偉いってなんだ

@Teturo

第1話 ジーサンとの出会い


 ピーヒョロヒョロ


 山から吹き上げてくる上昇気流に吹かれて、トンビがクルリと輪を描いた。トンビが見降ろす山の間の河原には、ビックリするくらい水の綺麗な川が流れている。石ころだらけの河原に菜の花が揺れていた。

 菜の花の近くに寝そべって、少年がトンビをボンヤリと見上げている。軽くクセの付いた髪も風に揺れていた。菜の花の次に、彼の鼻に停まろうとしたモンシロチョウを追い払うと、少年は起き上がって大きく欠伸をする。


 俺、ケンタ。小学2年生だ。走ったり、給食を食べるのは大好きだけど、勉強は出来ない。授業中は死んだように大人しいけど、休み時間や放課後は生き返ったように元気になるなって、よく先生に言われる。


 通信簿を持って帰るたびに、カーチャンがため息をつく。

「偉い人になってもらわなくてもいいから、せめて普通の人になって欲しいな」

「偉い人ってなんだ?」

「東大を出て、官僚になったり、大きな会社に務める人のことだ」

「普通の人って?」

「ウチのトーチャンみたいな人よ」


 給料は安いし呑んだくれだけど、浮気はしないし真面目だからねと、カーチャンは独り言を言う。トーチャンは苦笑いするだけだ。

「子供は元気が一番。さぁ、風呂に入ろう」


 ウチの風呂は外にある。薪を炊いて沸かす五右衛門風呂だ。山から湧いてくる水を、パイプを使って釜に溜める。たまに水が出なくなって、パイプの中を覘くと、大きなカニが詰まっていたりする。それを見た東京の従兄弟が、

「田舎ってすげーな」

 と感心する。東京の方が凄いと思うけど、まぁ、ここはここで良い所だ。


 トーチャンと入った風呂場で髪の毛を洗っていると、カーチャンも入って来た。急に俺の耳の裏をゴシゴシ擦られて、悲鳴を上げる。

「泡が目に入るだろ!」

「いつもここを洗っていないケンタが悪い」

 カーチャンはキッパリと言い放った。俺を睨みつけながら、腕を組む。

「それから、あの家には寄り付いていないだろうな?」


 最近、近所に知らないジーサンが引っ越して来た。ボサボサの白髪頭で白いチョビ髭を生やしている。鼻の頭が赤くて、いつも驚いたように目を丸くしていた。俺が住んでいる地域は住人全員、親戚みたいなものだから、知らない大人が住み着くことは珍しい。

「あそこの家には近づくんじゃないよ」

 カーチャンは言う。ジーサンは得体の知れない風貌だったし、何週間も家を空けることがあった。何だか怪しい外人も出入りしてるらしい。

「あそこの家の近くで早朝に黒人の大男を見て、驚いた近所の人が駐在所に電話を入れたらしい」

「昭和初期じゃあるまいし、いつの時代の話をしているの?」

 カーチャンの話にトーチャンは眉を上げた。みんなで入る風呂は最高だ。サッパリするし温まる。でも夜は、まだ一寸冷えた。夜空に浮かぶ沢山の星も寒そうだ。



 もう少しで梅雨になる良く晴れた日。俺は一人で近所の河原に川遊びに行っていた。やっと水が緩くなって、ヤマメやイワナが取れるようになる。大人は釣りで取るが、俺たちは素潜りとモリで取る。

「この川ガキが! 漁業権を知らんのか!」

 たまに他所から来た大人に怒鳴られるが、そんなもん知らん。大体、俺たちを追い回す大人で、釣りの上手い奴なんて見たことがない。そう言う奴に限ってタバコの吸い殻や、弁当カスをそこらに捨てて行くんだ。

「聞いているのか! どっかへ行け」

 今日のメガネの大人はしつこかった。河原から石を拾って、こちらに投げつけて来る。きっと全然釣れずに頭に来てたんだろう。


 カツン!


 何個目かの石が、俺の水中眼鏡に当たった。メガネは更に大きな石を拾って、俺に投げつけようとしている。ちょっとヤバイ。


「まぁまぁ、そんなに怒らなくても」

 顔を真っ赤にしているメガネに声をかけたのは、白髪頭のジーサンだった。何かを小声で話すとメガネは、そこらに唾を吐いて、どこかへ行ってしまった。


 プリプリ怒ったメガネの姿が見えなくなった頃、ジーサンは苦笑いをして俺を見た。

「もう大丈夫だから、一度上がって来なさい」

 確かにメガネが居る時に上がったら、追いかけ回されていたかもしれない。俺は河原に上がった。

「ありがとうございました」

「おお。素直な子だな。何か獲れたのかい?」

「これ!」

 腰につけたビクをジーサンに差し出す。

「ヤマメか。綺麗だな……」

「綺麗だし、美味しいよ!」

 そうかそうかとジーサンは、ニコニコ笑っている。

「どうやって、あのメガネを追い払ったんだ?」

「追い払ってはいないが…… この先にもっと釣れるところがあると教えて上げただけだよ」

「ふーん」

「頭ごなしに子供を追い払おうとする、彼も大人気ないが、きっとたまの休日に遠くから、釣りに来たのだろう。君にとっては、いつもの遊び場なのだから、釣り場をチョットくらいは譲って上げてもいいかもな」

「ジーサンは俺のこと知ってるの?」

「ああ、近所の子供だろう。宜しくな」

「俺、ケンタ。宜しく!」


 ジーサンは笑った。大きく開けた口の前歯が一本かけていた。

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