「恋とか愛とか、キライとか。~恋愛短編集~」
佐倉井 月子
「好きだなんて、言ってない。」
「ユリ。こいつ、タケル。」
5つ年上の兄が念願のバーを開店したのを機に、店を手伝うようになってしばらく経った頃。買い出しから戻った私に紹介したのが、私より2つ年上のいかにもチャラそうなタケルだった。
前の店で、一緒に働いていたという、その男は、私を見るなり握手を求めてきた。
「ユリちゃん、可愛いね。今度二人でデートしようね。」
タケルの言葉を聞いて、素直に手を出してしまった事を後悔して、引っ込めようとしたけど、一瞬早くタケルの大きな手に捕まった。
「おいおい。ユリにまで手ぇ出すなよ。」
私達の様子を見ていた兄は、笑いながら、タケルを窘めた。
「ユリちゃんが可愛いから、本能が求めるんだよね。」
そう言って、引いている私の顔を覗き込んだ。
間近にみるタケルの顔は、切れ長の大ききな瞳が綺麗で、口角がキュっと上がった少し大きめの口が友好的に見えた。
「妹のユリです。兄がお世話になっております。」
警戒心丸出しで可愛げも何も無い、常識的な挨拶をした。
「タケルです。ユリちゃんがケンイチ君の妹で良かった。俺たち、運命の出会いだね。」
そう言って、握った手を持ち上げると、私の手の甲にキスをした。
えっ?
流れるような仕草に、あっけにとられている私を、上目遣いに覗き込んだ。
柔らかい唇の感覚が手の甲に、刻印の様に刻まれた。
我に返った私は、直ぐに手を振りほどくと、カウンターの中へと避難した。
私は自他共に認めるほどに、ブラコンなのだ。
兄がこの世の男の中で一番カッコよくて、一番好き。
兄に彼女が出来る度に、密かに呪いをかけるくらい、兄が好きなのだ。
今まで、カッコいいと思う男の人がいても、いつも兄と比べてしまうので、結局恋愛までには至らない。
それではダメだと、告白してきた男の子と付き合ったりしたけれど、1週間ももたなかった。
その兄に、こんなにチャラい友達がいるなんて。
それから、定期的にタケルは飲みに来た。
一人の時もあれば、誰かと一緒の時もある。
男の人と一緒の時も、女の人と一緒の時も。
どんな時でも、決まって私を見つけると、「ユリちゃん、今日も可愛いね。」とチャラい笑顔で声をかける。
そんなタケルに私は決まって、「いつもありがとうございます。」と不愛想に返すだけ。
チャラ男はマメ男だと、誰かが言っていた事を思い出した。
その通りだと、タケルを見ていて思った。
女の人にはとにかく褒める。褒めるとこが無さそうな女にも、何かしらを見つけて褒める。
そして良く気が付く。それは男でも女でも関係なく。ドリンクが無くなったら新しいものを進めるし、飲み過ぎてる様なら、さりげなく水を飲ませたりする。
他にも、ケンカになりそうな雰囲気になると、チャラく間に入って行って、話題を変えたりもする。
タケルって何者なんだ?
知れば知るほど、タケルの素顔が見えなくなる。
気が付けば、タケルが店に居る間は、目で追っていることが多くなった。
タケルと目が合うと、直ぐに逸らすけど、タケルはそんな私をからかう様に絡んで来る。
「ユリちゃんはホントに、俺の事が好きだよなぁ~。」
タケルはそう言って、私の目を覗き込む。
私は睨むようにタケルを見て、口を結ぶ。
このチャラ男!
兄は真面目でしっかりしていて、女の人にも紳士的で、タケルみたいに誰かれ構わず言い寄ったりしない。
優しくて、強くて、見た目はちょっと怖そうに見えるけど、そこがまたカッコいいんだ。
なのに、タケルは正反対。
そんなタケルを好きになるはずなんて無い。
タケルの軽口にいちいち心の中で言い返す自分に気が付いた。
もう、何なの?
2
「ユリ、悪い。やっぱ無理かも。」
朝から調子の悪そうだった兄が、開店早々私に耳打ちしてきた。
お客様は1組入っただけで、混む気配はまだ無い。
「だから無理しないでって言ったじゃない。もう帰って寝て。後は私が何とかするから。」
立っているのがやっとの兄を心配しつつも、突き放すように言う。
「このお客様が帰ったら、店閉めてくれたらいいから。」
そう言って、心配そうな顔をして帰って行った。
兄が居なければ、カクテルは作れない。
私が出来るのは、簡単なドリンクだけだ。
ようやくリピーターが増えてきたこの店の評判を落とさないためにも、今日は早く閉めた方がよささそうだ。
そう思っていた矢先、もう一組、来店した。
幸い、バーボンのロックと生ビールのオーダーで、私でも出すことが出来た。
このお客様が帰ったら締めよう。
そう思っていたら、またドアが開いた。
「アレ?ユリちゃん一人?」
入って来るなり、そう言うと私の目の前のカウンターに座った。
タケル。
タケルの顔を見て、こんなに安心したのは初めてだった。
「いらっしゃいませ。」
心境を読まれないように、いつもの様に不愛想に挨拶をする。
「ケンイチ君は?」
「兄は、帰りました。」
「ユリちゃん、一人なんだ。」
「はい。でももう閉めますから。」
そう言ったものの、入れ替わるようにお客様が入って来て、店を閉めるタイミングがつかめない。
焦る気持ちと、不安が膨れ上がってきた時、カウンター席に座るタケルが私に言った。
「俺が居るから、大丈夫。」
そう言って、作ったお酒を運んでくれた。
混みはしないものの、お客様は途絶えず、タケルにフォローしてもらいながら通常の閉店時間まで店を開けられた。
看板を下げて、入り口の灯りを消して。テーブルを拭いてくれているタケルにジンライムを渡した。
「これ、今日のお礼。」
タケルが拭いたばかりのテーブルにグラスを置く。
「ありがと。」
いつもの笑顔でお礼を言うタケルの目を少しだけ見て、私はカウンターの中を片付け始めた。
タケルは、ジンライムをカウンターで飲みながら、私の様子を見ている。
「後は一人で大丈夫。それ飲んだら帰って。」
グラスを洗いながら、チャラい笑顔のタケルに言う。
「遅いから、送って行くよ。」
そう言った顔もチャラい。
「結構です。」
いつもの様に不愛想にそう言うと、ゴミを出しに外へ出た。
数分後に戻ると、タケルはカウンターに突っ伏して、顔だけ横に向けて寝ている。
暖色系の間接照明に照らされる、タケルの無防備な寝顔を見て、目が離せなくなった。
静かに規則的な寝息を立てている。
隣のスツールに腰を下ろして、もっと近くでタケルの寝顔を見下ろした。
初めて会った日、私の手にキスをした唇。
私を見つけると、チャラい笑顔で近づいてくる目。
何人もの女の人にキスをされていた頬。
柔らかそうな茶色い髪。
瞼に掛かる長い前髪を、指でそっと整えた。
すると、眠っていたタケルが急に目を開けて、目の前にある私の手を掴んだ。
「ホント、ユリちゃんは、俺の事が好きだよな。」
そう言って、体を起こした。
いつもの様にチャラい笑顔を私に向けたと思ったら、初めて見る、真剣な表情だった。
向かい合って座る距離は近い。
初めて見るタケルの顔に、動揺したけど、心を乱した事を知られたくは無い。
「好きだなんて、言ってないけど。」
気持ちを隠すように、突き放すように言う。
「俺は初めて会った日から、ユリちゃんが好きだよ。一目惚れってヤツ。」
「嘘つき。」
「本当だよ。ちゃと俺のモノって印、付けたろ。」
「印?」
「そう。」
「いつ?」
「初めて会った日、手にしたキス。」
そう言って、掴んだ手の甲を長い指でそっとなぞった。
「アレって?」
「そう。もうあの時から、ユリちゃんは俺の運命の人なんだよ。」
驚く私の手の甲に、あの時みたいにキスをした。
まだ驚いている私を抱き寄せて、耳元で囁いた。
「俺の事、好きだよね?」
間近にある私の顔を覗き込んで、答えを求めた。
「だから…。」
全部言わないうちに、私の唇は塞がれた。
キスをしながらタケルは言った。
「俺を見る目が、好きだって言ってるよ。」
言葉なんて要らないじゃない。
私は諦めたように微笑むと、タケルの顔を両手でつかんだ。
視線が交わると、言葉の代わりにキスをした。
好きだよ。
もう、落ちてあげる。
完
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