第17話 アルビーの気持ち

 貴族令嬢にあるまじき変な服に身を包む女は、今日もまた真面目に草を抜いている。

 アルビーは横目で彼女のそんな様子を盗み見ながら、自分もまた目の前の草を一本引き抜いた。


 彼女はあるとき突然にガーデンに現れた。

 滅多に来ない侵入者に、威嚇の意味も込めて声をかけた。

 今思えば、失敗だったのかもしれない。


 アルビーはいつも同じように植物の世話をする。

 自分の分身のような植物を美しいまま育てることがアルビーの日課であり、使命のようでもあった。

 ところが最近は困ったことに、自分に対して親しげに話しかけてくる彼女に、気を取られるようなのだ。


 今もまた、視界の端で揺れる金髪が気になって仕方がない。

 目隠しにと渡した麦わら帽子も、意味をなさなかったのは想定外である。


「ね、ね! アルビー。見て。芽が出てきたみたい」


 金髪の彼女──ライラはアルビーに笑いかける。

 指を差す場所は、アルビーがライラに提供した一画。ラディッシュを植えた場所だった。


 声に誘われるように、アルビーはその場所に足を運び、可愛げのないセリフを吐く。


「発芽しなかったら、タネが腐ってたってことだ」

「はいはい。アルビーも見てくれていたからね。おかげで元気に育ってるもの」


 ライラはとくに気にした様子もなく、普通に返してくれる。

 それは、とても珍しい反応だった。

 アルビーが王子だと知ってからも彼女の態度は変わらなかった。そうしてほしいと自分が言ったからというのもあるだろうが、よそよそしさを一切感じないのだ。

 おそらく彼女は、自分が王子だということは、もう気にならないのだろう。


 王宮内の人間ではそうはいかない。

 生まれたときから、王子の扱いを受けた。アザによって気持ち悪がられているにもかかわらず、だ。

 周囲の人間の、いつも形の変わらない口の端を上げた笑顔は気味が悪く、人を寄せ付けないようになった。


 それなりの年齢になれば、身の回りのことも自分でするようになった。

 わからないことがあれば自分で調べ、それでもわからないことは有識者に聞いた。

 さすがにそのときばかりは王子っぽく身なりを整えた。自分が王子の立場である以上、相手は無下に断れないことを知っていたからだ。


 そうやって今では、腫れ物を隔離するように、ガーデンで一日の大半を過ごしている。


 そこに現れたライラは、顔の半分を隠すアルビーを腫れ物扱いしない。

 もしかすると彼女が聖女だからなのかもしれない。


「…………特訓の成果はどうなんだ」


 ラディッシュの成長よりもこちらのほうが気になる。

 彼女は今、聖女の力を自由に使えるようにと魔術師であるルーンのもとで特訓をしているらしい。


 特訓を始めてからというもの、ライラがガーデンに顔を出す時間は大きく減っていた。

 そのぶんをルーンとともに特訓しているのかと思うと、胃が泥で覆われるような不快感に襲われる。

 それは王宮の人間が側にいるときのような感覚に近く、アルビーは原因がわからず困惑していた。


 が、努めて自然に声をかける。

 少しでも使えるようになったのかと問うても、ライラからは欲しい答えが返ってこなかった。


「もう、ぜんっぜん、だめなの。上手くいかないのよ。ルーン様に申し訳ないくらい」


 溜息を吐くライラに慰めをかけることもせず、また見舞われた原因不明の不快感をぐっと飲み込んだ。


「なんだ、聖女サマも大したことないんだな」


 そしてまた可愛げのないセリフを吐く。

 自分で自分を殴りたくなる。ライラが嫌な顔をしないことが救いである。


「やっぱりそう思う? 私も、やっぱり私は聖女なんかじゃないと思い直してるもの。あの光を私の思い通りに動かすことなんて、本当にできるのかしら」

「……できるだろ。聖女サマなんだから」


 今度は慰めのような言葉が出て、ほっとした。


 ルーンだけではなく。ロイもフリッツもキースも、ライラを聖女だと認めている。

 であれば、できないわけがないのだ。

 ライラの下がっていた眉が、ぱっと上がって、嬉しそうに顔が輝く。


「アルビーがそう言うならできそうね! 待ってて、絶対に成果を見せてあげるから」

「……いいって言ってるだろ」

「ううん、アルビーに見てもらいたいんだもの」


 だから絶対に待ってて、とライラは笑う。


 屈託のない笑顔は前髪越しからも見えるけれど、ライラと出会ってから髪が邪魔だなと思うことが増えた。

 人の顔なんて、見えなくても、何一つ困らなかったのに。

 これもまた不思議だとアルビーは首をひねりつつ言った。


「別に、使えなくたって困らないんだろ」

「またそういうこと言う?」

「イメージなんだろ、力を使うのに必要なのは。──困ってないから、使えないんじゃないか?」


 また言いすぎた。

 人との付き合いを避けてきたツケなのかもしれない。言葉を柔らかくする方法を学んでこなかった。

 気を許した相手には王子の仮面を被らないからか、乱暴な言葉遣いになってしまう。


 内心軽く落ち込んだアルビーだったが、ライラを見ると目を丸くしている。


「困ってないわけないじゃない。使えなければ、王宮にいられないわ」

「……あんたが聖女であることには変わらないんだ、好きなだけいればいいんじゃないか」

「え? いいの?」


 丸くした目をさらに大きく見開いて、ライラは本気で驚いたようにアルビーを見る。


 なんだ? そんなに驚くことか?


「あんたが望むなら、そりゃあ。どちらかといえば帰したくないだろ、あいつらは」


 せっかくの聖女。お飾りだって使いようがある人間をみすみす逃すとは思えない。

 どうして「いられない」と思うのか。


「前も言っただろ。お飾りだっていいんだ」


 慰めのつもりで言ったというのに、ライラの顔は険しくなった。


「そういうことね。……ねえ、アルビーは、私が帰ったら、寂しい?」

「……いや、」

「あ! いいの! 寂しいわけないって言うんでしょ」


 口を尖らせるライラの横で何度か瞬いた。


 ルーンとともに訓練しているのも、ガーデンにくる時間が減っているのも、彼女が望んだことだというのに、気に食わないと胃が叫ぶ。

 寂しいかと聞かれると、そうなのかもしれない、と思った。


「…………あんたが、ここへこなくなればいいと、思ったことはないから」


 素直に寂しいとは言えず、座り込んで出てきたばかりの芽を撫でた。気恥ずかしさを紛らわすためだ。

 植物に触れ、落ち着きを取り戻す。

 入れ代わるように立ったライラを見上げると、ふんす、と鼻息荒く胸を張っていた。


「──美少女の聖女サマはどこ行った」


 思わず呟いたアルビーをライラが叩いたとして、誰が責められようか。


 いつの間にか胃の不快感は消えていた。

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