第10話 狐への嫁入り 後編

 狐白神社に迷いこんで、居候をする事になってから一月が過ぎたある日の夜、敷いた布団の上に座った私は自分に宛がわれた部屋の中で着替えをしていた。


「はあ……今日でもう一ヶ月。今頃、会社はクビだろうし、アパートも引き払われてるのかなぁ……」


 この神社の祭神である守名さんこと守代名依神さんが言うには、まだこの神社を出てはいけないらしく、私はずっとここにお世話になっていた。

ここで出されるご飯はとても美味しく、布団もいつもふかふかでお風呂も気持ち良く、私を警戒してる狐次郎さん以外はとても優しいから、居心地はとても良い。

だけど、私はやはり向こう側の人間だし、警戒してる狐次郎さんの負担にもなりたくないから、早く向こうに帰らないといけないとは思っている。このままここにいたって、私のためにはならないと思うし、私なんかがここにいてはいけないと感じているから。


「……まあ、守名さんだけじゃなく、狐太郎さんも狐次郎さんもすごくカッコいいから、この事を誰かに話したらもったいないなんて言われそうだけど」


 三人で街中を歩き、異性からの注目を受ける守名さん達の姿を想像して私はクスリと笑う。それくらい三人ともカッコいいし、私を警戒してばかりの弟の狐次郎さんとは逆に兄の狐太郎さんは結構フレンドリーなため、これまで異性との交際経験もない事で逆に異性からの好意を疑ってしまう私でも勘違いしてしまいそうだった。

だからなのか居候を始めて一週間が過ぎた頃から、私は狐太郎さんや狐次郎さんに抱かれたいという思いが募っており、普段は一人ずつだけど、時には二人から愛される想像をして自分の欲求を満たし、自分以外に誰もいない部屋の中で虚しさを感じていて、今着替えているのもそれが原因だ。


「……あり得ないってわかってるのに一人でこんな事をしてるなんてやっぱりよくないよね。はあ……このままだと本当に皆さんに迷惑をかけそうだし、早くここからいなくなれるように祈ろ──」


 汗をかいた事で着物を脱ぎ、下着も変えようとしていたその時、襖がスーッと開き、狐次郎さんが姿を現した。


「……え?」

「なっ……お、お前……! な、何をして……!」

「何って着替えを……というか、狐次郎さんこそどうしてここに!?」

「わ、私はここへ来るように守代名依神様に指示を受けただけだ」

「守名さんから……」


 その言葉に私は驚く。私の部屋は守名さんや狐太郎さん達の部屋からはかなり離れた場所にあり、トイレやお風呂も別々だ。私が来るまでは男三人での生活だったはずなのに、どうしてそんな離れたところにも作ったのかと前に聞いたら、この狐白神社を建てる際に必要だと感じたからだと答えられ、私はとりあえずそれで納得していた。

そして、私の着物や着替え、小物などは私が守名さんにお願いしたら持ってきてもらえる物で、脱いだ物や汚れた物はいつの間にか守名さんが回収しているし、ご飯の時も守名さんが伝えに来てくれるので狐太郎さん達が来る事がまずないのだ。

私が驚いている中、狐次郎さんは少し顔を赤くしながら私から目をそらす。


「と、とにかく早く着替えてしまえ。守代名依神様がここへ来るように仰ったのだから、私もここにいないといけないのだ」

「……狐次郎さんはここにいるのは嫌ですか?」

「嫌とは言っていない。だが、お前は──」

「人間だから、ですか……?」

「え……?」


 狐次郎さんが不思議そうな顔をする中、私の目からはぽろぽろと涙が溢れ出す。


「私が人間だから、狐次郎さんはいつまでも私を警戒するし、そんな風に嫌そうにしてるんですか?」

「お、お前……なぜ泣き出すのだ!?」

「だって、そうじゃないですか……狐次郎さんはいつになっても私にキツい視線を向けてくるし、今だって冷たい態度を取るし……」

「そ、それは……」

「たしかに私は簡単に死のうなんて考える弱い女で、人間の中でも大した事ない奴で──」

「そんな事を言うな!」


 突然狐次郎さんは大きな声を上げ、私が驚きながら狐次郎さんに視線を向けると、閉まった襖を背にいつの間にか部屋の中に入っていた狐次郎さんの目には怒りの色が浮かんでいた。


「狐次郎さん……?」

「お前が大した事ないだと? そんなわけがあるか! お前は死のうと考えるまで追い詰められていただけで、それまで必死に耐え抜いてきたのだろう!? ならば、お前は強い! お前が弱いなどあるわけがない!」

「狐次郎さん……どうして……?」

「……私がお前を警戒していたのは本当だ。あの時も言ったようにここへ来られる人間などそうそういないのだからな。だが、私はお前を嫌がっていたわけではない。お前が近くにいると、いつもの私ではいられなくなりそうだからだ」

「いつもの狐次郎さん……」

「……そうだ。これまで私はこの狐白神社で守代名依神様と狐太郎しか会った事がない。その中で人間ではあるが女であるお前と出会った事で、お前の事を常に意識して恋慕し、お前を抱きたい欲求に駆られてしまうのだ」

「え……」

「だが、そんな事は許されん。迷い込んだとはいえ、守代名依神様に滞在を許された以上、お前は客人であり、私の欲求を発散する相手になど出来ぬのだ。お前を娶ればそれも叶うかもしれないが、お前もこんな人ならざるモノではなく、同じ人間の方が良いだろう」


 落ち着いた口調だったけど、狐次郎さんは哀しそうな顔をしており、私はそんな狐次郎さんが放っておけずに静かに抱き締めた。


「お、お前……」

「……お前、じゃなく氷雨って呼んでください。好きな人からはちゃんと名前で呼んでもらいたいです」

「す、好きな……だと?」

「はい……私、着替えていたのも抱かれる想像をして自分を慰めていたからなんです。相手は狐次郎さんだけじゃなく、狐太郎さんもですけど、私は等しくお二人が好きですし、お二人から抱かれるなら幸せだと思ってます」

「氷雨……」

「だから、狐次郎さんさえよかったら、このまま私を──」


 抱いてほしい。その言葉を口にしようとしたその時、襖が静かに開いていき、ハッとしながらそちらを見ると、そこにはニヤニヤと笑いながら狐次郎さんを見る狐太郎さんが立っていた。


「こ、狐太郎さん……」

「狐太郎……」

「守代名依神様の指示でここへ来たら、まさかお客人と弟が両想いなのを知る事になるなんてな」

「け、けど……」

「……聞こえてましたよ。狐次郎を好きなのと同時に俺の事も好きになってくれたんですよね。俺だって氷雨さんの事は好きだし、お客人だからと思って手を出さないようにしながら自分を慰めていたんです」

「狐太郎さんも……」


 狐太郎さんの言葉を聞いて嬉しく思っていた時、狐太郎さんは狐次郎さんに対して頷く。


「狐次郎、守代名依神様に背く行為になるかもしれないが、お前さえよかったら氷雨さんの想いに応えたい。どうだ?」

「……愚問だな。神使として祭神に背くのはご法度だが、愛する相手のために何かをしたいという気持ちはたしかだ。まさか二人揃って同じ相手に懸想をして、その相手から二人とも愛されてるのは思わなかったが」

「はは、そうだな。だが、お前なら俺も問題ない。他の男だったら、命を懸けてでも氷雨さんの愛を一心に受けようと思ったが、双子のお前なら俺も一緒に氷雨さんを愛していけると思う」

「同感だ。氷雨、お前の気持ちはどうだ?」


 二人のまっすぐな目を見ながら私はゆっくり立ち上がり、軽く見回してからにこりと笑う。


「はい、私もお二人の事を愛しています。だから、お願いします。二人で私を愛してください」

「承知した」

「愛しの人からのお願いなら断れないな」


 二人が微笑みながら答えた後、私達は揃って服を脱ぎ、しっかりと襖を閉めてから三人で体を重ねた。初めてを捧げたのが同じ人間じゃなかったのは驚きだけど、狐太郎さんの優しく包容力のある愛撫と狐次郎さんの少し荒々しくもしっかりと愛そうとしてくれる愛撫は私を幾度も絶頂へと導き、私も負けじと体全体を使って二人に気持ちよくなってもらおうと頑張った。

種族が違うモノ同士が好きになり、こうして愛し合うのは端から見れば奇妙で、あり得ないとか気持ち悪いとか言う人もいるだろう。だけど、今の私はそんな声すら気にならない。

何故なら、こんな私でも必要としてくれて、愛してくれようとする人達がいてくれるのだ。それなら、私はそれだけで十分だ。それ以上に望む物なんて決してありはしないと言えた。

そうして三人で幾度も愛し合い、興奮と体の接触によって体温と室温が上がっていった後、遂に私達の体力も尽きて、私達は三人並んで布団の上に横たわった。


「……はあ、すごく気持ちよかった……」

「……それならばよかった」

「はは、たしかにな。このまま女性という物を知らずに神使として生きていくのかと思っていたけど、初めて会った女性に恋をして、その人と肌を重ねられたなんて本当に幸せだ」

「……同感だ。こうして愛を伝え合い、交じり合った以上、私は氷雨を妻として迎えようと思う。狐太郎、お前はどうだ?」

「……そんなの聞く必要ないだろ。俺だって氷雨さんを妻として愛するさ。二人で一緒に愛していくと決めたからにはこの命が尽きるまで──いや、尽きても氷雨さんのそばにいよう」

「……ああ」


 狐太郎さんと狐次郎さんが私を挟んで笑い合っていたその時、閉めていた襖が三度開き、満足そうな顔で私達を見下ろす守名さんの姿がそこにあった。


「か、守名さん……!」

「も、申し訳ありません……! 守代名依神様の前でみっともない姿を晒してしまいまして……!」

「……いや、三人ともそのままで良い。私の願った通りの事がちゃんと起きてくれたのだからね」

「守名さんの願い……」

「……まさか、守代名依神様がここに俺達を呼んだのは、氷雨さんと愛し合わせるためですか?」


 狐太郎さんの問いかけに守名さんは微笑みながら頷く。


「そうだ。狐太郎も狐次郎も東狐さんを好ましく思っていて、東狐さんも二人の事を愛していると知っていたからな。だから、これまで向かわせた事もなかった二人をここに呼べば、東狐さんと愛を伝え合うんじゃないかと考えたんだが、それ以上の事までしていたとは、これは嬉しい誤算だ」

「え……それじゃあ私達三人が恋人同士でも……」

「問題ない。それどころか東狐さんにはここにいてもらいたいんだ。向こうの人間達にウチの神使達の恋人を好き勝手にさせるわけにはいかないからね」

「で、でも……私には会社も借りている家もありますし……」

「それなら心配はいらないよ。勝手な真似をしたとは思うが、向こうの世界で東狐さんはもう死んだ事になっているからな」

「えっ……?」


 突然の言葉に私が驚いていると、守名さんはそのままの表情で話を続ける。


「実はここを出ようとするのは危険だと言ったのは嘘なのだ。ここへ来る前の東狐さんは本当に今にも死んでしまいそうであり、ここまで綺麗で頑張り屋の女性が命を絶つのはあまりにも惜しいと思い、この狐白神社まで呼び寄せた。ここで暮らせば、少しは気持ちも変わると思ったからな」

「そう……だったんですか……」

「そして、嘘をついてここに滞在するように仕向け、その間に私は向こうで東狐さんの偽者を作り出して、違和感のないようにしながら死んだように見せかけた。

その結果、賃貸も引き払われているし、会社も行かなくて済むようにはなったが、あの連中は東狐さんの死を悼むどころか根性なしだの体しか良さのない奴だの勝手な事を言っていたので、会社自体も潰してきた。

だから、向こうへ戻る必要はもうない。東狐さんが望むなら、ここで狐太郎と狐次郎の妻として永遠にいて良いのだ」

「二人の妻としてここに……」


 向こうで私がもう死んだ者になっているのは驚いたし、相談くらいはしてほしかったと思うけど、私はこの事実に安心感を覚えていた。

両親も小さい頃に亡くして、引き取られた親戚から逃げるようにして上京したは良いけど、初めて勤めたところがブラック企業だった事で、私は自信を失くしてそのまま死んでしまおうとしていた。

だけど、その会社ももう無くて、不仲な親戚にはもう会わずに済み、私を女性として愛してくれる人達がいる場所にいられる。その事が私にとってとても幸せだったのだ。


「……はい、もちろんです。二人を愛する者として、ここで二人の妻になります」

「氷雨……」

「氷雨さん……」

「それならば、決まりだな。祝言を上げるのは少々難しいが、ウチの子狐達に妻が出来たのはとても喜ばしい。東狐さん、ウチの神使達をよろしく頼む」

「はい──って、子狐?」

「ああ、言い忘れていたな。二人は狐の神使なのだ。だから、機会があったら狐としての姿を見せてもらい、気の済むまでモフッてやるといい。もっとも、その後に二人から逆襲されても私は責任は取らない」


 そう言う守名さんの顔はとても楽しそうであり、狐太郎さんと狐次郎さんは揃って守名さんに対してジトッとした視線を向けていて、そんな二人の姿が可愛らしくて私はクスクスと笑っていた。

死のうと考えていた私が神様に見つけてもらって、その神社に招かれた上に神使の妻となったのはとても信じられない出来事だけど、私は守名さん達との間に結ばれた縁にとても感謝している。

何故なら、私の中にはもう死のうという気持ちはの雨は降っておらず、代わりに狐への嫁入りを祝福する希望の狐火が幾つも灯っていたからだ。

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