第45話 恋と苦労は若いうちに買っておけ

(安吾視点)


 貧乏家庭育ちで暇のない俺だってそれなりに恋をしてきた。

 ちゃんと人を好きになったこともある。


 だけど中には俺がどれだけ情熱込めて愛したとしても届かなそうな女もいた。



 彼女は学年一の美少女でヤンキーにもオタクにも優しく愛想を振りまく。


 俺も朝の新聞配達中に偶然出くわして、その後、学校で「おつかれ、ウサミン」と労って缶コーヒーを渡してくれたことがあって恋に落ちた。


 クラス中の男があの子のことを好きで、そしてみんなことごとく玉砕した。

 俺もその一人。

 新聞の朝刊にラブレターを折り込むという奇行に出た記憶はどうして十年たった今も消えてくれないんだろうか?


 ま、後から聞いた話では彼女のモテは高校から始まったわけでなく、小学生のうちから高校生や大学生にチヤホヤされていて、中学生の頃には彼氏の車で某テーマパークに遠征してオフィシャルホテルのセミスイートで連泊していたらしい。

 そりゃあサイ◯リヤで割り勘している高校生なんかが参戦できるわけがない。

 別に贅沢させてくれることが全てじゃないけど自分のために何かしてくれる男を女は愛するし、現代日本でそれをわかりやすく示すのは財力でぶんなぐることだ。

 彼女にしてみればちょっと優しくしただけで恋に落ちる同級生なんて餌やったら群がってくる池の鯉と同じようなものだったんだろうなぁ……



 話はそれたが、要するに女は過去に受けた経験を恋人選びのハードルに転用する。

 次の彼氏には今までの彼氏以上のことをしてもらいたい。

 それは至極当然なことなんだが、モテる女はハードルがどんどん高くなり手が出せなくなるもんだ。


 だとしたら、コイツは…………



「私はさぁ……人並みに暮らしたかっただけなんだぁ。別に贅沢したいとか思ってないんだぁ。今のご主人には刑務所から引っ張り出してくれた恩義があるから仕えてるけど別に好きでもなんでもないしぃ、むしろ人間をモノ扱いするところとか最低だと思うしぃ……」


 うんうん、とうなづきながら俺は愚痴を聞く。

 オルガマリーはいま俺の太ももを枕にうつ伏せになって寝転がっている。

 完全に服従した女の距離感である。

 どうした猟犬? こんなものか?


「ねえ、アンゴぉ。あなたのご主人様はどんな方なのぅ?」


 チビチビとカシスオレンジとカルーアミルクを混ぜた特製カクテルを飲みながら尋ねてくるオルガマリー。

 酔ってはいるが一応探りを入れてきてるのか。


「今は誰の下にもいないよ。ちょっと前までは人間のクズみたいなクソオヤジに従っていたけど殴って辞めた。母さんの葬式をすることを否定された挙句、侮辱されたからさ。女手一人で俺を育ってくれた母さんを」

「そぉ。私はお母さんなんて覚えてない。小さな頃に死んじゃったから」


 ……そういえば孤児から少女兵になったんだっけか。

 どエロいカラダとすげー美人だから忘れそうになるけど、この女の背景は決して恵まれたものではない。

 高嶺の花どころか泥の中の蓮みたいなもんだ。

 甘やかしてくれる男に耐性がないのも当然か。


「お母さん死んでからはどうしてたの?」

「…………人に飼われて暮らしてたぁ。言われるがままに仕事を覚えてぇ、できなければ殴られてぇ、逃げ出さないように寝る時も鎖で繋がれてた。犬みたいでしょぉ?」


 自嘲気味に笑うオルガマリー。

 これが芝居だとしたら俺の手に負えない。

 どう足掻いても籠絡できる未来はない。


 だから……そうじゃないことに賭ける。

 酔いが回って本音を垂れ流しているモードに入ってることに。


「あなたは犬なんかじゃない。犬は自分の境遇を悲しんだりしない。悲しむのは人間だからだよ」


 そう言って俺は彼女の頭を撫でる。

 セットされていた髪がほころびかけていた。


「でもね、マリーさん。悲しむことは悪いだけじゃないんだ」

「どうして?」


 オルガマリーは俺の太ももの上で寝返りを打って目を覗き込んできた。

 ポヤポヤした感じの表情。

 出逢って間もない頃の鋭い印象は失せている。

 彼女の髪や額を撫でながら俺はゆっくりと語りかける。


「人は人と悲しみを癒しあって喜びを分かち合って営みを紡いでいくものなんだ」

「営みを紡ぐ?」

「愛し合う、ってことだよ」


 彼女の手のひらを包むように手を重ね、俺は語る。


「カタリストをなんのために使うか、だったっけ。それはね、この世界の悲しみを少しでも癒すためなんだ」

「この……世界?」

「俺はあなたのように自分の身でこの世界の理不尽を味わったわけじゃない。だけどそれに苦しめられる人を幾人か見てきた。それがつらくてやるせなくて、このままじゃいけないと思った。世界を変えたい。少しでも悲しむ人が少ない世界にしたい。俺がカタリストを求めるのはその力を得るためなんだ」


 我ながら綺麗事を言っているという自覚はある。

 だけど本音だ。

 結局、女を口説き落とす最大の武器は夢を追いかける男の姿ってね。

 お笑い芸人が売れなくても綺麗な嫁や彼女いるのはそういうことさ。



 さて、猟犬オルガマリー。

 あんたはどう出る?



(オルガ視点)



 もう…………


 なんだ!? このアンゴという男は!?


 酔っ払って頭がパーになっているのは自覚しているがこれほどまでに居心地のいい時間は味わったことがない!


 野生の獣が子供の毛繕いをしてやるように優しく撫でる指!

 何の生産性もない他愛のない愚痴や恨み言を垂れ流しても嫌な顔一つせずに受け止めてくれる懐の深さ!

 聖職者の決まりきった文句とは違い、彼自身が見出したと思われる美しい人生訓!


 そして何よりも崇高なる大志!!


 私の主人たちは皆、私利私欲のためにしか動けぬ者ばかりだった。

 ブラッセル遊撃隊の上官たちは私たちから人間の尊厳を奪い尽くし、忠実な犬に仕立て上げた。

 遊撃隊を裏切り内部告発をしたあの隊長も正規軍の上級将校になるための踏み台として私のような末端の者たちを生贄にした。

 刑務所では生き残るために強い囚人や看守に媚を売ったが、結局ヤツらの良いように弄ばれた。

 拝金主義のエドワード様は言うに及ばず…………


 私はいまアンゴの優しさに包まれている。

 どれだけ酔っ払っても運命に紐づいた私の嗅覚は彼が嘘をついていないと教えてくれる。


 ああ、胸が苦しいのはお酒が回ったからじゃない。

 彼に触れたくて仕方ないからだ。

 その黒い髪を撫でて、黒い瞳を舐めたい。

 生まれて初めて自ら進んで交わりたいと望んでいる!

 この昂り、冷ましてなるものか!


 私は彼の太ももに頬をこすりつける。


 もう、仕事のことは明日以降考える!

 今はアンゴだ! アンゴアンゴアンゴアンゴアンゴアンゴアンゴアンゴアンゴアンゴアンゴアンゴアンゴアンゴアンゴ!!


「マリーさん。ちょっと疲れちゃった?」

「そう、かもぉ…………」

「この宿に部屋を取っているんだ、おいで」

「…………うん」


 フフフフ! 私がこの犬と呼ばれた私がまるで少女のように可愛らしい声で応えている!

 当然だ! 私は今! アンゴに可愛がって欲しいんだからな!

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