リヒテンシュタイン家 四

 戦士殿の容態が改善したことで、同所では自ずと会話に花が咲いた。


 話題は勇者様ご一行が訴える邪神なる存在についてである。


「邪神について知りたいだと?」


「はい、差し支えなければ教えて下さい」


 これはオバちゃんの方からお願いした。


 本来であれば、邪神本人から確認すべき事柄である。しかし、彼女はこちらの世界へ訪れるや否や、石像に収まったきり、一向に出てくる気配がない。そこで仕方なく、彼らから情報を得ようと考えた次第である。


「我々の森にそのような存在が住まっているとは知りませんでした。もしも真に邪悪な神であるというのであれば、事前に対処するべきだと思います。ただし、そのためには相手を知らなければなりません」


「ふむ、たしかにそのとおりだ」


「いかがですか?」


「そういうことであれば教示させてもらう」


「ありがとうございます」


 邪神を邪神扱いしたら、勇者様の機嫌が少し良くなった。


 この人も意外とちょろいかも知れない。


「この森に住まう邪神だが、その名をメルメロという」


「なるほど」


 めっちゃ変な名前だ、我らが神様。


 本人から名前を確認するときは扱いに気をつけよう。


「我々が信仰する神、マリグナ様の言葉に従えば、この世のすべてを破壊せし邪神となる。その力は凄まじいもので、過去にはこの世界に存在する主要な神たちと一神で敵対し、その多くを滅ぼしたという」


「……なるほど」


 めっちゃ物騒な話だぞ、我らが神様。


 そこまでヤバイ感じは受けなかったのだけれど。ただ、冷静に思い返してみると、あの人ってば顔に狐の仮面など被っていた。一度もその下を見ていないというのが、こうして後々になってみると不安を煽られる。


「数百年の昔、メルメロの悪行に困った神々が、その存在を異世界に向けて吹き飛ばしたという。世界と世界を渡る魔法は、神々であっても大変な労力であったそうだ。そうした経緯があって、我々はこうして平和を享受している」


「…………」


 我らが神様、完全にラスボス扱い。


 あと、めっちゃ地球の事を言っている。


 しかし、その割には我らが母星は平和だった。いいや、違うな。地球全体を眺めると決して平和とは言えない。主に神様がやってきた日本の地方都市に限っては平和だった。職なしのニートが昼から散歩を楽しめるくらいには平和だった。


「そういうことであれば、邪神を崇拝する者たちがいたとしても、これといって問題ないのではありませんか? 信仰対象である神そのものが存在していないのですから、どれだけ崇めたところで問題など起こらないと思います」


「いや、それがそう簡単な話でもないのだ」


「そうなのですか?」


「つい先日、女神様よりお告げがあった。なんでも邪神メルメロが、異界の地で力を蓄えて、再びこの地に舞い戻ったのだという。そこでマリグナ様は同じ悲劇を繰り返さない為に、我々を派遣したという訳だ」


 マジか。我らが神様、ばっちり捕捉されてしまっている。


 このままだと危うい気がする。本人も世界を移るのに力を使い過ぎたなどと呟いて、石像の中に引っ込んでしまった。このタイミングを狙われたのなら、使徒である自身も含めて、まるっと処理されてしまいそう。


 当面、自身の身の上は黙っておくことにしよう。


 上司のマリグナ神とやらに告げ口されたら大変なことだ。


「流石は勇者様、博識でございますね」


「そうたいしたことではない。どれも女神様からの受け売りだ」


「だとしても、我々にとっては大変貴重な情報でした」


「そういう訳だから、貴殿らも邪神メルメロに関する情報を得る機会があったら、ぜひ我らに教えて欲しい。もちろん、決してただでとは言わない。情報の質に応じてちゃんと報奨も出したいと思う」


「承知しました」


 この話題はこれ以上、続けるべきではないな。


 自分から伝えることはなくても、他人の口からバレたりするかも知れない。取り分け精霊殿とか、絶対にプレゼントに弱い。美味しいお酒を上げるから、なんて言われたら、きっとすぐに我らが神様のことを売り渡してしまうに違いない。


「ところで勇者様、こちらの町について一つ確認させて下さい」


「なんだ?」


 邪神トークを経て勇者様の態度がだいぶ軟化した。


 この機会に色々と確認しておこうと思う。


「勇者様ご一行はリヒテンシュタイン侯爵の件について、どのようにお考えでしょうか? こちらの町の方々は誰もが、侯爵家と国の争いに巻き込まれるのではないかと、日々不安に過ごしているそうですが」


「……それは我々としても難しい問題だ」


「そうなのですか?」


「まず第一に、我々はこの国の人間ではない。尚且つ、我々の目的はマリグナ様のお告げに従い、この世の悪を討つことにある。この剣が向けられるべき先は、決して同じ人間ではないのだ。なので人同士の争いについては、基本的には中立を保っている」


「なるほど、そうだったのですね」


 他国の人間なのに村人から人気とか、けっこう凄い気がする。どれだけ広告費にお金を使ったのだろう。それとも人気に相応しいだけ、あれこれと貢献しているのだろうか。彼らの背後にいるマリグナ様とやらが気になるぞ。


「ただ、この町の者たちが一方的に蹂躙される様子を眺めている、というのも気分の良いものではない。国の上層部に働きかける程度であれば、既に我々も動いている。兵が剣を向けるべきは、同じ兵であるべきだろう?」


「ええ、勇者様の言葉はとても正しいと思います」


「理解してくれて何よりだ」


 あんまりしたくないけれど、勇者様のことをチヤホヤしてあげる。すると彼は口元に小さく笑みを浮かべて頷いた。出会い頭に目撃した不機嫌なお顔とは雲泥の差。扱い方さえ間違えなければ、ちょろい性格の持ち主である。


 このままサクッとお別れするとしよう。


「色々とためになるお話をありがとうございました。あまり長くお邪魔しても悪いので、我々はそろそろ帰ろうと思います。もしまたお会いする機会がありましたら、良くして頂けると嬉しいです」


「ああ、気をつけて戻るといい」


 精霊殿は未だにもの言いたげな表情をしているが、これと言って文句の声が上がることはなかった。彼らとの関係にお酒の調達が懸かっている手前、どうにか我慢しているのだろう。彼女の怒りゲージが限界に達しないうちにさようならである。


「はい。それでは」


 小さく会釈をして、我々は彼らの滞在するお宿を後にした。




◇ ◆ ◇




 勇者様ご一行が宿泊する宿を発った我々は、町の大通りまでやって来た。


 ザックの案内に従い、彼の知人がやっているという酒屋を訪れる為である。


「こちらの店です」


 人通りも多い通りの中ほどに店を構えた酒屋だった。飲み屋というよりは卸問屋といった雰囲気で、店内に飲食するスペースは見受けられない。店の前に止められた馬車と店との間で、大きな樽を抱えた人たちが、せわしなく行き来している。


「おぉっ! あそこに見えるのが全部お酒かっ!?」


「ええ、そうですよ」


「最高だなっ!」


 おかげで精霊殿は絶好調である。


 そうした彼女のテンションに促されて、我々は店内に足を踏み入れる。


 すると聞こえてきたのは、人の言い合う声だ。


「も、申し訳ありませんっ!」


「貴様、私を誰だと思っているのだ?」


「お許しをっ! 何卒、何卒お許しをっ!」


 穏やかでない雰囲気である。そのまま回れ右して帰りたい気分だ。しかし、お酒で勢い付いた精霊殿は止まらない。その服の裾を掴まんと、こちらが腕を伸ばすも虚しく、彼女は声の聞こえてきた方にピューと飛んでいってしまった。


 なんて好奇心旺盛なアル中だろう。


 そんな彼女に続いて、我々も声の出処に向かう。


 するとそこでは一人の男が、また別の男に土下座をしていた。


 頭を下げている人物は平民と思しき姿格好をしており、下げられている方は貴族っぽい格好をしている。


「なんだよオマエら、うるさいぞー!」


 その只中へ精霊殿が突撃した。


 精霊である彼女には貴族も平民も関係ない。


「な、なんだ? この小さいのはっ! しかもそこに見えるはエル……」


「私は水の精霊だっ! オマエは何のニンゲンだっ!」


 貴族相手でも何ら構った様子はない。


 相手の口上を遮って名乗りを上げる精霊殿マジ強い。


 おかげで勢いに飲まれた相手もまた、同様に自己紹介してくれた。


「私か? わ、私はガリアーノ子爵だ」


「ガリアーノ子爵か! ガリアーノ子爵はどうして怒ってるんだ?」


「あぁ、水の精霊でもなんでもいい、ぜひ私の怒りを聞くといい。ここにいる酒屋の男が、私の注文した酒を仕入れられなかったと抜かすのだ。こっちは先々月からずっと楽しみにしていたのに、一瓶も手に入れられなかったのだと! 約束していたのに!」


「それはそいつが悪いなっ! 極悪非道だ!」


「そうであろうっ!?」


 めっちゃ一方的な裁きっぷりである。


 おかげで土下座した平民の人は涙目だ。多分、この人がザック氏の知り合いの酒屋さんなのだろう。それとなくロリコン野郎の様子を確認すると、顔色を青くしている。酒屋さんもザック氏の姿を目の当たりにして、縋るような眼差しをチラチラと。


 まさか精霊殿のジャッジメントに任せる訳にはいかない。


「精霊殿、一方的に決めつけるのはよくありませんよ」


「なんでだよっ!?」


「相手の言い分を確認してからでも、決して判断は遅くありません。仮にも相手はお酒を扱うプロなのですから、お話を聞いてみましょう。もしかしたら、それが貴方の求める美味しいお酒に繋がっているかも知れません」


「どうして繋がるんだよっ!」


「お酒は誰かが造っているから存在しているのです。そして、そういったお酒を造る誰かを互いに結んでいるのが、彼らのようなお酒を流通させている人々です。そうした人たちに親切にすることで見えてくるお酒も、きっとあるのではないでしょうか?」


 こじつけ臭い気がしないでもない。


「……わかった、ちょっとは聞いてやる」


「素晴らしい判断ですよ、精霊殿」


 しかし、人の世に疎いのか、そうまでして新しいお酒と巡り合いたいのか、精霊殿は大人しくこちらの意見に耳を傾けてくれた。精霊殿のマネージメントにだいぶ慣れてきた気がする。この調子で上手く取り扱っていきたい。


 ただ、居合わせた貴族に関してはどうにもならない。


「貴様らは何者だ? 私はここの店主と話をしているのだ! 平民風情が貴族の行いに口出しするというのかっ!? そもそも金は既に払っているのだ! 対価としてお酒を寄越すのは、商売人として当然だろう!?」


「お、お金はお返し致しますので、どうか命だけは何卒っ……」


 このままだとザック氏の知り合いが殺されかねない。精霊殿が即行で貴族に肩入れしてしまったことも手伝い、オバちゃん的には酒屋さんを助ける方向で動かざるを得ない。仲間内でギスギスするのは御免である。


「ガリアーノ子爵から注文を受けたお酒というのは、どういったお酒ですか?」


 オバちゃんは店主の下に歩み寄り訪ねてみせる。


 すると彼は顔を上げて、涙目で語ってみせた。


「あ、貴方様たちエルフが造る酒でございますっ! これまでは一定数が流通していたのですが、ここ最近になって急に数が減ってしまいまして、子爵様からお預かりした額では競り落とすことができなかったのですっ!」


「……なるほど」


 それはまた奇遇な話である。


 自ずと脳裏に浮かんだのは、精霊殿のご自宅に所狭しと積まれたエルフ酒の樽である。結構な大きさの樽が、壁面一杯に並ぶ様子は圧巻であった。いやまさか、などと思いつつも、確実に否定できないのが辛い。


「なんだ、アイツらの酒か……」


 一方で彼らのお酒を飲み慣れている精霊殿は、即行で興味を失った。


 どうしようもないアル中だ。


「なんだとっ!? そうだったのかっ!?」


「申し訳ありませんっ! 申し訳ありませんっ!」


 猛る子爵を相手に、酒屋さんは頭を下げるばかり。


 ただ、そうした状況とあらば、こちらとしては決して悪い話の流れではない。むしろ好都合とも言えるのではなかろうか。町の酒屋という垣根を超えて、精霊殿の信仰をゲットするまたとないチャンスである。


「精霊殿、たしか精霊殿の洞窟にはエルフの酒がありましたな?」


「お、おいっ! まさかコイツらにくれてやれとか言わないよな!?」


「いえいえ、そんなことは言いませんよ」


 声も大きく語ってみせると、早々に子爵が反応を見せた。


 彼はこちらを向き直り、ビックリした様子で語ってみせる。


「そ、その方ら、もしやエルフの酒を持っているのかっ!?」


「持ってないっ! 持ってないぞっ!?」


 精霊殿が即座に守りに入った。


 誰にもくれてやるまいという意志の強さが窺える。


 アル中にとってお酒とは水にも等しいのだ。


 同じアル中だから分からないでもない。


「精霊殿、これはチャンスですよ」


「なんでだよ! ピンチだろ!? あれは私のお酒だっ!」


「相手は貴族です。しかも人が造るお酒に加えて、エルフが造るお酒までをも求めてみせるくらいですから、かなりの呑兵衛でしょう。つまり人の世のお酒には、とても造詣が深いと見受けられます。仲良くしておいて損はないと思いますよ」


「っ……」


 オバちゃんエルフの言葉を耳にして、精霊殿が反応を見せた。


 ぴくんと背筋を立てて、ガリアーノ子爵に視線を向ける。


 その可愛らしいお口はこちらの言葉を耳にして、即座に動いていた。


「オマエ、ニンゲンのお酒に詳しいのか?」


「当然であろう? こと酒において、このガリアーノ子爵に勝る者など、そうそうおるまい。人の世に出回っている酒であれば、口にしていないものの方が少ないのではなかろうか。そう、だからこそ私はエルフの酒が呑みたい!」


「…………」


 胸を張って語る子爵を眺めて、精霊殿の表情に変化があった。


 どうやらこちらの意図を理解してくれたようだ。


「それなら、エルフの酒、少しだけ飲ませてやってもいいぞ?」


「ほ、本当かっ!? 分けてくれるのかっ!?」


「代わりに私も、ニンゲンが造った美味しいお酒を呑みたいぞっ!」


 精霊殿の言葉を受けて、子爵の口元に笑みが浮かんだ。


 アル中厨同士、無事に通じ合った様子である。


「その方らもまた、我々人間が造った酒を求めているとな?」


「だけど、ちゃんと美味しくなきゃ駄目だぞ?」


「そんなもの当然だ! 不味い酒など酒ではない、ただの毒だ!」


「お、おぉぉっ!」


 子爵の物言いを受けて、精霊殿の顔にパァと笑みが浮かぶ。


 どうやら今の台詞が良かったらしい。


 瞳とかキラキラ輝いている。


「そ、それならエルフのお酒、少しだけ飲ませてやってもいいぞ?」


「本当かねっ!? 水の精霊とやらっ!」


「だけど、人間の美味しいお酒と交換だからなっ!?」


「そんなもの当然だっ! 我がコレクションから極上の逸品を用意しよう」


「本当かっ!?」


「うむ、本当だ」


 精霊殿と子爵の間でスルスルと交渉がまとめられていく。


 酒好きの貴族ともなれば、酒造所の一つや二つ、抱えていてもおかしくはない。領地を持っているなら、材料となる穀物や果実などを自家製栽培している可能性すらある世界観だ。きっと彼女の欲求も満たされることだろう。


「話が上手くまとまったようですね」


 一歩を踏み出して二人に声を掛ける。


 取り急ぎザック氏の友人の安全を確保する作戦。


「子爵殿、そちらの精霊からエルフの酒を調達するということで、この店の主人に対する過失はチャラにできませんか? 我々はこちらの商人の紹介を受けて、この店にやって来たという経緯があります。店の存在なくして、我々の出会いはなかったのです」


「ぬぅ、な、なるほど。それはたしかに……」


「精霊殿も酒を扱う場所が減るのは寂しく感じることでしょう」


「え? ここってなくなっちゃうのか?」


「ひっ……」


 彼女の何気ない呟きを受けて、身体をガクブルさせる店長。


 その姿を目の当たりにして、子爵はすぐに応じてみせた。


「承知した、エルフの酒に免じてこの店の不義理を許そう」


「よ、よろしいのでしょうか?」


「だがしかし、次からは熱心に商いに励むことを忘れるでないぞ」


「それはもう、も、もちろんでございますっ!」


「それと珍しい酒が手に入ったら、必ず私の下へ持ってくることも忘れるな。むろん、十分な報酬は用意しておこう。その方が酒に対する飽くなき探究心を忘れずに励み続けること、私は期待しているぞ」


「あ、私もだっ! 私のところにも持ってこいよなっ!」


「は、はいっ!」


 アル中たちが偉そうなこと言ってる。


 まあ、いいか。


 この様子であれば、当初の目的は達せられたも同然である。

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