第3話 黄泉比良坂
ユリとの濃厚な口づけがおわり、互いの
ごつごつと荒れた地面に漂う黄土色の砂塵。見渡す限り何もなく、どこまでも続いていそうな灰褐色の空間。肌に貼り付くような……、粘りつくような空気に息を吸うことすらやめたくなる。
「えっと、着いたのですか?」
「とりあえず、と言っておきます。ここは
「黄泉と言えば死者の世界ですよね」
そう言うと、手に抱えたひなたを覗き込む。相変わらず無邪気に寝ているその顔と規則正しく上下する胸元を見て、ほっと息を吐く。
「別の世に移るにしても準備が必要ですから。この先はしばらく言葉を発しないで、静かについてきてください」
そう言うとユリは修太朗とひなたを一瞥してから粛々と滑るように歩き出した。
思いのほか速いユリの歩みに負けないように修太朗は大股でついていった。しばらく歩くと荒れ果てた窪地は下り坂へと変わり、隣を見るように横を眺めると、その下り坂を一方向に列をなして、たくさんの人が歩いている姿があった。その行列は先が見えないほど幅広く、一体どれだけの人がいるのかと疑問にすら思った。
「あの行列は死者の行列です。あれに着いていくと黄泉へと飲み込まれてしまいます。これからあの行列を横切って通り過ぎますが……、あの行列の中で息を吸うと死滅の気を吸ってしまい、魂がやせ細ります。絶対に息を吸ってはいけませんよ」
修太朗が頷き返すと、ユリは薄紅色の布を二枚取り出し、一枚を修太朗に渡し口に当てるように言うと、もう一枚をひなたの顔を覆うように被せ、
「幼いひなたに息をするなとは言えません。ですから私が守ります。ひなたを私に預けてくださいな」
そういうユリに修太朗は抱っこ紐ごとひなたを預け、口元を薄紅色の布で覆った。白檀の香りがほのかに鼻腔をくすぐるのを感じつつ、息を止め、滑るように行列を横切るユリに付き従う。果てなく続くように思われた大きな行列を縫うように進み、息ができない苦しみに立ち眩みを覚えながら、ちらつく目を必死に開けてユリの背中を追いかける。
横切る死者の姿は間近で見ると様々であった。
白装束に身を包んだ身なりの良い死者がしずしずと歩いているかと思えば、手足がもげ、赤黒色に染まったぼろ布にまとわれ臓物を散らした死者が宙を飛び交う。顔のない死者の後ろから虫だらけの朽ちた生首が飛んでくるのを見たときは、警察官としてそれなりに耐性のある修太朗も酸っぱいものがこみあげてくるのを抑えるのに必死であった。
不意にユリの歩みが止まる。こちらに向かって振り返り微笑んで、もう大丈夫と言われた瞬間、修太朗は嗚咽がこみあげてくるのを抑えられなかった。
その大きなからだを小さく蹲らせ、嗚咽を漏らす修太朗の背をユリは優しく撫で続けていた。優しくされて余計におかしくなりそうな修太朗の姿を見て、ユリはひなたの小さな手のひらをとり、修太朗の頬にあてた。春の訪れを告げるかのような小さな手のひらの温もりを感じて、修太朗はようやく嗚咽を止めることができたのである。
「落ち着きましたか?」
「一応何とか……。見苦しいところをお見せしました。すみません」
「詫びることはありませんよ。黄泉比良坂の死者は未だ浄化されず生前の滓を纏ったままです。その滓に正気の人間が絡むと引きずり込まれます。修太朗さんはよく耐えてくれたと思いますよ」
修太郎が小さく頷き返すと、落ち着くのを待ってさらに先へと進むことを促した。途中でひなたを修太朗が抱こうと申し出たのだが、
「おなごの喜びを邪魔しないでください」
と、ぴしゃりと言われてしまい、そのままユリがひなたを抱き続けていた。
死者の行列から離れるにつれ、空気が軽く澄んでいく。視界が広くなったような感覚と、空でも飛べそうな高揚感を感じるようになった時、目の前に一対の巨木が現れた。その巨木の間には黄金に輝くしめ縄が張られており神気を伝えてくる。
「では修太朗さん。ここで私の姉に会ってもらいます」
「えっ、お姉さんですか?」
「ふふ、そうです。ちなみに現役の神様ですよ」
と、驚くことを口にする。
「あのしめ縄の向こうは神気溢れる神のすまい。そこで禊ぎをして魂を整えます。では参りましょう」
そう言うとユリは修太朗の手を取り、指を絡めて嬉しそうにしめ縄をくぐり抜けた
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