8.さらさら
どうか、舟がさらさらと流れ行きますように、私の願いを叶えてくれますように。いつもなら、そう願って川へ笹舟を浮かべるはずだった。
けれど今日は、どうか舟が末までたどり着きませんようにと、相反する思いを胸にいだきながら、少女――愛花は笹舟を川に浮かべた。
清水の湧く、よく言えば自然豊かな土地、悪く言えば閉鎖的な田舎では、昔から伝えられた行事があった。
七夕の翌月、願いを紙にしたため笹舟に乗せ、川に流す。長く沈まず流れてゆけば、その願いが叶うというのだ。幼子から大人まで知る
笹舟は、笹を選ぶところから自分で行う。手ずから作ったその舟に願いを乗せるのだ。
村をあげての行事である。学校の図工の時間を使って、笹舟づくりが行われた。愛花も例にもれず、真面目に笹舟づくりに取り組んだ。長く遠く、川の果てに繋がるという海まで届くように祈りを込めて、大事に笹舟を作り上げた。
土台の舟ができたなら、次に作るのは舟へ乗せる願い札だ。自分だけの願いごとを書いて折りたたみ、笹舟に乗せるのだ。
願い札は筆で書くことが習わしだ。小筆を握ったまま、眉間にシワを寄せて愛花は悩むんだ。
神様が叶えてくれる願いごと。どんなことを叶えてほしいだろう。年に一度のお祈りの言葉を、内容を、愛花はゆっくりと考える。
周りを見れば、早くも書き上げたクラスメイトは周りにちょっかいを出したり、愛花のように悩んでいる子もいた。悩むのが自分だけでなくて、少しだけホッとする。
そうしてしばらく考えた上で、ゆっくりだがさらさらと、愛花は書き綴る。最後まで心のうちに残ったことは、ひとつだけだったのだ。
「あいちゃんできた? 願い舟」
そう机をのぞき込んできたのは、同じクラスの幼なじみ――智花だ。生まれた日も病院も同じで、今年、すなわち小学校四年生で初めて同じクラスになった。いろんなことをお互いに知っている友人だ。
「ん、できた。ともちゃんは?」
「じゃ〜ん!」
友人――智花が後ろに隠していた手を前に差し出せば、そこにはたしかに笹舟があった。
けれどもそこにはキラキラとしたモールやスパンコールなどの手芸細工が絡められ、見た目は大変派手だが浮かぶ予想が全然立たない舟だった。
愛花は少し口ごもる。思った通りを言っては嫌われてしまうのではないか。けれど、この舟が本当に浮かぶと智花は思っているのだろうか、そんなことをぐるぐると考えあぐねてしまう。
「ともちゃん、これ、流れる? 大丈夫かな……?」
「流れなくってもいーんだよ!」
愛花は智花の言葉に首を傾げた。
流れきらなくては願いは叶わない。願いを叶えてもらうために笹舟を流すのだ。それが、流れなくて良いとはどういうことか。
「私のお願いは私が自分で叶えるもん。神様に叶えてもらわなくってもいいんだ」
だから、流れないようにしたの。彼女はそう続けて言った。
「私は自分のお願い、自分で叶えたいって思うんだ。叶えてもらうんじゃなくって、叶えたいの」
その言葉に、愛花はズキリと胸が痛んだ。手の中にある願い札を、無意識に握りこんだ。
神様に叶えてもらいたいと思うこれは、どこか悪いことなのではないか。本当なら、自分で叶えないといけないのではないか。特に愛花が書いた、この願いだけは。
そんなことを、他ならぬ友人の言葉で思ったのだ。
願い札の中身は、他の誰にも見せてはならない。だから智花にも、この中身は見せることはない。見せられるわけもなかった。
「あいちゃんの、流れたらいいね!」
その言葉に、愛花は曖昧に頷くより他になかった。
願い舟流しの当日、結局作り直すこともできずに愛花は笹舟を持ってきた。隣にはきらびやかな笹舟を持った智花がいる。
村長の長々とした演説の後に、そっと笹舟を川へ浮かべる。流れに沿ってさらさらと、競うわけでもなく笹舟がゆるやかに流れていく。
智花の笹舟は案の定、程なくしてずぶずぶと沈んでいった。智花は早く沈んだことを喜んでいたくらいで、愛花はなおのこと、自分の笹舟が長く流れることをどこか後ろめたく思った。別に、彼女に悪いことは何もしていないのに。
愛花の笹舟を追いかけよう。そう言い出したのは智花だった。
「あいちゃんの願いごと、叶ってほしいもん!」
そう屈託のない笑みで言われ、断ることはできなかった。川沿いを沿って笹舟を追いかけていく。同じ素材を使ったものでも、自分の作ったそれはきちんと見分けがついた。
川を下るにつれて船は次々と沈んでいき、片手も残らぬほどになっていた。どこまで行くのだろう、と思った、その時だ。
川下から、酷い風が吹き付けてきた。それは子どもの脚を止めるどころか押し返すほどの強さで、愛花は隣の智花と互いに抱き合うように身を寄せ合って、吹き飛ばされないように河原へうずくまった。
風がおさまって閉じた目を開けば、川は変わらずに穏やかに流れていた。
ふと目を落とせば、足元に笹舟が落ちていた。愛花の作った笹舟だ。愛花はゆっくりと拾い上げる。
「残念だったね」
「……んーん、いいの。きっとね、神様が返してくれたの」
その言葉に、智花が首を傾げた。ふふ、と愛花は笑う。
「わたしも、ともちゃんといっしょ。このお願いは、自分で叶えたいって思ったから」
笹舟をそっと抱く。その願い札に書かれた言葉はひとこと。
あいちゃんとこれからも親友でいられますように。
この願いを神風で返してくれた神様に、愛花は胸の内で「ありがとう」と告げた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます