、目当ての品を手に入れてしまった彼女だ。


 やっぱり、無理だよな。


 きっと、無理だよな。


 あぁ、絶対に無理だ。あのアル中が相手では。


「おいこら! オマエも飲めよなっ!」


 そうこうしていると、精霊殿はこちらのエルフにまで絡みだした。


 どうやら呑み相手が欲しいらしい。


 なるほど、誘われてしまったのであれば仕方がない。


「仕方がないですね……」


 渋々と言った雰囲気を装いつつも、内心はルンルン気分である。


 だって本当は自分も呑みたかった。


 昼酒、最高。




◇ ◆ ◇




 酒屋での一件から数日、我々は依然として同店に入り浸っていた。


 伯爵からの連絡を待つ以外にやることがないので、精霊殿に請われるがまま、連日にわたって酒場に足を運んでいる。ちなみにエルフたちが造ったお酒については、初日のうちに彼女の自宅となる洞窟まで取りに戻り、一樽分をこちらの酒屋にキープしている。


「こっちのやつもなかなか悪くないなっ! 好きだ!」


「ほう、その味が分かるかね? かなり人を選ぶ一杯なのだが」


 店内にはガリアーノ子爵の姿もある。


 精霊殿と一緒に店の来客スペースで楽しそうにお酒を飲んでいる。おかげで店長は部屋の隅で萎縮するばかりだ。完全に彼らの為の飲み屋と化してしまった同店である。卓上にはいつの間にやら肴まで持ち込まれて、これまた賑やかなもの。


 ちなみに酒や肴の用意は子爵からのプレゼント。精霊殿が持ち込んだエルフのお酒の見返りとして、彼が自宅から持ち出した自慢の品がズラリ。そこに店で扱っていたお酒が合流して、非常に幅広いラインナップが並ぶ。


「オマエ、いいニンゲンだなっ! 持ってきたお酒、どれも美味しいぞ!」


「そういう水の精霊殿も、なかなか素晴らしい感性をお持ちだ」


「よし、今日も飲むぞ!」


「まったくもって、飲むしかありませんな」


 店長から話を聞いたところ、店先を貸し出すに当たって、子爵からはそれなりの額が支払わられているらしい。なので当面は問題ないだろうと語っていた。子爵と精霊殿が同店での酒盛りに飽きるのを待つ算段らしい。


 そうした背景も手伝い、こちらのオバちゃんもまた遠慮なく、二人に混じって飲み食いさせて頂いている。昼過ぎに寝床から起き出して、ザック氏の家を出発。町のごはん処で食事を済ませてから、こちらの店に向かう。


 そして、夕方からお酒を呑み始めて、朝方まで酒盛り。


 やがて空が明るみ始めたところで、子爵の馬車に送られてザック氏の家に向かう。当然、寝て起きたら酷い二日酔いに悩まされることとなるが、それは精霊殿の回復魔法によってイチコロだ。おかげで翌日も酒が美味い。


 そんな最高の日々を満喫していた。


「しかし、そちらのエルフ殿もなかなか舌が肥えているな」


「恥ずかしながら、私もお酒が好きな性分でして」


「いい酒を造る者は、やはり、いい酒を飲んでいるのだろうな」


「いえいえ、子爵には及びませんよ」


 おかげで子爵とも仲良くなった。


 こうして話をしてみると意外と気さくな人物である。平民である店長には割と上からものを言うが、精霊殿や自分に対しては、比較的物腰穏やかに語り掛けてくる。同じ呑兵衛仲間として認められたのだろう。


 偉い立場の人から、相対的にチヤホヤされている感じが、なかなか悪くない。


「その者たち、今度私の屋敷までくるといい」


「なんでだよ?」


「自慢の酒のコレクションを見せてやろう」


「おぉ! 本当かっ!?」


「本当だとも」


「お招き下さりありがとうございます」


 そういうことであれば、是非とも窺わせて頂こう。趣味を同じくする貴族との円満な繋がりなど、非常に使い勝手の良いものだ。精霊殿との相性が良いという点も素晴らしい。横暴な言動が常の彼女であるから、これを受け入れてくれる相手は貴重である。


 ただ、そうした穏やかな時間も長くは続かなかった。


「エ、エルフのお方、ザックが話があると来ているのですが……」


 店長さんからお声が掛かった。


 なんだろう。


「承知しました」


「すみません、こちらにお願いします」


 店内は子爵と精霊殿が占拠している都合上、店の外に足を向ける。


 すると軒先にはザック氏の姿があった。


 そして、彼はオバちゃんの姿を目の当たりにするや否や言った。


「伯爵から支度が整ったとの連絡が来ました!」


 どうやら酒盛りばかりしている訳にもいかなそうだ。




◇ ◆ ◇




 エルフは精霊殿を連れてブナドドンパの町を出発した。


 向かう先はリヒテンシュタイン侯爵が兵を展開しているという一帯だ。ザック氏の下に届けられた伯爵の手紙によると、その場所は侯爵領の一角で、町から徒歩で一週間ほどの地点に位置するという。


 現地の地理に疎い我々はザック氏による案内のもと、同所まで飛行魔法で移動した。徒歩ではどうだか知らないが、空を飛んで向かったところ、小一時間ほどで地上に連なるテントの並びが見えてきた。


 場所は田畑が延々と続く界隈である。


 すぐ近くには人の集落も見て取れる。


 どうやら侯爵領が誇る農業地帯の一角のようだ。


 地上に下りた我々が位置するのは、敵兵の一団から数百メートルを離れた地点。掘っ立て小屋の脇に生えた樹木の枝に身体を下ろして、茂る葉の合間から敵情を確認している。まるで忍者さながらの行いが、胸をドキドキとさせる。


「あれをぶっ飛ばせばいいのか?」


 精霊殿が訪ねてくる。


 これまた過激な確認だ。


「端的に言うとそのとおりです」


「よし、それなら行くぞっ!」


「待ってください、その前にやることがあるので」


「なんだよ?」


「名乗りを上げなければならないと、伯爵が言っていたでしょう」


「面倒くさいなー」


 伯爵の手紙によれば、ブナドラドラの町の手前には、既に侯爵の独立を阻むべく国側の兵が迫っているという。つまり近い内に両軍は衝突必至の状況だ。これが始まってしまっては元も子もないので、精霊殿が言う通り早めにぶっ飛ばす必要がある。


 きっと伯爵も冷や汗を垂らしながら、兵の準備をしていたに違いない。ザック氏が受け取った手紙によれば、伯爵の兵は既に目と鼻の先まで来ているという。なんでも演習との名目で、侯爵領にほど近い地点まで進行を進めているのだとか。


 手紙が届く頃には、我々が動いても問題がない地点まで兵も到着している筈なので、好きなように攻めてくれて構わないとのお達しであった。おかげでいよいよ迫った本番にオバちゃんの胸はドキドキである。


「私が話をしている間、精霊殿は黙っていてください」


「相手が攻撃してきたらどうするんだよ?」


「その時は反撃しても構いません」


 行動力溢れる精霊殿と事前の打ち合わせ。


 すると足元から、何やら人の声が聞こえてきた。


「あ、いらっしゃいましたわっ!」


 その声色には覚えがある。


 視線を下に向けると、そこには侯爵家の末娘の姿があった。彼女は馬上からこちらを見上げている。以前のボロボロであった出で立ちとは打って変わって、とても上等なドレス姿である。


 彼女のすぐ隣には数名ばかり、馬に乗った彼女を守るように、武装した男たちの姿が窺える。おそらくは伯爵が付けた護衛だろう。油断ならない様子で、木の上に潜んだ我々を睨みつけるように見つめている。


「空から人が下りてくるのが見えたのです」


「そうでしたか」


 精霊殿を伴って地上に降りる。


 すると彼女を囲っている男たちが、一斉に剣を抜き放ち構えた。誰も彼も顔が怖い。歌舞伎町で絡まれたチンピラよりも、六本木のクラブで腕を掴んできた黒人よりも、尚の事怖い。身体もマッチョで傷だらけ。


 けれど、怯んではいられない。


「ですが貴方は、伯爵の下に居たのではかなったのですか?」


「わ、私も一緒に連れて行って下さい!」


「……本気ですか?」


「私の家の問題ですから、見ているだけでは忍びなく思います」


「なるほど」


 なかなか肝っ玉の座った娘さんである。


 伯爵の家で待っていても、こうして現場に赴いても、これといって結果は変わらない。それくらい彼女だって理解しているだろうに、わざわざやって来るとは思わなかった。おかげでちょっと格好良く映る。


「そちらの方々は?」


「お父様の下で働いて下さっていた方々です」


「リヒテンシュタイン前侯爵の、ですか?」


「はい、伯爵の下で私のことを探してくれていたそうでして」


「なるほど、そういうことですか」


 生き残りが彼女の護衛を買って出た、みたいな感じだろうか。もしくは現地へ向かわんとした男たちに、少女が感化されたのかも知れない。戦国武将の敵討ち的なやり取りが、彼女と彼らの間で行われただろうことが想像された。


「本当にあれだけの軍勢を無効化する手立てがあるのか?」


 少女の紹介を受けたことで、男たちのうち一人が声を上げた。


 スキンヘッドが印象的なマッチョである。年齢は自分より一回り上と思われる。それなりに老けて見えるアラフォー男子。男たちの中で一番の高齢。しかし、その肉体は非常に若々しい。未だ衰えることを知らない筋肉の存在が鎧の裏に見え隠れしている。


「問題ありません、任せてください」


「…………」


 相手は睨むような眼差しでこちらを見つめている。


 まるで信用されていない。


「皆さんはこちらで待っていて下さい。リスクを取る必要はありません」


「ま、待て、我々も行くぞっ!」


 恩師に報いたい一方で、その娘さんを無駄死にさせる訳にもいかない。そんな複雑な騎士道心が彼の内側で揺れ動いているだろうことは想像に難くない。きっとクソ真面目な性格の持ち主のだろう。


「ですが不安なのではありませんか?」


「先代侯爵への恩義、貴様のような他所者に譲るわけにはいかぬっ!」


「そうですか……」


 どうしよう。


 悩み始めたところで、精霊殿が声を上げた。


「なんか来るぞ」


「え?」


 直後、オバちゃんの足元に矢が突き刺さった。


 サクッと小気味よい音が耳に届いた。


 そして、一発目の到着から数秒と経たぬ間に、二発目、三発目と続けざまに矢が降ってくる。次々と地面に刺さっていく様子は驚きだ。直撃コースについては、目に見えないバリア的なものが手前で弾いてくれている。きっと精霊殿の魔法だろう。


 どうやら侯爵軍の尖兵に気づかれてしまったようだ。


「こうなっては仕方がありません。一緒に行きましょう」


「承知いたしました!」


 力強く頷いて応じる娘さん。


 二手に分かれるより、一緒に行動したほうが安全だろう。


 最悪、彼女のことは精霊殿が守ってくれると思う。

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