リヒテンシュタイン家 二
伯爵家の牢屋は、現代の日本人がファンタジー世界の牢屋と聞いて想像する、典型的な代物であった。地下を掘って作られた石造り。金属製の格子が幾つか並び、その内側に寝台と便所が設えられた仕様。
そうした内の一つ、少し広めの区画に我々はまとめて放り込まれた。
ただし、少女だけは別所に運ばれていった。
行き先は不明である。
「あぁーもぉー、捕まっちゃったじゃんかよー!」
「そう不貞腐れないで下さい」
「だって牢屋だぞ!? 牢屋っ!」
ちなみに精霊殿は、鳥かごのようなものに入れられている。
なんでも魔法を利用して作られた代物だそうで、彼女のような小さな魔法的生物を捕獲するのに利用する魔道具だという。簡単には壊せないと叔父様が言っていた。魔道具ってなんやねんと疑問に思ったけれど、まあ、そういう雰囲気の道具なのだろう。
かごそのものは寝台の上に置かれている。
「……これから我々はどうなるのでしょうか?」
未だに元気な精霊殿とは一変、憂鬱極まるザック氏が呟いた。
今にも死んでしまいそうな表情をしている。
「さて、どうでしょう」
ちなみにオバちゃんは割と落ち着いている。
何故ならば、その気になれば飛行魔法を利用して、牢屋の格子をすっぱ抜けるからだ。皆に内緒で試してみたのだけれど、牢屋の格子に飛行魔法を掛けたところ、割と簡単にガタつくことを確認している。
そういった思惑も手伝い、少女の身の安全を優先した次第である。
精霊殿がこれといって慌てていないのも、自分と同じような感触を得ているからだろう。不平不満こそ吐き散らかしているものの、自らの身の心配をしている様子は見られない。いつぞや勇者様たちと争っていた時分のような気配はゼロだ。
おかげでザック氏にばかり負担が掛かっている点は申し訳ないと思う。
「精霊殿、精霊殿は大丈夫ですか? そのような窮屈な籠に入れられて……」
「オマエ、昨日会ったばかりなのに、私のことまで心配してくれるのか?」
「当然ではないですか、精霊殿。我々は今や運命を共にする仲間なのですから」
いや、このロリコン、まだ意外と余裕がありそうだ。
この期に及んで、精霊殿との距離を詰めに行っている。
しばらくは放っておいても大丈夫だろう。
そうして暇な時間を過ごすこと半刻ばかり。
カツカツと牢屋に足音が響き始めた。
我々の他に牢屋で捕まっている人の姿は見られない。十数ばかり並んだ牢はどれもが空だ。つまり誰かが外からやって来た、ということ。遠くから近づいてきた音は、やがて我々の牢の前で止まった。
自ずと皆々の意識が格子の外側に向かう。
そこにはリヒテンシュタイン伯爵の姿があった。
その腹にぶら下がったボリューム多めのお肉は、牢屋の暗がりとはいえ見紛うはずもない。お供の一人も連れず、一人で檻の正面に立っている。横に大きい為か、暗い場所で眺めると妙な迫力を感じる。
「……待たせたな」
「このような場所までお一人でどうされたのですか?」
「事情があったとは言え、貴殿らには申し訳ないことをした」
そういって叔父様は小さく頭を下げてみせた。
お貴族様がそうほいほいと平民相手に頭を下げていいものなのか。それとなく気になってザック氏を眺めてみると、彼はビックリした面持ちで相手の姿を見つめていた。それなりにインパクトのある光景のようだ。
「いえ、滅相もありません」
「この屋敷には現在、リヒテンシュタイン侯爵の手の者が使者として訪れている。あの場所で侯爵を討つと言われてしまっては、こうする他になかったのだよ。そうしなければエルフリーゼの命が危うい」
「そちら様のお話は、本当に信じられるのでしょうか?」
「……ふむ。ではこれでどうだろう」
エルフからの問い掛けを受けて、彼は手にした鍵をこちらに放って見せた。
丸金属製の輪っかにいくつも鍵が繋がっている。武骨で大柄な作りは、格子に掛けられた錠前と似たような光沢を放つ。十中八九でこちらの牢屋の鍵と思わせる。どうやら外に出ても問題ないようだ。
「ありがとうございます」
素直に頷いて、オバちゃんはこれを手にとった。
良く肥えたハゲの貴族という風貌から、てっきり凌辱担当の竿野郎ポジかと考えていた。けれど、実は意外といい人だったりするのかも知れない。少なくとも我々の拾った少女に対しては、真摯な感情を抱いていらっしゃるような。
「このような場所でのやり取りとなり申し訳ないが、少しばかり貴殿らの話を聞きたい。少しばかり付き合ってはもらえないか? 今は亡き弟の愛した家だ。私個人としては、独立するにせよ、しないにせよ、いいように扱ってやりたい」
「なるほど、伯爵の真意は理解しました」
血族の下まで人を送っているとなると、侯爵の目的がなんとなく見えてくる。恐らく独立の先には、隣国との合併が待っているのだろう。そうでなければ独立後も味方足り得る自らの親類に対して、わざわざ監視をするような真似は行うまい。
いよいよ両国の関係が怪しくなってきたではないか。
「その方たちはエルフリーゼに何をさせるつもりだ?」
「私たちはアイツを家に連れて帰るぞっ!」
オバちゃんが何を語る間もなく、精霊殿が籠の中から吠えた。
よく通る元気いっぱいな声である。
「それはリヒテンシュタイン侯爵家を指してのことかね?」
「すみません、リヒテンシュタイン伯爵。彼女は見ての通り人間ではありません。水の精霊となりまして、いかんせん人の世俗には疎いのです。あまり深くは考えずにエルフリーゼ殿の願いを叶えようとしております」
「なんと、精霊殿とな?」
「精霊舐めるなよっ!? 水の精霊、めっちゃ凄いぞっ!」
勇者様ご一行相手に苦戦していた癖に偉そうだ。
それとも彼ら彼女らが強いのか。
いや、女神様のご加護がどうのと、言っていたような気もするけれど。
「まさかそのような存在が、姪っ子に味方しているとは……」
「ご存知ですか?」
「存在は知っているが、目の当たりにするのは初めてだ」
「そうでしたか」
「聞いた話では、この国を建国した初代の王が、火の精霊を使役していたという。戦乱の只中にあった当時、王はその力を借りることで乱世を沈めて、界隈に平穏をもたらしたとかなんとか、そんな話だったな」
「火の精霊なんてザコだな! 水のが絶対に強いからっ!」
「精霊殿、他所様を悪く言うのは良くないですよ」
「だって本当のことだしっ!」
同じ精霊同士、派閥争いのようなものがあるのかも知れない。
伯爵殿もその辺りに理解があるのか、これといって表情は変化しなかった。意外と話せる人物である。他に貴族と名の付く人たちと話をしたことが無いから分からないけれど、普通はもっと高圧的な人種なのではなかろうか。
「いずれにせよ、弟の娘を実家に送り届けるとなれば、それはすなわち侯爵を討つに等しい。そして、貴殿らを待たせている間にも、先んじて娘から話は聞いている。なんでも侯爵の軍を退ける手立てがあるのだとか」
「はい、十分な備えがあります」
「その軍勢はどちらから出したものだ?」
やはり伯爵が気になるのは、我々の規模感のようだ。
味方するにせよ、敵対するにせよ、相手を知らなければ判断は下せまい。きっと彼は彼で、自身の家と少女の為に動いているのだろう。だからこそ、こうしてわざわざ牢屋まで足を運んでみせたと思われる。
「軍勢とは我々三名です」
「……ふざけているのかね?」
「私とそちらの精霊殿で一騎当千の戦力となります、伯爵」
「…………」
さらっとザック氏をスルーしてしまったけれど、こればかりは仕方がない。彼には御用商人的なポジで、後方支援をして頂こうと考えている。正直、何を頼むのかはまるで決めていないけれど。
そして、エルフが真顔で語ってみせると、叔父様は口を閉じた。
考えあぐねている様子だ。
そりゃそうである。
侯爵様の手勢がどの程度のものか分からないが、百や二百ということはないだろう。一国を相手に独立を宣言しようというのだから、数千から数万は最低でも備えていて然るべきだと思われる。
これに対して僅か二人で挑むなど、冗談のような話だ。
自分だったら絶対に信じられない。
「そちらの精霊殿の存在を思えば、万に一つは有り得るのかも知れん。だが、それを鵜呑みにできるほど私は楽観主義者ではない。こちらを信じさせるだけの根拠を提示してもらいたい。そうでなければ、貴殿らに姪の進退を任せることはできない」
「伯爵のお言葉は尤もです」
しかし、見せると言ってもどうしよう。
飛行魔法って見栄え的なインパクトが弱いから困る。ここで伯爵の身体を押し倒したところで、幾万という軍勢に対する優位性を示したことにはならない。それこそ屋敷から見えている山の形でも変えて見せなければ、説得は難しいのではなかろうか。
「オマエをぶっ飛ばせばいいのか?」
「精霊殿、言葉が汚いですよ。あと、それでは駄目です」
「だったらどうすればいいんだよ?」
「それも含めて、我々に問うているのですよ」
「なんだよそれー」
たしかに、なんだよそれー、っと思わないでもない。
だけど、偉い人へのプレゼンってそういうものだよね。
おかげで逆にやっちゃった方が早い。
世の中で成功している企業も、生い立ちは大体そうだ。偉い人にお伺いを立てていたら何事も始まらない。ただ、稀に現場と同じスピード感で決裁を捌いて、偉業を成し遂げる方もいらっしゃるけれど。
そういう方はもう、本当に神。ゴッド。レジェンド。
「それでしたら伯爵は、エルフリーゼ殿と共にこちらの屋敷で待っていて下さい。私と彼女とで侯爵の軍勢を無力化してまいります。これを確認した時点で、伯爵には次期リヒテンシュタイン侯爵として声を挙げて頂ければと」
「本気で言っているのか? 私に援助を求めて来たのではないのか?」
「そういった意味では、彼女の庇護と事後の清算こそ一番の援助ですね」
「…………」
伯爵からすれば、当然の質疑応答。
もしくは偶然から拾ったリヒテンシュタイン家の娘を屋敷まで届けて、謝礼に金一封をせしめようとした、みたいな感じで見られていた可能性も大。こちらを訪れて当初など、まさにそんな感じで考えていたのではなかろうか。
出会い頭に見せた彼の反応とか、思いっきりそんな感じだったし。
「だがそうなると、戦場では誰の名前を出して戦うつもりだ?」
やっぱり、そういった問題に行き着くようだ。
奇襲を仕掛けた上で、相手が何をする間もなく上げて下げてフィニッシュ、みたいな流れを想定していた。しかし、それではハリケーンの通過と何ら変わらない。下手をすれば自分や精霊殿の存在にすら気付かれない可能性もある。
伯爵からのご指摘はご尤も。
そうなっては少女の出番もゼロだ。
この国の仕組みがどうなっているのかは分からないけれど、リヒテンシュタイン侯爵家の領地は国に回収されて終わりなのではなかろうか。少なくとも彼女が自身の家だと名乗りを上げるには、タイミング的にアウトのような気がする。
現侯爵を討ち取ったという功績は、家を継ぐ上で必要だと思われる。
「一応確認しておきますが、後からでは駄目ですか?」
「それならば我々でなくとも、誰だって主張できよう?」
「……そうですね」
誰が侯爵を倒したか、その点はやはり重要である。
ただ、それは書類の責任者欄にハンコを押すに等しい行いである。もしも我々が失敗したら、皆々を代表して首を切られる役割だ。法人であれば倒産で済むが、こちらの世界ではきっと、リアルに頭部を落とされるのだろう。おぉ、怖い。
その役割を目の前の人物に求めてやって来たのだけれど、現状では難しそうである。こちらが自分たちの能力を示して、ちゃんと納得してもらうことができたのなら、その限りではないのだろうけれども。
きっと伯爵は我々の後ろに、幾万か兵が待っていると考えていたのだろうな。
「それなら森からエルフとグリフォンを連れてくるぞ!」
「精霊殿?」
「そうしたらオマエの話だって、信じるかも知れないだろ?」
またアル中が妙なことを言い始めた。
エルフとグリフォンを連れてきて何になるのか。特に前者など精霊殿のせいで苦労してきて、つい先日ようやっと開放されたばかりだ。それがまた我々の都合で人里までご足労だなどと、あまりにも酷い仕打ちではなかろうか。
「……どういうことだね?」
「こいつのやってる宗教の信徒だ!」
おかげで叔父様も困惑の表情を浮かべている。
そりゃそうだ。
宗教だ何だと、この期に及んで怪しいワードを口にしないで頂きたい。ただでさえ信頼が足りずに困っているところ、そんなことを言い始めたら、いよいよ屋敷から追い出されかねない。勇者様との一件は未だに頭の痛い問題である。
「森というのは、南の森のことかね? あそこにエルフの集落など……」
「違うぞ? もっと北だ! 山の向こう側っ!」
「……まさか、北の大山脈の先にある森のことを言っているのかね?」
「よくわからないけど、多分それだなっ!」
「そんな馬鹿な、あの辺りは碌に人も立ち入らない領域だ。そもそも五体満足で山を超えられる人間がどれほどいるか。つい先日にも勇者殿のお仲間が、女神様のお告げに従い森の調査に向かったことで、大怪我をしたと聞く」
「え……」
それは初耳だ。
思わず声が漏れてしまった。
「山脈より先に住まっている者たちなど、誰が把握していようものか」
「ご存じの方は、いらっしゃらないのですか?」
「つい先日、勇者様たちが初めて越えられたとのことで、界隈は賑わっていたのだ」
「…………」
勇者様立ちがブナドドドの町でイキっていた理由、これだった予感。
いやしかし、それにしてはオバちゃん、普通に越えていた。
飛行魔法でスイスイと。
「失礼ですが、飛行魔法を行使したのなら、そこまで困難ではないのでは?」
「あの距離を延々と飛んでいける術者はいないだろう。また、道中には凶悪な魔物が生息している。もし仮に飛び続けても、ワイバーンやフレアドラゴン、キュルキュルといった空の魔物に襲われる。人の身でこれを逃れることは困難だ」
言われてみると、自身は獲物を狩る為に低空飛行が常だった。
あまり高いところを飛んでいた覚えがない。
そして、地上にはクマ氏を筆頭とした強面なモンスター。
なんなら山脈地帯を超えた先、森の辺りを飛んでいた際にも、ミノルたちから高度を落とせと指示を受けた覚えがある。高いところを飛ぶと、妙なのに目を付けられる可能性があるとかなんとか。
以降はその助言を守っていた。
「すみません、キュルキュルとはどういった魔物なのでしょうか?」
「キュルルルと鳴く小柄な鳥の魔物だ。見たところ可愛らしい生き物だが、非常に強力な力を供えている。その姿を目の当たりにしたのなら、ドラゴン種であっても尻尾を巻いて逃げ出すと言われている」
「…………」
そちらのキュルキュルというやつ、覚えがあるかもしれない。
異世界を訪れた当時、オバちゃんを恐れて逃げていったドードーっぽい鳥類。あれがまさに、説明された通りの魔物。弱そうに見えて、実は結構な実力者でした。そんな背景がちょっと格好いいのどうしよう。
改めて現地に舞い戻り、彼らからキュルキュルされたい欲求に駆られる。
「勇者様たちの怪我については、自身も理由を把握しております」
「あ、あれは別に私が悪い訳じゃないぞ? アイツらが女神の加護なんて持ってくるから、こっちも必死だったんだよ! 第一、先に手を出してきたのはアイツらだからな!? 私は別に人間のこと悪く思ってる訳じゃないぞ?」
伯爵に対して、多少なりとも説得力を提示しようとエルフからアプローチ。
すると途端に、精霊殿が言い訳じみたことを語りだした。
やはり、滝壺での喧嘩が原因であったみたい。
「……今の話は聞かなかったことにしたい」
ゴホンと咳払いを一つして、叔父様が言った。
そして、続けざまに彼からは我々にご提案が。
「ならばこうしよう。貴殿らはリヒテンシュタイン前侯爵に恩義のある者として、現侯爵の下に向かうといい。そこでの戦況を判断してから、私は兵を出すか否か決めたいと思う。死人に対する忠義であれば、誰も文句は言うまい」
「そのようなことが可能なのでしょうか?」
「兵は現地に別の名目で控えさせておく。万が一にも貴殿らが侯爵を圧倒したとき、これに乗り遅れたのでは堪らないからな。ただし、私が出さないと判断した場合は一人も出さん。即座に撤収する。その時は貴殿らの都合で好きにしてくれ」
妥協案ということなのだろう。
兵を支度していた、というだけでも伯爵としては大変な決断だ。この屋敷にはリヒテンシュタイン侯爵の監視の目があるという。これに対処しながら、或いは誤魔化しながらの出兵準備は、それはきっと大変なことだろう。
「構わないのですか?」
「それくらいならやってやれないことはない」
「ありがとうございます」
「いいや、上手くことが運べばこちらにも益のある話だ。それに貴殿らもまた、私の姪を担ぐことで、この国に根を張りたいと考えているのだろう? 精霊殿の力が本物であるというならば、ここで恩を売っておくことには意味がある」
「ご配慮下さり恐縮です」
「だが、宗教云々については止めておけ。誰も得をしない」
「そちらも重々承知しています」
やはりというか、人里での布教は難しそうである。
ただ、その点については問題ない。
我らが神様は一向に戻ってくる気配がないし、当面はエルフとグリフォンを信徒に加えたことを成果として、好き勝手に過ごさせて頂こう。やがては精霊殿の信仰をゲットして若返った時点で、オバちゃんはステージクリアである。
その先に待っているのはめくるめく美少女チヤホヤ生活。
しかも、貴族仕様。
なんとまあ、堪らないじゃないか。
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