第14話 入口

 大穴に飲み込まれた修太朗と老人を襲ったのは地に叩きつけられる衝撃などではなく、反重力の力であった。二人の身体がふうわりと空中に浮かび上がると、老人は、

「気の荒い奴だと思うたが、なかなかの優男であったのじゃ」

 と、言うと修太朗から離れて笑みを浮かべた。

「じゃが、優男が不細工になってしもうたの」

 そう言い、首を振った。毒虫に刺された皮膚は腫れ上がり、ずるけた皮膚から流れる粘ついた体液と血液が混じり合って、どす黒く変色した塊が体中にへばりついている。鎌虫に斬られた手首はあらぬ方向へと曲がりかけ、頭皮はがれ、髪もところどころ抜け、顔も腫れあがっていた。

「そらなおれ」

 老人がそう軽く口にした瞬間、修太朗の全身を淡い光が包み込むと、修太朗の傷は何もなかったかのように消え失せ、服までもが再生していた。

「修太朗よ。試すような真似をして悪かったの。だが、必要なことであったのじゃ。許せ」

 と、老人は頭を下げてきた。

「……いえ、何故このようなことを?」

「そうじゃの。ふむ。少しだけ昔話を聞いて欲しいのじゃ」

 と、老人は語り始めた。


「……神代かみよの頃は現生と神域の距離が近かったのじゃ。それ故に多くの人が現人神あらひとがみになろうと次々にみそぎの洞窟へと挑んでいったのじゃ」

 寂しそうに老人が言うには、現人神あらひとがみとなれば、人が得ることのできない超絶な力を得ることができる。その力は奇跡と言われる現象を起こすだけではなく、神と交わり子をつくることさえできるという。とりわけ、

「現人神のまとう肉は老いず、腐らず、欠けても再生するのじゃ」

「それはつまり、永遠の命……」

「そう言ったほうが分かり易いかの。現人神となった人を輪廻の輪に戻すには存在を消滅させるしかないのじゃ」

「……存在を消滅」

「そなたの持つ黒滅刀こくめつとうはそのために創られた神刀の一振りなのじゃ」

「では、新右衛門さんは……」

現人神あらひとがみを消滅させておったのじゃ……」

「何故消滅させる必要があったのでしょうか?」

 老人が続ける。

「……多くの者は道中で志半なかばに散りゆくが、みそぎの洞窟を通り、現人神あらひとがみに至るだけなら卓越した武力があればなしうることができるのじゃ」

「じゃが、心根の正しくないものは思い上がり、傲慢となり、やがては魔に落ちるのじゃ。そしてときに荒ぶる神となり、ときに魔となって現生を混乱させ荒廃させるのじゃ」

「魔に付かれた現人神に荒らされた世は悲惨の極みとなるのじゃ。その惨状を大神様たちが憂い、新右衛門しんえもん殿に黒滅刀こくめつとうを預けたのじゃ」

「そして同時に儂がこのみそぎの洞窟の番をするようになったのじゃ」

「……道を違えそうな者が現人神あらひとがみにならないようにですか」

「そうじゃ。じゃが、儂が番人となって以降、通したのはユリ殿だけじゃよ」

「ユリが……」

「……そのユリ殿が伴侶である新右衛門しんえもん殿の刀を託し、黄泉よみの大神であられるしづか殿が誘った存在が、修太朗、そなたなのじゃ」

「修太朗よ、そなたは、行いも正しく、精神も強く、心に愛が溢れておる……。ゆえにこの道を開けてやろうと思っておるのじゃ」

「よいか、修太朗よ。如何に深大かつ超絶な力を得ても、決しておごってはならん。おごるとその身は魔に喰われ世は地獄となるのじゃ」

 そこまで言うと老人は修太朗に小さな勾玉を渡してきた。

「その勾玉を吞むのじゃ」

 その通りに修太朗が勾玉を呑むと、

「その勾玉は帰還の勾玉。この先続く闘いに敗れた時、一度だけここに戻してくれよう。じゃが、その勾玉を使ったときは現人神あらひとがみになることは叶わず、現生に帰ることになるのじゃが……。ここでそなたが命散らすのは夢見が悪いからの……、儂からの餞別せんべつじゃよ」


 そう言い、老人は修太朗の背後を指さした。

 いつの間にかそこには洞窟の入り口が開いており、何時でも通れるようになっていた。

 洞窟を覗き込めばその通路の両端にほのかに灯りがついているのがわかる。

 修太朗は深々と老人に向かって頭を下げた。

「有難うございました。心に教えを刻み込み、決しておごらぬよう進みます」

「ならば行くのじゃ、さらばじゃ」

 と、老人が返すのを聞いてから頭をあげて、修太朗は洞窟へと向かっていった。

 洞窟の奥へと向かう修太朗の背後から老人が小声で呟く、

「……再び現人神あらひとがみとなって、全てを思い出しユリ殿を抱いてやれ……新右衛門しんえもん殿……」

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