第2話 爺、復活する

 ──ドゥゥン、ドゥゥン。


 どこからともなく聞こえる音に、イリヤの意識はゆっくり浮上した。


 薄ぼんやりと覚醒していく中で目を開くと、水中で気泡が蠢くような音とともに揺れる視界がひらけていく。まるで水の中で揺蕩っているような。


「────ゴボッ!?」


 ふとした瞬間に気が付く。まるでではない。今自分がいるのは水の中だ!


 訳も分からぬままに手を伸ばせば、見えない何かにぶつかる。反射的に握り拳を叩きつけると硬質な感触が跳ね返ってくる。落ち着けば息苦しさなど全く感じていないだろうに、それを冷静に分析するのは覚醒したてのイリヤに求めるのは酷というもの。


 彼のガムシャラが功を成したのか。あるいは別の要因か。やがて、透明な壁に亀裂が生じる。


「──ゴボガァァッッ!」


 その光景にほんの微かな理性を取り戻したイリヤは、体内に存在する魔力を片手に集中し力の限りに正面を殴りつけた。


 密閉空間が破砕音と共に解放され、込められた液体と共にイリヤは外へと流れ出された。


「痛たた……げほっ、げほっ……全く、一体なんじゃと言うのじゃ……うぇっほ!?」


 地面に叩きつけられた痛みに顔を顰めながら喉の奥に溜まった水を吐き出し、盛大に咳き込む。だが、しばらくそうしているうちに違和感に気が付く。


「というか儂、なんで溺れとったんじゃ?」


 直近の記憶が非常に曖昧だ。自分がどうしてこの場にいるのか全く記憶にない。


「ったく、痴呆の類とは無縁じゃと思ってたんじゃがな」


 咳き込んでひりついた喉を手で押さえながらぼやくイリヤ。年齢を理由にボケたフリをしたことはあっても、本当にボケたことなどなかったつもりだ。いや、それすらボケて忘れた可能性もあるが、少なくとも今のイリヤは意識をはっきり保っている。


「ん? なんじゃ?」


 自分の周りを盛大に濡らす水たまりに目を落とせば、まだ幼さの残る少年の顔立ちが反射して見えるではないか。よくよく見れば、将来はイケメンに育ちそうな可能性を秘めている。そう、記憶の中に小さく残る、かつての己を彷彿させる。


「…………おいおい、ちょっと待て」


 改まって己の手を見れば、皮と骨だけが残っていた枯れ枝のようなそれではない。もっちもちに肉の着いた小さな手だ。力を入れてみればやはり、思う通りに動く。はっとなって己が顔に触れてみれば、ふさふさモジャモジャの髭は影も形もなく。ツルツルでプルンプルンな健康お肌。


 再び水たまりに視線を向ければ、驚愕した表情を貼り付けた若かりし頃の己だ。


 ここまで来ればもう認めざるを得ない。


「若返っとるんじゃが儂ぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!?」


 頭を抱えて絶叫する『少年』の声が辺りに響き渡った。




 前代未聞の事態に混乱極まったが、そこは大魔道士の名を得ていた男である。状況が不明瞭なのは未だ変わらずながら、状況を分析しようとする冷静な思考は程なくして取り戻していた。


 イリヤ・アイズフィールド。


 当代きっての大魔道士であり、勇者の仲間。人類の殲滅し世界征服を目論む魔王とその軍勢を相手に、さまざまな大魔法で勇者を助けた。


 そして最後は勇者の刃によって復活の輪廻を完全に断ち切り、魔王が完全に滅んだことを見届ける。だが最後の最後に魔王が放った必死の一撃から勇者を庇い、仲間に見届けられて大往生した。


 ──はずなのであるが。


「儂、おっ|死(ち)んだはずなんじゃがな」


 水浸しの床に胡座を描き、腕を組みながら首を捻るイリヤ。運良く手近なところにコートが落ちていたのでそれを羽織っている。明らかに大人用のサイズなので裾は立ってギリギリ地面につかない程度だが、袖は大いに余っている。仕方がなく捲って腕を通す。全裸の上に着ているために下半身が寒いのが心もとないが今は仕方がない。色々と外見年齢相応になってしまったのが若干ショックだったのはここだけの話。


「歳の頃は十代前後か。そうさな……ようやく魔法の道を志した頃合いじゃったかな。懐かしいのぅ」


 遠い昔に思いを馳せるのも一瞬、イリヤはすぐさま現実的な思考を始める。


「つっても、分からんこと尽くしなんじゃがな」


 意識を取り戻す前の最後の記憶は、魔王を討ち果たした後に仲間に看取られた光景だ。


「…………おっと、しんみりするのは後じゃて」


 ツルツルになった頬をペチペチと叩いて気持ちを切り替える。


 あたりを見渡せばかなり広い空間だ。どうやら何かしらの施設のようであるが。


「で、あれが儂の入っていた容器か」


 円柱状のガラス容器ような物で、今はイリヤが出てきた時に一部が割れており中身の液体はこぼれ放題だ。


 あたり一面を濡らす水を指で掬い、ペロリと舐めてみる。つい先ほどまで自分が収まっていた液体だ。流石に毒があるはずもない。


「味はしないがかなり濃い魔力が含まれておるのぅ。一種の錬金養液みたいなもんか」


 これだけで具体的な判別はつかないが、記憶の中で似たようなものを扱った覚えはある。


「揮発性がかなり高いな。とりあえず、集められるだけ集めとくか」


 このままだと乾いてすぐに空気に溶け込んでしまう。それではさすがに勿体無い。


 イリヤがパチンと指を鳴らすと空中に幾何学模様──魔法陣が浮かび上がる。すると辺りに飛び散っていた液体が、容器の中に辛うじて残っていた分を含めて空中に浮かび上がり、球体状に集まった。


「後は容器を作ってと」


 次に、ガラス容器に手を触れるとまるで飴細工のように形が変じる。少し時間が経てば樽ほどの容量がある新品のガラス容器が出来上がる。イリヤはそこに空中にためていた液体を注ぎ込むと、最後にガラスで再び蓋をする。


「やれやれ、ナリが小さくなったおかげで魔力もそうじゃが出量も大幅にダウンしてるのぅ。普段のノリで色々やったらすぐさまバテちまいそうじゃ」


 額に掻いた汗を拭いながら、イリヤは息を吐いた。


 集めた液体を、イリヤはガラス越しに改めて観察する。


 もう一度指を鳴らすと、イリヤの目元に小さく魔法陣が浮き上がる。先ほどとは異なる形で、まるで時計の針のように動いていた。


「……こいつは濃いどころの話じゃぁないな。非常に高密度かつ高濃度の魔力が溶け込んでる。いや、ほぼ純粋な魔力といっても過言じゃぁない」


 イリヤは目元の魔法陣を消すと、改めて己が入っていた容器の残骸を見据える。そしてその奥にある巨大な物体。まるで壮大な儀式を行う祭壇のような形になっている。


 それまでに培ってきた膨大な知識と己の現状や目の前の施設。自身が先ほどまで使っていた液体の性質を顧みて、イリヤは一つの仮定に行き着いた。仮定と便宜はしたが、ほとんど確信に近いものだ。


「なるほどのぅ。ここがどういったもんかはまぁおおよそ理解できた。さて、次の問題は、どうして儂がこの施設で目覚めたかじゃな。それも若返った姿で」


 考察をさらに進めようとしたイリヤであったが、中断せざるを得なかった。


 ──ドォォォォン。


 部屋を小刻みに揺らすほどの振動が伝わってくる。実はずっと振動は断続的に続いていたのだが、あえて無視を決め込んでいたのだ。だが、こうも長々と続くと流石に心配になってくる。


「いきなり天井が崩れ落ちるとかないじゃろうな」


 かつての全盛期であるならともかく、今の年若い姿ではできることに限りがある。天井が丸ごと落ちてくれば流石に生き残れる自信がない。


 振動は間違いなく、この空間の出入り口と思わしき扉の奥から聞こえていくる。構造的に言えば、扉の奥はこちら側かもしれないが、些細な違いだ。


「さて、鬼が出るか蜥蜴が出るか。……蛇じゃったかの?」


 近づき手を触れると、子供の力では到底開きそうにない大扉が自動で左右に開いた。

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