第2話

ヨウ

「――――!!」


スイちゃんパパ

「ただいまー……って、え? 皆してどうしたんだい?」


 ――玄関が開いた先に現れたのは、スイちゃんパパだった。


 スイちゃんママの制止を振り切って、スイちゃんが笑顔を取り戻すまで。頭に描いていたシナリオが今、激しい音を立てながら見るも無惨に崩れ去っていく。


ヨウ

「…………」


 僕は果てしない無力感に襲われた。


 まだ子どもだから、という理由1つで、自分が大切にしている女の子たった1人さえも助けられないことに。


 意気揚々としていた視線は自然と下を向き始める。


スイちゃんママ

「パパからも言ってやってください……この子たち今から外に出るって言っているんです! とか、交通事故とか……もしも2人に何かあったら」


 最悪の事態を思い描いて顔を青ざめるスイちゃんママ。

 大切なモノを失う辛さは僕も散々知っているから、その言い分は胸が痛いほど分かる。


 理解も納得もしているからこそ、心苦しさは感じている。


ヨウ

「…………」


 だが、どうしても今日のこの日、今のこの瞬間、僕はスイちゃんを何が何でもあの場所へ連れて行かなくてはならない理由があった。


 観察できる期間が決まっているアレは繊細が故に、今日を境に条件が厳しくなる。

 天気や時間、月明かりなど様々な要因が邪魔をするためだ。


 仮に今日以降、見られたとしてもその頃には手遅れ。

 何故なら、時間が経てば経つほどスイちゃんの心の傷は根が深くなり、完全に癒えることはなくなるから。


 観察の条件としても、スイちゃんの心情としても、今日でなければダメだ。


ヨウ

「…………」


 また、スイちゃんママが言っていた通り、天気予報では今日の夜遅くから大雨に。そのため例え今すぐ降らないとしても、時が経つにつれて雲で陰る可能性は確実に上がる。


 こうしている間にも、スイちゃんにアレを見せられない確率は跳ね上がっているのだ。文字通り、一分一秒を争っている状態と言えよう。


ヨウ

「…………」


 従って、今日のこの瞬間を逃せば、もうこの先二度とチャンスは訪れない。


 そして、それはスイちゃんがキラに罪悪感を抱えながらずっと生き続け、心の底から幸せになれないことを意味する。


 だから、僕はまだ諦めない。スイちゃんを握る手に力が籠もる。


ヨウ

「…………」


 俯いていた僕はなけなしの期待を胸に、スイちゃんパパを見上げる。


スイちゃんパパ

「そうか…………」


 だが、下から覗くスイちゃんパパの表情は芳しくない。


 そして、次の言葉が絶望への決定打となる。


スイちゃんパパ

「今から2人だけで出掛けるのは、さすがに……」


 時計の針の音だけがチクタクと玄関に響き渡る、重苦しい雰囲気。

 ”こんな時間に小さな子どもが出掛けるな”と、世界中が敵になって僕を責めているような気さえする。


ヨウ

「――――」


 スイちゃんパパを説得してからでは、トントン拍子で上手くいったとしても到底間に合わない。

 雲で陰るか、アレが終わるかどのみち無理な話。


 あるいは……とスイちゃんパパを押し退ける強硬突破も思い浮かべるが、幼稚園児が大人の男性をどうこう出来るほど世の中甘くない。

 万が一可能だったとしてもこの狭い玄関、閉じているドアを開けている間に捕まるのが関の山だ。


 心は割られ、折られ、砕かれた。


ヨウ

「…………」


 いつ倒れてもおかしくないほどに全身から力が抜けていく。

 彼女の笑顔を取り戻すために意気込んでいた表情、何があっても守ると誓っていた背筋、アレを見せるために勇み立っていた両脚。


 最後に、スイちゃんを連れ出すための手がスルスルと解ける。

 だらしなく垂れ下がった腕は、微かに震えるのみ。


 最後の希望が潰え、絶望となる。


ヨウ

「――――」


 ――また見たかったな。


 美味しいモノを食べた時に溢れ出るスイちゃんの満面の笑み。

 その後は決まって僕にもお裾分けをしてくれるほど彼女は優しいのだ。


スイ

「おいしー! ヨウくんにもコレあげるね、お裾分け!」


 遊んでいる時に楽しくてしょうが無いと身体中で表現する姿。

 たまに僕が苦手な虫を捕まえてきて驚かしてくることもあるけれど、悪戯が成功した際の小悪魔な笑顔もまた、彼女の魅力の1つである。


スイ

「えへへー、悪戯大・成・功!」


 そして、1日中遊んで疲れた時のスイちゃんの幸せそうな寝顔。

 僕の隣で安心しきっているのか、彼女の蕩けたような顔を見ながら、大きくてふかふかな布団で手を繋いで眠るのが、僕にとって何よりの幸せだった。


スイ

「…………」


 ――また、見たかったな……。


 拭いても拭いても、僕の目から自然と大粒の涙が溢れる。


ヨウ

「――――」


 ――もう見られないんだ。


 美味しいモノを味わったとしても彼女の頭を過ぎるのは、キラにも食べさせてあげたかったな、と後ろめたい気持ち。

 そして、僕にお裾分けするのは意思に反して沸々と湧く罪悪感からに違いない。


 遊ぶ時だって少しの間は楽しめるかもしれないが、ふとした瞬間にキラの事を思い出し、きっと我に返ってしまう。

 自分だけ遊んでいて良いのか、と誰にも言えずに独りで苦しむはずだ。


 緩みきって幸せそうだった寝顔は、酷く痛々しい表情に変わるかもしれない。

 キラが生きていた頃の夢を見ても、楽しいはずだった思い出が罪悪感で塗れ、悲しい思い出と化してしまう可能性だって十分考えられる。

 そうなれば悪夢が彼女を毎晩のように襲うだろう。


 ――もう、見られないんだ……。


 あの日助けてくれた僕の希望である君と、心の底から切望した未来は、もはや絶望的だった。


ヨウ

「    」


 身体の力は完全に抜け、立っているのがやっと。

 視界は涙でぼやけ、言葉はもう出てこない。


 完膚なきまでに諦めかけたその時、


スイちゃんパパ

「いや、少年たちよ――」


 スイちゃんパパは僕たちの顔、特にスイちゃんのを覗き込むと、僕の背中をバシっと叩く。


スイちゃんパパ

「――ほら、行ってこい!」


 弾き出された驚きと衝撃で、軒先で思わずたじろぐ。

 そのまま転びはしなかったが、自分が何故玄関を飛び出し、庭に立っているのか皆目見当が付かない。


僕・スイ

「「――――!!」」


 理解が追いつかないまま後ろを振り返ると、ニカッっと快活に笑うスイちゃんパパ。


 対照的に、大きな身体の後ろではスイちゃんママが大声で僕たちを引き留めようとしている。

 今にもスイちゃんパパをどこかへ吹っ飛ばして、僕たちを連れ戻さんとする勢いだ。


 心配が最高潮まで達しているスイちゃんママを背に、


スイちゃんパパ

「時間が無いんだろ? ママはパパに任せろ。その代わり……娘のことはヨウ君に任せた! ――死んでも守れ、よ」


 スイちゃんパパはグイッと親指を立てた。


ヨウ

「――――ッ!!」


 涙でグショグショになった顔を袖で拭い、続けざまに両頬にパチンとビンタして気合いを入れる。


ヨウ

「スイちゃんパパ……ありがと! スイちゃんは僕が絶対に守るから!!」


 僕は再度、スイちゃんの手を強く握る。

 今度こそは死んでも離さないと言わんばかりに。


 そして僕は、走り出す。


 ――スイちゃんの本当の笑顔を取り戻すために。

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