恋憶の館
九戸政景
プロローグ
「……ここみたいだな」
俺は目の前に建つ古びた洋館を見ながら独り言ちた。全体的に暗い色合いの古ぼけた灰色の外装に古くから建っていると思わせる雰囲気、そしてそれとは逆に綺麗に磨かれている銀色の
「それにしても……外観はネットで見た通りだけど、本当にここはどこなんだろうな。ネットの掲示板に書いてたのは、枕の下に自分の理想の恋愛と好きな人の名前を書いた紙を入れて、ここに来たいと願いながら眠ると来られるけど、ここは自分がいた世界じゃないって事くらいだったし……」
俺は辺りをキョロキョロと見回したが、洋館がある方以外は薄いピンク色の靄に包まれて何も見えず、門に何かが貼られていたり何かヒントが書いてある看板が立っていたりする様子もなかった。
「……謎の空間に建ち、あらゆる恋と出会えて恋愛が成就する洋館、か。ネットで見た時に興味が湧いたから試してみたけど、本当に来られると思っていなかったから、少しドキドキするな。
服も寝た時のパジャマじゃなくて、いつものパーカーとジーンズを着てスニーカーを履いた感じだし、夢の中にしてはだいぶ意識もハッキリしているから、夢の中じゃなく本当にここまで歩いてきたみたいな感じがするけど、これって本当にどういう事なんだろう……」
洋館の門扉の前で俺は腕を組みながら考え事を始める。小さい頃から目の前にある物や起きた出来事についてしっかりとした理由を求めてしまう癖が俺にはあり、その癖については幼馴染みからも程々にした方が良いと実は言われたりしているのだが、今でもそれは止められずにいた。
そして、腕を組みながらあれこれと考えていたその時、洋館の扉がゆっくりと開き、中から一人の女性が出てきたのが見え、停滞していた状況が動き始めた事に俺は嬉しさを感じた。
「あ……もしかして、あの人はこの洋館の持ちぬ……!?」
その女性が近づいてくるのを見た瞬間、俺の心臓の鼓動が突然どくどくと速くなり、まるで全速力で100メートルを走ったかのように息も荒くなった。
その人は長いブロンドの髪を歩く度に左右へ揺らし、着ている服も神話に出てくる女神様のような物だったため、そのスタイルの良さにもドキドキしていたが、自分がその人を見ているという事が恐れ多い事のように思えてしまっていた。
そして、その人との距離があと少しというところまで縮まった頃には、その人の後ろから後光が差しているようにも見え、その人が普通の人ではないのがハッキリとわかった。
「はあ、はあ……く、苦しい……」
心臓が徐々に押し潰されるように痛くなり、そのショックで死んでしまうのではないかと思っていると、門を挟んでその人は俺の目の前に立ち、優しく微笑みながら静かに口を開いた。
「……少しお待ちくださいね」
そう言うと、その人は息を荒くする俺を見ながら指をパチリと鳴らした。すると、押し潰されるようだった心臓の圧迫感は一瞬にして無くなり、それによって速まっていた心臓の鼓動も徐々に静まっていくと同時に息もゆっくりになっていった。
「え……ど、どうして……」
「貴方にかかっていた魔術を解除したのです。この魔術というのは、恋する相手がいる方が私に魅力を感じた際にそれを戒める物で、体の関係を持った事がない方には強くその反応が出るんです」
「う……仕方ないとはいえ、会ったばかりの人にそういう事がバレるのはやっぱり恥ずかしいな……」
「私の場合は相手の恋愛や性交の経験を感じとる事が出来ますが、なんとなく女性慣れしてないのだろうなという雰囲気は感じましたね」
「あ、あはは……えっと、ここって一体どこで貴女は誰なんですか……?」
恥ずかしさを隠すために話をそらした俺に対してその人は微笑みながら質問に答えてくれた。
「ここは『
そして、私は同じくエロース様よりご加護を受けてこの洋館の管理をしているアガサ・ペイスと申します。どうぞよろしくお願いします」
「あ……俺は
「ああ、それはおそらく以前いらっしゃった方が書いた物だと思います。どういった場所なのかは公にはしないでくださいとお帰りになる直前にお願いしましたから」
「以前……という事は、ここにはこれまでも来た人がいるんですか?」
「はい。エロース様はギリシア神話にて恋心と性愛を司る神様で、その加護を受けたここには下界でのあらゆる恋の出来事や性愛にまつわる出来事が集まっており、私も男女問わずその性欲を活性化させたり運命の相手を感じ取る力を頂いているのです。まあ、性欲の活性化については使う機会があまりありませんが」
「そうなんですね……でも、どうして好きな相手の名前と求める恋愛の形を書いた紙を枕の下に入れて眠るとここに来られるんですか?」
エロースという神様が恋心と性愛の神様なのはわかった。けれど、別にここには“アイツ”がいる様子は無いし、むしろ魔術を解除された事でアガサさんのスタイルの良さに目が行って、良からぬ事を考える奴がいたっておかしくない。
そんな場所なのに、好きな相手の名前や求める恋愛の形が必要なのは、少し変な感じがする。理性のタガが外れてアガサさんを無茶苦茶にした挙げ句、アガサさんを独り占めしたいと思うような奴はこれまでいなかったのだろうか。
そんな事を考えながらアガサさんと『ラバーズマンション』を交互に見ていると、アガサさんは俺の様子にクスクスと笑い始める。
「ここへ来るためにそれが必要なのは、ここへ来た方の恋愛をサポートするためです。どのような形の恋愛であっても恋愛は恋愛。ここに集まる様々な恋や人間の性愛に触れて頂いて御自身の恋に改めて向き合ってもらい、その上で私が意見を述べる。それが私とここの役目です」
「あ、なるほど……」
「さて、それではそろそろ中へ参りましょうか。このままここにいるよりは、早速様々な方の経験を追体験頂きたいですから」
「わかりました」
アガサさんの言葉に答え、門扉がゆっくりと開いた後、俺はアガサさんの後に続いて歩き出し、そのまま『ラバーズマンション』の中へと入った。
中に入ると、大きなシャンデリアが上から吊るされたエントランスがあり、壁に飾られた絵画や台の上に置かれた調度品は素人目に見ても高そうであり、そういう場所だと知らずに入ったら富豪の家に招かれたと錯覚してしまいそうだった。
「すごいな……」
「この内装もエロース様の拘りによる物です。飾られた絵画も全て恋愛や性愛について描かれた物ですし、本当に堪えきれなくなった際にはお使い頂ける寝室もありますよ」
「堪えきれなくなるって……え、それってまさか……」
「はい、その時は私がお相手しております。私はここへ来る前に子を孕めないように自らエロース様に願った上に私もこの身を使って頂く事に嫌悪感はありませんし、エロース様のお力によって男性にも姿を変えられますから、様々な方のご要望に応える事が出来ます。
ですので、前納様も好きな時に私をお求めください。今はお話をするために私に魅力を感じなくなる魔術を使っていますが、そろそろそれも無くなりますし、もしも初めてを愛する人に捧げなくともいいという判断になったら、我慢をしてもしかたありませんから」
その言葉を聞いてついアガサさんの身体に目が行く。その言葉通り、アガサさんに再び魅力を感じ始めているのか美人の隣にいるという事に緊張し、アガサさんなら快く受け入れてくれるのではないかと考えが広がりそうになり、俺はその邪な考えを追いやるために頭をブンブンと振った。
「……だ、大丈夫です! そ、それよりここで俺は何をすれば良いんですか? さっきアガサさんはここは様々な恋や性愛が集まる場所だと言っていましたけど……」
「前納様にはここの中を巡って幾つかのドアを開けて頂きます。ドアの向こうにはここに集まった恋や性愛に関する記憶があるので、それを追体験して頂き、私がそろそろ良いだろうと考えたり前納様がこれ以上は良いとお考えになるまでそれを続けます」
「そうなんですね。えっと……どこから始めた方が良いというのはありますか?」
「特にはございませんよ。前納様がこれだと思ったドアから始めて頂いて大丈夫です」
「わ、わかりました」
これから起きるであろう出来事にドキドキしながら答えた後、俺は辺りを見回し、初めに目についたドアの前に立った。
そして、滲む手汗を軽く裾で拭って一度深呼吸をしてからドアノブを握り、ゆっくりと回しながら最初のドアを押し開けていった。
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