プロローグ②

「無論、過ちを捨て置くつもりはない。たとえそれが、前主席聖女の決定であってもだ」

 けんそうを鎮めようともせず、オルタナ様は神官たちに呼びかける。

たびの件が広まれば、神殿の威信は大きく損なわれることだろう。だが、いかに痛みを伴おうと、うみを出さねば傷は癒えぬ。──故に五日後、ヴィクトリアの聖女位剝奪の儀を行う。しばらく騒がしくなると思うが、皆には変わらぬ信仰心で以って、聖務に励んでもらいたい」

「お待ちください!」

 やっと声を振り絞り、一歩前に踏み出そうとする。だけど次の言葉を口にするより先に、肩を強くつかまれた。背後を見やれば、複数の神殿兵が私をめつけている。

「我々とご同行を、聖女ヴィクトリア──いや、マルカム殿」

「まだ私の話は終わっておりません」

 短く返して、肩を摑む手を振りほどこうとする。と同時に、視界がぐるりと傾いて、体が床にたたきつけられた。兵にねじ伏せられたのだと理解したのは、それから数瞬あとのことだった。

「何を……!」

「余計な抵抗はなさいませぬよう。ご自分の立場を考えることですな」

 私を床に押しつけながら、兵が警告する。身じろぎすらままならず、私はみした。

 ──私は、利用されたのだ。

 ジオーラ先生が亡くなった今も、先生を信奉する人間は神殿の内外に多くいる。先生と不仲だったオルタナ様にとって、彼らの存在は何よりも邪魔なことだろう。だからオルタナ様は、私を理由にジオーラ先生の信用をおとしめて、いまだ残る先生の影響力を排除しようとしているのだ。

「オルタナ、さま──」

 最後の力を振り絞り、叫ぼうとする。しかし途中で口をふさがれ、私の声はむなしく宙に溶けていった。救いを求めて視線を巡らせても、誰も私に見向きもしない。

 顔を上げれば、聖女たちが次々と立ち上がり、今にも議場を去ろうとしている。その中央で、オルタナ様は粛然と神官たちに語りかけた。

「賢明なる諸君らに、神の導きがあらんことを。──それでは、本日の審議はこれで終了とする」

「その話、待ってもらおう」

 突然、聞きなれない男の声が割り入ってくる。空気を壊す異質な発言に、熱気を帯びた議場は水を打ったようにしんと静まった。

 声の発信源に顔を向ける。

 入り口の前に、一人の青年が立っていた。青年はぐるりと議場内を見回すと、迷いのない足取りで、ずんずんと私の方へ歩み寄ってきた。

「な、何者か」

 兵の一人が青年に問う。青年は答えず、まゆを寄せて首を振った。

「俺の身元を確かめる前に、まずは彼女から手を離せ。抵抗の意のない婦女子を大の男が寄ってたかって取り押さえて、恥ずかしいとは思わないのか」

「む……」

 兵たちはびくりと肩を震わせたのち、顔を見合わせる。しばらくしゆんじゆんするような間があったが、やがておずおずと私から手を離した。

 圧迫感から解放されて、ゆっくりと体を起こす。すると青年が更に近づいて、こちらに手を差し伸べてきた。

「災難だったな。怪我はないか」

「え? お、お陰様で」

 つい反射的に、青年の手を取ってしまう。そのままひょい、と引き起こされて、私はしばらく彼の姿をぽかんと眺めた。

 見覚えのない人物だった。髪はさびいろで、肌は日に焼けている。たいはがっしりとしてたくましく、背丈も見上げるほどに高い。年は、二十前後といったところだろうか。衣服は飾り気のない旅装束で、腰元に剣をいており──そして何故か、全身ボロボロだった。

 何者かは分からないけれど、少なくとも神殿関係者ではない。つまりは、全くの部外者である。それなのに、この青年ときたら自分がここにいるのは当たり前、と言わんばかりに堂々としていて、まるでものじする様子を見せない。そんな彼が発する得体の知れない迫力にすっかり圧倒されて、周囲の神官たちは言葉を失っていた。

 それをいいことに、青年は不敵な笑みをにかりと浮かべて名乗りを上げる。

「俺はエデルハイド帝国グレイン子爵に仕える騎士、アドラスだ。この度は物見の聖女殿にご助力を賜りたく、この地に参った」

 よく通る声だった。周囲に語りかけるように、青年は議場内を見渡す。

「経緯は聞かせてもらった。俺は部外者ゆえ、彼女にかけられた容疑については言及を控えよう。能力不十分であるため称号をはくだつするという話も、まあ分からなくもない。だが、どうして本人の主張を聞きもせず、彼女を裁こうとする? これでは弾劾というより迫害ではないか。──違うか?」

 青年はきょろきょろと瞳を動かして、目についたミアに答えを求めた。ぜんとしていたミアは、急に話を振られて「え、あ、それは」とはっきりしない言葉を繰り返す。

 それを勝手に肯定とみなしたらしい。青年は満足そうに「な、そうだろう」とうなずいて、オルタナ様たち聖女に視線を滑らせた。

「というわけで、物見の聖女の追放は保留だ。ひとまず彼女には、俺の依頼を受けてもらおう。あなた方は、その結果を見て彼女に聖女の資格があるか否かを改めて判断すればいい。誰も損をしない話だと思うが、どうだ」

 この人は何を言っているのだろう。

 ふてぶてしさ極まりないちんにゆう者の発言に、私は開いた口が塞がらない。それは他の神官や聖女たちも同じであるようで、誰もがほうけたように立ち尽くしていた。

「……警備は何をやっている」

 妙な空気に様変わりした議場の中で、次に声を発したのはオルタナ様だった。

 不機嫌そうに𠮟しつせきされ、兵たちは慌てて青年を摑みにかかる。四方から迫る手に少しもひるむことなく、青年は不満そうに肩をすくめた。

「おいおい、ここはアウレスタ神殿だろう。悩めるまよい子には神の使つかいが救いの手を差し伸べてくれるのではないのか」

「日々大勢の信徒が救いを求めてこの地を訪れているというのに、正規の手順も踏まぬ無法者の願いを優先するいわれはない」

 うつとうしそうにオルタナ様が返せば、「ほう」と青年は口の端を持ち上げる。

「主席聖女殿は法を重んじるか。ならば、なおさら物見の聖女への処遇は改めた方がいいと思うぞ。それとも神殿の法は、弁護の機会も与えずに罪人をむちつことを良しとしているのか? これを諸国が知ったらどう思われるだろうな」

 思わぬ反撃だったのか、これまで仮面のように動かなかったオルタナ様の表情が、ぴくりと引きつった。彼女はけんしわを寄せると、神官服を翻して青年に背を向ける。

「つまみだせ」

「はっ!」

 更に兵が数を増やして、青年を囲んだ。数の暴力には抗えないらしく、「おいおいそこは摑むなよ」と文句を垂れながら、彼は荷物のように運ばれて行く。

 静かになった頃にはオルタナ様をはじめ列席していた聖女たちは姿を消しており、状況を飲み込めぬ私とそのほか神官たちだけが、議場に取り残されているのだった。

「……あれ、あなたの知り合い?」

 同じく置き去りになったミアが、ぼそりとたずねる。これに私は首を振った。

「ううん、知らない人」


 ──そう、私は知らなかった。これが私にとって、運命の出会いであったことを。

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