第9話 理由

 俺は言いようのない嫌悪感に襲われた。自分とは異なる民族の知らない風習。そこに属する人。あの時と同じような悪寒が走った。たまらない嫌悪感だ。こんなはずではなかった。そんな風に思うところまで一緒だった。


 この十五年、時たま顔を出してはその度に振り払ってきた、心に引っかかっていたもの。それが更に大きくなったのを感じた。


 俺は思ってることが顔に出やすい。俺のその嫌悪感が表に出たかはわからないが、今回は必死で抑えようとはした。努めて冷静に振る舞おうとした。


 しかしやはり、多分レトにも俺の嫌悪感は伝わってしまったのだろう。レトの表情にもあの時のマナと同じような感情がそこには見えていた。


 ただ違うのは、レトは「そうですよね」の一言と共に笑顔を見せたことだった。他民族のこういう反応には慣れている、というのがわかった。いちいち相手してたらキリがない。内心そう思っているのかもしれない。そしてまた、自分たちの風習が異端であることも理解しているようだ。他の民族の視線の中で、自分たちを相対化して、客観視できている。都市に住む異邦人特有の視点を彼女は持っていた。


 結局、俺は申し出を断った。それでもレトは「気が変わったら来てください」と一枚の紙を俺に渡して帰って行った。そこにはマナの遺体を食べる、その場所の住所が書かれていた。



 メインの肉料理がやって来た。牛の肉の盛り合わせだ。綺麗に切り分けられた肉をタレにつけ、箸で口に運ぶ。うまい。そして、父親の肉を食うマナの姿が急に思い出された。あの時のマナはどんな表情をしてたか。あんまり覚えていない。ただ、口の周りを脂だらけにしながら食ってたことはハッキリ覚えている。


 この十五年間、胸の奥のところに引っかかっていたものが、今日はなかなか顔を引っ込めてくれない。それは、有体に言えば、マナの父親の肉を食わなかったことに対しての後悔だと思っていた。でも、ひょっとしたら、それは自分にとって都合の悪い本音だったのかもしれない。


「ねぇ、ホントにどうしたの?」


 彼女が話しかけてきた。目の前には食後のお茶が置かれていた。食事はあっという間に終わってしまった。俺が考え事にふけって黙っていたからだろう。おかげで肉はうまかったはずなのに、あんまり味を覚えていない。普段俺たちは食事中もよく喋る。だから食うのが遅い。それが今日は店に来てから二十分と経たないうちに食事が終わってしまった。


「何かあったの?」


「あー……、いや、やめとこう。食事中にする話じゃない」


「食事、終わったよ」


「いや、まぁそうなんだけど、食ったばっかだから」


「大丈夫よ」


「いやあ、キツいと思うぜ」


「ひょっとして、私にも話せないことなの?」


 こうなったらこいつは引かない。変な疑いを持たれても困るし、俺は正直に今朝の出来事とそれにまつわること、そしてそれについて思うことを話した。案の定、途中彼女は嫌な顔をした。けれども最後まで黙って聞いてくれた。


「確かにレストランでする話じゃないね」


「だから言ったろ」


「でも、私はテヲノくんはおかしくないと思う」


「なんで?」


「だって人って、わからないものに対しては拒絶反応を示すものじゃない? 遠ざけたがるというか。わからないものが一番怖いからね。例えば、人食い人種が、誰彼構わず人を食べるのだとしたら、それは恐怖で、つまり明確な対象がハッキリわかってるから、そこには近づかなければいいだけの話でしょ? 恐怖は、逆に言えばそれに対して何かしら策を講じることができる。成功するとは限らないけど。だけど、なぜ食べるのか、っていう理由に関してはわからないわけでしょ。わからないものに対しては対策が立てられない。だから、テヲノくんはそれに対して拒絶反応を示したんじゃない?」


「いや、理由はわかってるって今言ったじゃん」


「それは頭で理解しただけの話でしょ? 本当にはわかってない。気持ちとか、皮膚感覚で理解できたり、或いは習慣として子供の頃から、そういうもの、として生きてこなければ、人間なんか食べられないよ」


「頭でねぇ……」


 俺はなんで少数民族の言語を研究しようとしたんだっけな?


 消えつつある少数民族の言語を救いたい、だったっけか。ずいぶん大上段に構えたものだな。


 俺の知らない考え方や感情を知りたい。そんなことも考えたかな。


 俺にも若い頃があったんだな。裏切られるとも知らず、無駄なことばっかりやってきた気がするな。


「ごめん、ちょっと、あのー……」


 いつの間にか立ち上がっていた。でも、立ち上がったはいいものの、何と言ってよいかわからなかった。


「今日は早く食べ終わっちゃったね。量少なかったからかな。まだ食べ足りないんじゃない?」


 彼女がそんなことを言った。


「……おめぇ、すげえな」


「わたしは行かないからね」


「まぁ……、なんつーか……、現地調査だ。俺はこれでも研究者だからな」


「現地『調査』ねぇ……」



 マナを食す会(なんとも聞き慣れない会だが)は夜の七時半に始まると聞いていた。時計を見ると七時半を過ぎたところだ。レトのメモにある住所は郊外だったが、幸いにも彼女と行ったレストランからは近いところだった。開始には間に合わなかったが、車を少々飛ばせば何とか会が終わるまでには間に合うだろう。


 結局俺はマナの肉を食う運命だったのかもしれない。



「わざわざご足労いただきまして、ありがとうございました。でも今しがた、全部食べちゃったんです」


 出迎えてくれたレトにそう告げられた。


「……そうでしたか」


 途中、ことごとく信号に捕まってしまったのがいけなかった。運が悪かったと言えばそれまでだが。ただ、ここに来るまで運転している間、やけに汗をかいた。手が滑りまくって、極めておぼつかないハンドルさばきとなってしまった。危なっかしく、それで遅れてしまったということもある。ただ、着いてからはあれほどかいていた手汗が途端に引いてしまった。俺としてはもうちょっと早く引いて欲しかった。


 マナの家は平屋の一軒家で(高床式住居ではなく、ごく普通の家だった)、郊外だからか広い庭があった。その庭でマナの遺体を焼いて、親族で食べたという。皆、マグ族の民族衣装を着ているが、どことなく着慣れていない感じだ。こういう行事の時以外は、もう着ていないのだろう。


 遺骨を見せてくれるというので、せっかくだから見せてもらった。骨の量がすごく少なくて驚いた。そういえばマナはとても小さかった。俺の中ではマナはあの十五年前の少女のままだ。


 レトは、もちろん母親の肉を食べた。マナそっくりのレトを見て思う。マナは、マグ族言うところの「死んではいない」のだ。レトの中で、今も生きているのだ。


 マグ族がなぜ長寿と言われていたか、なんとなくその理由がわかった気がした。


 彼らの考えで言うと、マナの父親はマナの中で生き続け、マナはレトの中で生き続ける。つまり、マナの父親はま

だ生きていることになるし、マナもまた然りだ。それを脈々と続けてきたのなら、マグ族の先祖はまだ彼らの中で生きている。マグ族は延々と生き続けているのだ。そのことが曲解され、マグ族は何百年も生き続ける、という話になったのだろう。タネがわかれば他愛もないものだが、わからなければそれは畏れ多いものであり続ける。そしてわからないものには、多くの人は拒絶反応を示す。


 レトの隣には終始一人の男の子が寄り添っていた。見るからに純血の帝国民だ。レトと歳はそう離れていない。彼の方が少し年上だろうか。レトの恋人で、名をナターナム・エボルという。レトも含め、親しい人からはナタと呼ばれているので、そう呼んでください、と言われた。いかにも、人懐っこい若者、といった感じだ。彼もマナの肉を食べたらしい。ゆくゆくは結婚したいという話だ。


 このナタの中にも、マナの命は流れているのだ。

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