第10話・従兄弟の結婚式
正直、どうしてこのタイミングで、というのが有希の本音だ。母方の従兄弟が結婚式の招待状を送ってきたのは二ヶ月半前。年明けくらいに、年内にはという話は聞いていたけれど、我が家がというか、父の体調が怪しくなってきたこの時期に、という感じだ。先方はこちらの事情は知らないのだから、完全に仕方がないことなのだが。
二度目のガンマナイフ治療を受けた後、以前の面影が無いほどに信一の顔は浮腫んで腫れあがっているし、きっと体型も変わってしまっているはずだ。手持ちの礼服も入るかどうか……。
「別に大丈夫や。結婚式なんて、ずっと座ってるだけやし」
披露宴での余興や挨拶をお願いされている訳ではない。義理の甥っ子の挙式に、親戚の一人として呼ばれているだけだ。ボタンが留められなくても、ベルトで誤魔化したらいいと、父本人は当たり前のように参列するつもりだった。でも、有希達は祝いの席で父が急変して救急車を呼ぶような大騒動にならないかが心配だった。
従兄弟からの招待は従姉妹になる有希達姉妹と、由依の娘二人にも送られていて、事前に子供達に用意する料理の確認が由依の方にあったらしい。子供用のドレスのレンタルとベビーシッターの手配もして貰えたと、由依はかなり張り切っていた。
「花嫁さん側で参列する子供が、今回初めての結婚式らしくてさ、うちの子達の出番はないんだって。残念だわー」
「なっちゃんは亜美ちゃんの時にやらせて貰ったからねぇ。みーちゃんではまだ小さ過ぎるし、仕方ないわ」
美鈴が生まれたばかりの頃、菜月は別の従姉妹の挙式で花束贈呈の役を経験しているし、まだ二歳にもならない美鈴には無理がある。晴れの場で我が子に目立つチャンスが無いことを、由依は悔しそうにしている。
「木下先生にも相談したけど、薬を飲んでるんだからお酒はダメって言われたわ」
あと、あまり騒々しい場所はオススメしないとは言われたらしいが、静かな披露宴は考えられないので、家族が注意して様子を見るしかない。めでたい祝いの席に水を差すことがないように、ただただ祈るしか出来ない。
有希よりも一歳年上の従兄弟は、二つ下の綺麗な花嫁さんの隣で、照れ笑いしながらもとても幸せそうだった。一日一組限定の挙式場は、広瀬家から車で半時間ほどの場所にあった。料理が得意だという新婦が作った生チョコがデザートの一品として出されたりと、二人のこだわりが詰まった披露宴。
同じテーブルには有希達家族以外には母の従兄弟だというおじさんが一人居ただけで、余計な気を使わなくて済みそうだった。
由依は自分の時とを比較してシビアな意見を口にしたりと、独特の目線でそれなりに楽しんでいた。姉の時はホテルウエディングが主流だったから、当時とはいろいろ違って面白いらしい。
でも、父の隣の席にいた有希は終始、自分の右隣りが気になって落ち着かなかった。余興などで大きな音が鳴れば、顔をしかめていた信一。それは単に煩かったからなのか、それとも音が頭に響いて苦痛なのか、はたまた音に驚いて動悸を起こしてしまっているのか。とにかく、父の様子を確認しながらで、穏やかに食事を楽しむという雰囲気でもない。
一日一組だけの挙式は、時間に追われたホテルのそれとはまるで違い、二人の門出を祝うのに十分な時間が用意されていて、いつ終わるのかの目途が立たない。予定されている余興や挨拶が全て終わるまで帰して貰えそうもない。他人の結婚式に参列して、こんなにも早く終わってくれと願った経験はなかった。後から考えると、とても失礼な話だが。
「お父さん?」
「ん、うん。ちょっとズボンが苦しいだけや」
由依はお昼寝の時間になってしまった次女を、用意してもらっていたキッズルームへと寝かしつけに席を立っていた。有希が左隣の席に座っている菜月のお子様ランチのハンバーグを小さく切り分けてあげていると、母が小さい声で父に体調を確認していた。顔を苦痛の表情に歪めた信一は、少し青褪めているように見えた。
すぐに気付いてくれた式場のスタッフに身体を支えて貰って、横になれる場所にと会場の外へ移動していく。
「有希。家にあるお薬、取って来てくれる? キッチンカウンターの上に置いてあるから」
「うん、分かった。薬だけでいいの?」
「それだけで大丈夫」
父に寄り添って出ていく貴美子は、唯一自由に動ける次女に指示する。自宅からそれほど遠くない式場だったのは、不幸中の幸いだといえる。
母から言われて、すぐに手荷物を抱えて式場を出ると、有希は駐車場に停めていた車に乗り込む。従兄弟の披露宴を途中で抜け出すことになるとは思わなかったが、正直なところ、あの場で父の様子をハラハラしながら気にかけているより、こうやって薬を取りに戻るという用事で動き回っている方が、気持ち的には随分と楽だった。
家に着いてからまた式場へと戻る往復一時間。有希のスマホに緊急の連絡が入ることはなかった。
車を駐車場に停め、処方箋の入った袋を握り締めて会場に帰ってきた有希は、すでに父が体調が戻って席に着いている姿にホッと胸を撫で下ろした。伯母が舞う日本舞踊を、目を細めて眺めている顔色はすっかり良くなっていた。
「はい、薬取ってきたよ。もう大丈夫なの?」
「ああ、大したことない。ちょっとベルトがキツかっただけや」
別室を用意して貰うまでもなく、廊下のベンチでベルトを緩めて少し横になっただけで平気になったのだという。取りに戻った薬は父に飲まれることなく、隠すように母のハンドバッグに押し込められていた。何事もなく済んで良かったと思う反面、わざわざ家に帰らされた自分は何だったのかと虚しさも覚える。
有希が外へ出ていた一時間、ずっと参列者による余興は続いていたらしく、戻って来た席にはデザートの皿が並べられたままだった。
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