第39話 宇佐美安吾はお嬢様と……
ランスロットの屋敷には専属のシェフが雇われていて、体が資本である主人の栄養管理や客人をもてなすためにその腕を振るっている。
芳しい料理の香りが立ち込める厨房で手際よく働く彼のそばで、場に似つかわしくない紫水晶を思わせる豪奢な美少女がぶきっちょに野菜を切っていた。
「シンシア? 何やってるんだ?」
「見ての通り、料理の特訓ですわ! お嬢様でなくなった私は働かざるもの食うべからずの弱肉強食の競争社会の放り込まれておりましてよ!」
なるほど。少しは生活能力を身につけようと言うわけか。
「シェフ。この子料理人の才能ありそう?」
「ガハハハ、全くないな!」
「そんなっ!?」
豪快に笑うシェフに訴えるような目を向けるシンシア。
ま、そうだよなあ。
小器用に厨房駆け回るシンシアの姿はイメージできないもん。
「ま、料理人は無理でも家族のメシ用意するくらいはできるように矯正してやるつもりさ」
「矯正って!? 私、わずかにズレておりますの!?」
「ズレズレだよ。それはさておき、ちょっと話したいから来てくれ」
そう言って俺はシンシアを連れ出した。
屋敷の最上階には金持ちの屋敷らしくちょっとしたパーティが開けそうなほど広いバルコニーがある。
シンシアと二人きり。
彼女が髪を抑えて三角巾を取るとそよ風に紫色の髪がなびいた。
バルコニーの先の手すりにもたれかかり、二人並んで街を見下ろしながら、俺は彼女に語りかけた。
「料理の修行の邪魔をして悪かったな」
「構いませんことよ。どうせ料理人の才能はないと言われましたし」
シンシアが料理人ねえ……まあ食いしん坊だしやりたい気持ちは分かるけどさ。
「そんなことより何事ですの? ランスロットさんからまた何か頼まれたりしました?」
「いいや。金を払ってもらってお役御免さ。ここぞって時は手伝うけれど、基本的に俺たちはただのお友達さ」
「お友達ですか、お可愛いこと」
シンシアはクスクスと少し笑った後、少し距離を詰めて尋ねてくる。
「じゃあ今後はどうなさいますの?」
「とりあえず、しばらくはここに厄介になってカタリストを取り寄せられないか試しつつ、準備だな」
「準備って何の?」
首を傾げながらもまっすぐ俺を見つめるシンシアに少し気恥ずかしさを感じながら、俺は考えを語り聞かせる。
「俺はこの世界のことを何も知らない。メアリやウェンディみたいに悲運に人生が翻弄されている人がたくさんいることすら分かってなかった。だから、知ろうと思う。この世界で起きていることをできる限り自分の目で見て、できることなら手を差し伸べる————そんな旅をしようと思うんだ」
綺麗事を言っているとは我ながら思う。
だけど、思った以上にメアリの一件は胸を痛めた。
こんなことがまかり通る世の中はおかしいし、あってはならないと。
日本にいた頃は弱者救済なんて国家や意識の高い物好きがやればいいと思っていた俺でも、何かやらなくてはいけないと使命感を抱くくらいに。
「俺にはランスロットのような力はない。だけど、エルドランダーと僅かながらの知識、それからクソみたいな社会人経験がある。それらを駆使すれば俺にしかできない仕事ができるはずだ」
その先に、俺とエルドランダーがこの世界に来た理由が見出せる、ような気がしている。
語り終えたあと、シンシアがパチパチと拍手を叩く。
「ご立派ですわ〜。さすがアンゴさん! 実にお優しくて素敵な旅ですわ! 困難なことだとは思いますが、きっとやり遂げられると信じておりますわ!」
キラキラとした笑顔を振りまくシンシア。
この百点満点の笑顔を見るたびにこの世界で最初に出逢ったのが彼女で良かったと思う。
たしかにポンコツお嬢様だし、世間知らずだし、正体がバレたら世界中からその身を狙われる劇物でもあるけれど、俺の心を支えてくれたかけがえのない少女だ。
どうか幸せになってほしい。
悪人に利用されることなく、彼女を守ってくれるような優しい誰かと愛し愛されて…………本当にそう願っている。
だから、今から俺がやることはひどい矛盾で身勝手の極みだ。
「ありがとう。シンシア。そこで、だ。俺は準備が終わったらまた旅に出る。アテのない旅だし、危険も付きまとう。それを踏まえてなんだが…………シンシア、俺に付き合ってくれないか?」
「…………へっ?」
鳩が豆鉄砲を食ったような顔、ってヤツだな。
口を開けて目を丸くしている。
まあ、予想外ではあるよな。
大の男がか弱いお嬢様を旅に連れ出すなんてな。
だけど……
「エルドランダーの燃料作りはシンシアしかできないし、ディアマンテスに襲われた時とかも助けてもらっているし、ランスロットとウェンディのことだって君の言葉で少し救われた。つまり……」
言葉を尽くせば尽くすほどなんだかズレていってなんだか笑える。
結局、俺の言いたいことはひとつじゃないか。
「シンシア。俺の旅についてきてほしい」
「えへぇっ!?」
シンシアは素っ頓狂な声を上げた。
よほど驚いたのかヨタヨタとフラつき大きな瞳をまんまるく見開いている。
予想を上回る面白リアクションだが焦るな、俺。
たかが小娘一人の説得だぞ。
敵意剥き出しの頑固オヤジやたかり弁護士相手にしてるわけじゃないんだ。
やってのける。
「ランスロットの私有地であるここにいた方が安全だとは思う。でも旅に連れていっても君のことはちゃんと守る。おいしいご飯だって用意するし、見たことのない場所にいける。ついてきてくれたことを絶対に後悔させない!」
どうかしている。
日本にいる頃はろくに友達も恋人も作らず一人で過ごしていたくせに、こんな厄ネタ満載のお嬢様をそばに置こうとするなんて。
でも、仕方ないな。
本当に楽しかったんだ。
コロコロ表情を変え笑ったり嘆いたり怒ったりする彼女とエルドランダーの中で過ごした日々が。
できることなら、あの時間をもっともっと続けていたい。
俺は根本的なところで利己的で浅ましい人間だから、彼女の安全や将来より自分の楽しみを優先するんだ。
少しの間沈黙が流れた後、俯いていた彼女は大きく息を吐いて答える。
「あのー、アンゴさん。まさか……私がついていきたがらないとでもお思いでしたか?」
「へ? ついてきたいの?」
恐る恐る聞いてみると、彼女は顔を上げた。
膨れっ面に遺憾の意をのせて大声で俺をまくし立てる。
「あきれましたわーーー! 四六時中一緒にいて私の気持ちをなにひとつ分かっていらっしゃらないのですもの!」
「シンシアのきもち?」
プリプリと怒りながら彼女は次から次に言葉をぶつけてくる。
「私にとって、あなたとの旅は今まで生きてきた中でぶっちぎりで楽しい時間でしたわ! あなたの運転するエルドランダーさんで風を切りながら国中を走り回るのは爽快で、あなたの作ってくれる食べ物や飲み物はどれも見たことがないけれど絶品で、あなたとお話しする時間も体がふれあった瞬間も全部楽しくて、しあわせだったんですわ!!」
息を荒げるほどシンシアは興奮している。
その姿を見て、俺は俺の馬鹿さ加減を反省した。
彼女はいつだって素直で俺のご機嫌を取るために笑ったり楽しんでいるそぶりをするような人間じゃないなんて知っていたくせにな。
「……ああ、すまん。じゃあついてくるってことでいいんだな」
「聞くまでもありませんことよ! 私の人生から楽しみを奪わないでくださいまし!!」
プイ、と腕を組んでそっぽを向いたシンシアは「まったく……」と前置きをして呟く。
「……もったいぶった言い方をするから交際や結婚でも申し込まれるのかと思いましたわ」
「は?」
なにを突拍子もないことを……いや、待てよ。
・わざわざ見晴らしのいいバルコニーに二人きりで呼び出す
・いつもよりそわそわした態度
・将来の展望を語る男
・「付き合ってくれないか?」
あー…………まあ、そういうシチュエーションと流れではあったかな。
だがなぁ、
「ブハハハハ! 十年早いっつーの。まだまだ君は俺の恋愛対象外だ」
「なっ!? 分かっておりますの!? こんな絶世の美少女お嬢様はそんじょそこらにいるものでは」
「君が綺麗なことは出会った時から分かってる」
「なっ……!? 〜〜〜〜〜っ!!」
照れが溢れ出して顔を真っ赤に赤らめて声にならない声を上げている。
可愛いは可愛いが俺はそういうのに欲情しないんだ。
「で、もし結婚の申し込みだったらどう答えてくれていたんだ?」
「しっ…………知りませんわよ!! そんなことっ!!」
からかいがいのあるお嬢様だこと。
きっとこれからの旅だって彼女がいれば楽しいことはもっと楽しくなって、悲しいことがあって俯いたとしてもすぐに前を向ける。
そんな気がしているんだ。
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