第38話 僕の知らない姉ちゃん


「何、してるんだよ姉ちゃん」


 部屋に入ると、そこにはマオの首に刃を突き立てようとする姉ちゃんの姿があった。


「ユウ、君?」


 こちらに振り向く姉ちゃんの顔は、見たことのないほど鬼気迫る表情で、血走った目と荒い息から姉ちゃんが今本当にマオを殺そうとしていたことが分かった。


「何してるんだよ」


 そう、分かったからこそそんな言葉しか出てこない。

 

 目の前の姉ちゃんは、僕の知っている姉ちゃんじゃなかった。


 僕の姉ちゃんはお人好しで、世間知らずで、時々暴走するけど努力家で、結構泣き虫で、格好いいものが大好きで、天然で……血の繋がっていない他人であるはずの僕を家族と呼んでくれて、命懸けで救ってくれた人なのだ。


 人殺しなんてできる筈がない……そんな人なのに。


「ユウ君、ち、違うの。これは、えっと、その。私はユウ君のために」


「僕のためって何だよ。僕のためなら友達でも姉ちゃんは簡単に殺すのかよ!」


「ち、ちがうよ!? でも、こ、これは」


「何だよ! 何言ってるか分かんないよ!! はっきり答えてよ!」


 訳のわからない状況に僕は声を荒げると、姉ちゃんはびくりと肩を震わせる。


 そんな様子に、マオはため息を一つ漏らすと。


「いい加減、観念したらどうだアンネよ。お主にだって何か理由がある事は……」


「!! いい加減黙ってマオちゃん!!」


 宥めようとするマオに向かって姉ちゃんは叫ぶと、手に持った杖を振りかぶる。


「!!っ姉ちゃ……───えっ?」


 どこかで、本気で姉ちゃんがマオを殺すはずがないと思っていた。


 だからこそ……情けない話だけど、僕は目の前で本気でマオを殺そうとする姉ちゃんを、ただただアホみたいに見つめることしか出来ないでいた。


 そう、だから。


「!!!!!?」


 その時マオを守ったのは僕じゃない。


 僕の中にいる別のナニカが、マオを姉ちゃんの手から守ったのだ。


「な、何……これ」


 

気がつくと、僕の右腕は姉ちゃんが改造した怪物の腕に変わっており、マオの首に突き立てられようとしていた姉ちゃんの仕込み杖の刃を、その爪で阻むように受け止めている。


 咄嗟に体が動いた……なんてものではない。


間違いなく僕の右腕は、その時自分のものではなくなっていた。


ずるりと、僕の右腕を這うようにナニカが体の奥に溶け込んで行く。


「……そうか、死してなお妾を守るか。ヴォルフェウス」


 そんな中、マオは僕の腕を慈しむように撫でて知らない誰かの名前を呼んだ。


 何が起こっているのか、全く理解が追いつかない。


 追いつかないのだが、この腕は僕のものではない誰かのものなのだと言うこと。


それだけは否が応でも理解してしまう。


──────自分の中に、ナニカがいるという現実を認めてしまう。


「うっ……」


思わず吐き出しそうになる。


一体自分はどうなってしまったのか。


 訳がわからなくて、ただ怖くて。


 僕は姉ちゃんを……この腕を与えた人を見つめる。


「ユウ君……えと、その……違うの。これは、本当に殺すつもりじゃなくてね、だから……」


「どう言う事だよ姉ちゃん……この腕は何なんだよ……僕に、何をしたんだよ」


「な、何って……大袈裟な、これはただユウ君を強くするための改造なの、だから……」


こんな状況だと言うのに、姉ちゃんは笑いながら僕に近づいてくる。


「っ……く、来るな‼︎」


その笑顔を……僕は生まれて初めて怖いと感じた。


「ユウ……くん?」


この部屋に入った時から、僕の知っている姉ちゃんはどこにもいなかった。


マオを殺そうとする姿も……笑いながら、こちらに近づく姿も。


 何一つ、僕の知ってる姉ちゃんじゃない。


 まるで、姉ちゃんの姿をした何かが迫ってくるようで。


 唯々ソレが怖かった。


「お前は、一体何なんだよ……マオを殺そうとして、僕に変なもの植えつけて。お前は姉ちゃんを、姉ちゃんを何処にやったんだよ」


「な、なにを言ってるのユウ君? わ、私は貴方の」


「こんな、こんな事する奴……姉ちゃんなんかじゃない……」


「!!!!!」


 目の前の怪物を思わず拒絶する。


 本当は、偽物が化けているわけでも、幻術でも夢でもない事ぐらい分かっている。


 これは本物の姉ちゃんで、全部姉ちゃんがやった事だって理解もしていた。


 だけど信じたくなかった。


 信じてしまったら、研究所から助けてくれた優しくて誰よりも強くて格好いい僕の英雄(姉ちゃん)が居なくなってしまいそうで。


 だから、僕は姉ちゃんを否定した。


 否定してしまった。


 本当は、僕だけは姉ちゃんの味方でいなければいけないのに。


 僕は姉ちゃんを裏切ったのだ。


「あ、ちが・・・・・・」


 ───自分の過ちに気づいた時にはもう遅かった。


「……………………」



 そこにいたのは、僕の知っている姉ちゃんだった。



僕が姉ちゃんに呪いをかけた日に見せた、絶望と後悔に染まった表情。

 

 もう二度と、こんな顔はさせないと誓ったのに。

 僕はまた、同じ事を繰り返してしまった。


「姉ちゃん、違……」


 慌てて発言を取り消そうと僕は姉ちゃんに駆け寄ろうとするが。


「……っ!!」


 姉ちゃんは僕から逃げるように、崩れた窓から外へと飛び出す。


「姉ちゃん!!」


 慌てて姉ちゃんを追いかけようと外に飛び出すも、姉ちゃんの姿はもう何処にもなく。


 夜に飲み込まれていく黄昏時の街を、僕は呆然と眺めていることしか出来なかった。

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