爺無双──若返った大魔道士の退屈しない余生──

ナカノムラアヤスケ

第1話 爺、死す

 ──勇者の剣が魔王の身体を貫いた瞬間を確認し、大魔道士イリヤ・アイズフィールドは崩れ落ちるようにその場に倒れ伏した。

 

 歳を重ねるごとにガタついていた身体に、いよいよ限界が訪れていたようだ。幸いに痴呆の類とは無縁であったが、人の身で百と二十年ほど生きていられただけでも御の字だろう。

 

 薄れゆく意識の中で、体を抱き起こす感触に僅かばかりに気を取り戻す。


「先生! しっかりしてください!」


 頑なに閉じようとする瞼をそれでもどうにかこじ開けると、一番に目に飛び込んできたのは、勇者の姿だ。頭から血を流し、見えていない体もボロボロであろうに。こちらを見る目には涙が滲んでいた。


 かつては青臭い夢見る少年が、今では世界を救うほどの男となっというのに。泣き顔はやはり昔のような少年の面影を思わせる。先ほどまで確固たる意志を秘めて戦っていた時が嘘のような顔だ。


「早く! 回復魔法を!」

「さっきからずっとやってるわ! でも──ッ」


 勇者の隣にいるのは聖女だ。こちらも至る所に軽くない怪我を負っていると言うのに、自らなどそっちのけで朽ちかけている老いぼれを癒そうと手から癒しの魔法を絞り出している。


 だがおそらく無駄であろう。


 回復魔法は対象の生命力の一部を元にして回復を促すもの。だが、年老いた上に重傷を負っていたイリヤの生命力はほとんど底を尽いていた。1を10に増やすことはできるだろうが、0を1に増やすことはそれこそ神の所業にも等しい。


 そのことは聖女だって理解しているはずだ。他ならぬイリヤが教えたのだ。だが、それを承知していながらも聖女は死に物狂いで老体を癒そうとしていた。


「……じいさん」


 また少し視線を動かせば、次に目に移ったのは弓兵だ。普段は軽薄なノリで仲間のムードメーカであった彼も、今は神妙な顔つきになっていた。だが、おそらくは勇者や聖女に比べて一番に現実を受け入れているのだろう。


 以前はすぐに泣き言を垂れるお調子者だったというのに、いつのまにかこのパーティーの中で最も状況を冷静に把握する司令塔のような存在になっていった。


「弓兵たる者、常に状況を把握し俯瞰しろ」と教えたが、まさにそれを体現して見せた。彼の成長を間近に見ることができたのは、勇者のそれを見守ることができたのと同等に匹敵する喜びだ。

「ご老体……」


 ズシリと足音が聞こえる。そちらを見やれば、鎧を纏った騎士の姿。


 重厚で頑強であった鎧は見る影もないほどに破損しており、兜を失った剥き出しの頭部からは厳格な顔をした男。身の丈ほどもある盾を構え、常に最前線で迫り来る脅威から仲間を守った守護の化身。


 誰よりも自他に厳しい男の本質は、誰よりも仲間を思う熱い心を持ってたことをイリヤは知っていた。彼と夜更けまで酒を飲み交わした記憶が今では懐かしく思う。


「先生、あんた言ったよな! 魔王を倒したら隠居して気ままに暮らすって! こんなところで死んでる場合じゃないぞ!」

「ほっほ……ああ、そうじゃな。きっつい戦いなど忘れて……店員の若いねーちゃんを眺めながら……茶を飲む余生もいいなぁ」

「それはいつもやってたことだろ! 耄碌したのかクソ爺!」

「生憎と、ボケとは無縁でなぁ……」


 勇者の叫びに言葉を返すたびに、体の熱が失われていくのを感じる。指先から始まった寒気が、今では肩の辺りにまで届いている。


「なんで! なんで回復しないの! お願い! お願い治って!」

「これこれ、無理をするでない。聖女の笑顔こそが癒しの秘訣だと教えただろう」

「うるさい! ここで終わりだなんて信じない! 絶対に治すんだから!」 


 涙をボロボロと零しながら、聖女が必死になって癒しの魔法を続ける。だがきっと、心の奥底では認めてしまっているに違いない。だからこそ涙が止まらないのだろう。


「随分と世話になったな、じいさん。あんたのおかげで、俺も一端の男ってやつになれた気がするよ」

「儂が保証する。お前さんは稀に見る良い男になった。自信を持て」


 弓兵は目から雫を零しながらも、満面の笑みを浮かべた。イリヤがそうあって欲しいと思っていると分かっているからだ。


「あなたと出会えたことは我が生涯の誇りです」

「それはこちらの台詞じゃ……。嫁さんと仲良くな」


 頷く騎士は涙を見せず、だが小刻みに肩を震わせていた。やはり優しい男だ。彼のような立派な人物に嫁いだ女性を羨む気持ちすらでてくるほどだ。


 やがて、聖女の手に宿っていた魔法の光が失われる。彼女は己の手から失われた力に、いよいよ両手で顔を覆うと大声で泣き出した。昔は無力な己に涙していた彼女の頭を撫でてやったものだが、もはやその力すら残されていないのが口惜しい。


 だが、彼女の隣にはもう支える存在がいる。


 勇者が泣き崩れる聖女の肩を抱き寄せる。


 情けない泣き顔はもう無い。涙を流しながらも、そこには世界を救う使命を背負い、見事に成し遂げた英傑の姿があった。


「俺たちはここに誓います。イリヤ・アイズフィールドという大魔道士がいた事を。その偉大な功績を。必ず後世に伝え、語り継ぐと」

「よせやい。そんな柄じゃないと知っとるじゃろうに」

「ここで勝手に退場してしまうあなたへの罰ですよ」

「これはこれは……なかなかに……手厳しい」


 聖女の魔法でかろうじて繋いでいた命の灯火がついに消えようとしていた。底の見えない沼に沈み込んでいく感覚。身体に残された熱は、もはや心臓の鼓動のみ。


 思えばここまで随分と長かった。


 これまで好き勝手に生きてきたことに後悔はない。勇者との旅路が楽しくなかったといえば大嘘だ。心残りなどほとんどないに等しい。


 ただそれでも、朽ちてゆくこの瞬間に小さく未練が残る。


 最後の力を振り絞り、大魔道士は手を持ち上げる。勇者は滂沱の涙を流しながらも、笑みを浮かべてそれを握りしめる。枯れ枝のような腕が折れぬように、それでも力の限りに掴み取る。


「先生」

「……お前さんの子供を抱き上げるのが……儂の密かな夢じゃったんだがなぁ……それも叶わんか」

「おじいちゃん!」

「じいさん!」

「ご老体!」


 それぞれが呼ぶ中で、大魔道士の瞼がゆっくりと閉じていく。


「せいぜい長生きしてから、土産話をあちらで期待しておるぞ。達者でなぁ……」


 こうして大魔道士イリヤ・アイズフィールドの生涯は『一旦』の幕を閉じた。

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