Episode1 梅雨と乙女心
1−1
〈初恋は実らない〉だなんて、一体誰がそんな悲しい諦めのフレーズを最初に言い出したのだろう?──。
*
街に小雨が降り注ぐ6月第1週の火曜日、時刻は20時40分を過ぎたところ。
「ありがとうございました」
店の名前が入る袋にノートやボールペンを入れ、シールで丁寧に封をしてから佐々木莉子は女性に笑顔で手渡した。
本店は市内で最も大きな鉄道駅がすぐ側にある駅前の大通りに所在する。
外観はかろうじて綺麗でも細部の老朽化が目立つ5階建ての本店ビルは、1階から4階までが店舗、5階は事務所と社員の更衣室だ。
1階は文庫や新書などの書籍売り場、入り口を入ってすぐの目立つ場所にはベストセラーや人気文庫がランキング順に陳列されている。
2階は様々な専門分野の専門書が並び、3階は文房具兼、雑貨売り場と、連絡通路を渡った向こうには芸術書物のコーナーとなる。中学、高校時代はここの文具売り場で頻繁に文房具や雑貨を購入していた莉子が最もお世話になった場所だ。
4階はアニメ、ゲーム関連の本やグッズ売り場と社員用の休憩室。
それぞれのフロアに売り場の店員がいて、莉子は3階の文具売り場で働いている。
文具売り場でバイトを始めて3ヶ月、だいぶ仕事にも慣れてきた。
間もなく閉店時刻の21時。そろそろビル全体に閉店のお知らせのメロディが流れる頃だ。
「じゃあこっちのレジ締めちゃおうか」
莉子の横に長身の男が立った。その瞬間、彼女の心臓がドキッと音を鳴らす。
「……はい」
男の顔を見ないようにしてふたつあるレジのひとつに向かった。莉子はレジ締めの手順を思い出して、先輩に教えられた通りに作業をこなす。
「佐々木さん、手際よくなったね。慣れてきた?」
男が後ろから莉子の手元を覗き込んだ。背後に感じる彼の存在が気になって顔が熱くなり、作業に集中できない。
「まだまだです。覚えることが沢山でなかなかスムーズにできなくて……」
「学校もあるから大変だよね。ゆっくりやっていけばいいよ」
莉子の作業のフォローをしつつ優しい言葉をかけてくれた彼の名前は竹倉純。文具売り場で莉子と共に働く青陽堂書店の正社員だ。
同じ書店の名前が入るエプロンをつけて同じ仕事をしていても肩書きは正社員、契約社員、パート、アルバイト……と、しっかり序列がある。
この書店の正社員雇用は大学卒業者のみだと、地元では当たり前に知れている。
高校生のアルバイト採用もない。だからバイトも高卒以上、今年ハタチになる莉子よりも年下のアルバイトは文具売り場にはいなかった。
本店で働いていると本店の話、他店の話、いろんな情報が耳に入ってくる。
正社員と契約社員の派閥の噂を耳にしては自分も来年には社会人にならないといけないなんてことはまだ考えず、社会は大変だなと年齢も肩書きも一番下の彼女は社会のヒエラルキーをのんびり傍観するだけ。
閉店後のレジ締めと売り上げ金を5階の事務所に持っていくまでの時間が莉子は好きだった。
3階文具売り場は3か所にレジと作業スペースがある。
ひとつめは雑貨レジ。
雑貨コーナーの隣にある小規模なレジ。客層は小、中学生、若年層の女の子が多く、プレゼントのラッピング注文が多いのはこのレジだ。
店員にはラッピングにおける器用さが求められるため、折り紙が得意な人間がこのレジに採用されやすい。おのずと女性店員が多め。
ふたつめは中央レジ。
ここは店の中央に位置する。レジの隣は筆記具やノート売り場のスペース。
唯一、レジがふたつあり、会計に訪れた客が最も多く利用する。客層は小学生から年配の方まで幅広い。サラリーマン、OL率も高い。
莉子の担当はこの中央レジだ。
最後は店の最奥に位置する芸術系のレジ。店員の間では3レジと呼ばれている。
画材売り場に近い3レジは基本的に画材を購入する客しか利用しない。このレジでボールペンやノートの会計をする客は滅多に見かけない。
暇そうに見えて画材や芸術の知識がないと客の対応ができず、その手の知識がある人間しか入れない特殊なレジであり、3レジ担当には必然的に美大生やイラストの専門学校生のアルバイトが集まる。
そしてレジ締め後は雑貨レジ担当と3レジ担当の店員も皆が中央レジに集まり、店内の掃除やすべてのレジの売り上げ金をひとつにまとめる。
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