その瞳は青く

水神鈴衣菜

She is sleepy but can't sleep

 いつも、窓際の一番後ろの席で朝から夕方帰るまでうとうとしている高嶺の花の戸夜とよるさん。授業中も大抵寝ているが、彼女がたまに指された時は起き出してきちんと答える。その答えはしっかり合っているし、答える時の声もちゃんと聞こえやすいボリューム。

 そんな彼女の隣の席に、僕は座ることになった。


 隣合ってからよくよく見てみると、彼女は本当は寝ている訳ではなく目を瞑っているだけなのだった。だからきちんと授業も聞いていて、指されたらしっかりと答えられる。ノートを取らずにそういったことができるのはやはりすごいことだとは思ったけれど。


 そしてある日の朝、彼女は珍しく目をぱっちりと開いて席に座っていた。さすがに驚いてしまった──彼女が姿は初めて見たから。

「おはよう、大舘おおやくん」

「へっ? あ、おはようございます、戸夜さん」

 僕の名前を呼んでくれたみたいだ。覚えてくれている人も多くないのでますます驚いてしまう。

「め、珍しいね。ちゃんと起きてるなんて」

「私もびっくりよ。しっかり寝て起きれた。朝が苦痛じゃなかったなんていつぶりかしら」

「……僕もいつも朝は起きれないな」

「違うの。私はそもそもの」

「……眠れない?」

「そう。不眠症っていうの? 私の場合は体は寝てるんだけど頭はちゃんと休められていなくて、寝ても寝た気になれないというか」

「そ、そうだったんだ」

 眠そうにしていて、けれど眠れなくて。今までクラスの皆は彼女を『眠り姫みたい』と言っていたが、本当のところは『眠りたい姫』だったのかもしれない。そんなことを思った。

「でも不思議だね、突然ちゃんと眠れるようになるなんて」

「ええ。理由が全く思い浮かばなくて」

「……不眠症って、原因は?」

「ストレスとかだったかしら。何が自分の中でストレスになっているのかすらよく分かっていないのよね」

「なにかがストレス解消になってるのかな」

「今までと変わったことと言えば……あなたが隣に来たこと?」

「え、僕?」

「……」

 黙ってこちらを見つめる戸夜さん。きっと僕のどこが皆と違うのかを探そうとしているのだろう。その透き通った黒は、僕のワイシャツの色を反射して青みがかっている。

「……分からない」

「なんだろう、僕にも見当がつかないや」

 はあとため息をついて視線を逸らす戸夜さん。やっと解放されて、早くなっていた鼓動が落ち着いてくる。

「うーん……まあでもしばらくは隣同士なんだし、いつか分かるんじゃないかな」

「それもそうね」



 その日から戸夜さんは朝しっかり起きていることが多くなった。クラスの皆はになった戸夜さんのことを気にもかけなくなった。

 しばらく経って、戸夜さんがとんでもないことを言った。

「ねぇ、大舘くん。今日の放課後暇?」

「……え?」

「だから、放課後は暇かって」

「ひ、暇だけど」

「じゃあどこかへ一緒に行かない?」

 その言葉が耳に届くと、一瞬で頭の中がハテナマークでいっぱいになる。僕が放課後、戸夜さんと? それができるほどの人間なのだろうか、僕は。

「……なんで僕?」

「たぶんだけど、眠れるようになった理由が分かったの」

「ほ、本当?」

「ええ。だから教えてあげたいと思って」

「今じゃ、ダメなの?」

「……ダメ」

 なぜ今はダメなのかはよく分からないが、眠れるようになった理由は聞きたい。不安ではあるが僕は戸夜さんの申し出にOKした。


 そして放課後。僕は戸夜さんの後ろを追いかけてついて行く。

「戸夜さーん、どこ行くの?」

「……近くの公園」

 会話が切れてしまう。心做しか彼女は少し早足なのだった。戸夜さんはいくつかの遊具が置いてある公園に入り、東屋まで一直線に歩いていく。

「飲み物とか大丈夫?」

「ええ、持ってるから」

「じゃあちょっと待ってて、僕買ってくる」

 そう断って踵を返し、自販機でお茶を買う。なるべく急いで戸夜さんのところまで戻った。

「ごめんね」

「別に、大丈夫よ」

「……それで、眠れるようになった理由、教えてほしいな」

 戸夜さんは頷いて、口を開く。

「まずは昔話をしなくちゃ。一時期、受験の頃だったか……家族からの期待というか、それが結構なストレスになっていたの」

「あるよね、ここに入りなさいみたいな」

「そう。それが不眠症の始まりだったかもしれない。目指していた公立高校はそこそこ偏差値が高くて、ちゃんと勉強しなきゃ入れないようなところで。でも眠れなくなって集中力が削がれるようになって、成績も段々落ちていって」

 戸夜さんは目を伏せて、ぎゅっと膝の上の手を握る。

「今の高校が悪いとか、そういう風に言いたい訳じゃないの。でも家族には物足りなかったみたいでね……今も時々言われる。『あの時もっと頑張っていれば、今頃もっとよくなっていたんだろうに』って。気にしないようにしていたけれど、いつの間にかストレスになってたみたいね」

「……そうだったんだね」

「それで、学校でもいつも眠そうにしているせいでちょっかいかけられたりっていうのが多くて。それもストレスになってたのかも」

「あー……」

 それにはなんとなく覚えがあった。起きて欲しいのであろう周りのクラスメイトが肩を叩いたり揺さぶったり。

「それで、眠れるようになった理由だけど……あなたが私に何もしなかったからなのかもしれないって思って」

「……と、いうと?」

「あなたは無理に起こそうとしたり、そもそも私が席にいる時は絶対に話しかけなかった。隣の人と話してって指示があっても」

「……そうだね、なんだか申し訳なくて」

 それに、ほんの少しだが戸夜さんの眠っている(フリの)横顔を見るのが好きなのだ。こんなことを言ったら引かれてしまいそうだが。

「それが、周りと違かった。あなたが隣にいることで安心できた」

「だから席が変わってすぐじゃなくて、しばらくしてから眠れるようになったって感じ?」

「ええ、たぶん」

 なるほど、よく分かった。

「……それで、なんだけど」

「ん? うん」

「これからも、隣にいて欲しい」

「……席隣だし、どうやっても隣にいるしか」

「そうじゃ、なくて」

 彼女はそこまでで口ごもる。心做しかその顔が若干赤くなっている気がした。

「……席が変わっても、一緒にいて欲しくて、ええと」

 こんな風にもごもごと話すのは初めて聞く。なんだかこちらまで緊張してしまう。

「よかったら、その、……お付き合いしませんか」

「……はい」

 思ったよりすんなりと零れた了承の相づちに自分でも驚いてしまう。けれどまあ、いいや。

「……え、いいの?」

「ぼ、僕なんかが戸夜さんに釣り合うかなんて分かんないけど」

「釣り合うか釣り合わないかじゃない」

 戸夜さんは僕の手に彼女の手を重ねて、ぐっと身を乗り出す。いつだかのように、その瞳は青く染められていた。

「私があなたがいいの」

「……ありがとう」

「な、なんで」

「こんな風に僕を見てくれる人は初めて」

 そう言われて恥ずかしくなったのか、彼女は目を逸らして先程のように着席した。

「……とにかく、これからも私の安眠のためにずっと一緒にいて欲しい」

「もちろん。安心してたくさん寝てよ」

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