猫ノ目書房のなつやすみ
佐久良銀一
第1話 黄昏時に影を拾う
【文披31題】DAY1 テーマ「黄昏」
それは入り浸っている猫ノ目書房からの帰り道。
夕暮れで金色に輝く川が見える河原に立つぼんやりと浮かぶ黒い大きな影。
気のせいであってほしい、見間違いだ。
そう言い聞かせて素通りしようとすると、子供に向かって赤い舌を伸ばしているのが見えてしまった。
思わず近くの石を掴むと、人には当たらない事を確認してすぐその脳天と思われるところめがけて投げつけていた。
「痛って……!」
人間味溢れる言葉と同時にギロリ、と赤い三つの光がこちらを見る。
位置的には目、だと思われるそれは俺の方を見ていた。ぐるり、と首を曲げ過ぎなほど傾けて俺の方を揺れながら見つめている。
ぎゅぅんと体を伸ばして俺の目の前に赤い目が来る。
ああ、やばい、やっちゃったなぁ。
人生はもう投げ出す気満々だから別にいいか。
なんて考えている間、黒いそれは横に揺れながらずーっと様子を見ていた。
徐々に人型に近づいて、赤い2つの瞳で俺を見ていた。
「……もうちょっと驚いたりしないの、キミ」
真っ直ぐに見つめられて普通に話しかけられて、どう返したら良いか分からなくて黙る。
いや、まあ、会話自体がして良いものだとも思っていない。
「話しかけてるんだから会話ぐらいしてくれてもいいんじゃないの? 舐めちゃうよ? 食べてもいいんだよ?」
「……会話したら食べないんですか」
「ワァイシャベッタァー!」
なんだこいつ。
色んなヤバいものには遭遇してきた方だけどなんだこいつ。
久々に別の意味で面倒くさい、と考えていると身体を稲穂のようにゆったりと左右に揺らしながらにっこにこで言う。
「ねぇねぇ、面白いところに心当たりない? オレ退屈してるんだけど」
本気で面倒くさいぞこいつ。
口に出すのだけは抑えて、先程出てきた店が頭をよぎる。
今のところ機嫌は良さそうだし、話が通じそうなうちに交渉を試みる。
「古書店でよければ、心当たりが」
「……本屋、だっけ?」
「はい」
「そっか。いいね。お話が一杯あるってことでしょう。そこでいいよ、連れてって」
手を繋げというのか。
差し出された手を握るのを躊躇っていると、横揺れと止めて俺を見つめた。
「何もしないから握って欲しいな。オレこのままだと夜に紛れちゃうかもしれないから」
紛れてくれたら楽なんだが?
それはそれで別の人が巻き込まれるかもしれない、と良心が働いて覚悟を決めて普通の人間の形をした真っ黒な手を握る。
すると、嬉しそうに身体をふたたびゆったりと左右に揺らしながら笑う。
「ありがとう。じゃあ、連れてって」
それで済むならまだいいのかもしれない。
もしかしたらテンチョウが対策を知っているかもしれないし、と渋々歩き始める。
すると、嬉しそうにゆったりと揺れながら楽しげな足取りでついてくる。
店の前に着くと、薄い興味が漏れ出るような視線で看板を見ていた。
「アァー……この辺り、だったのか」
「おや?
「あーらら、出来たら出会いたくなかったんだけど。どーも」
「知り合いですか?」
「ははは、珍しい男を拾ってきたね、優史くん。彼のことはよく知っているとも」
「ここだと知っていたらお前の事食べちゃってたのに」
「あははは。知った上で一口でもつけたりしたら、私はお前を捻り潰してしまうよ、葉」
「ただの客かと思ったら、想像以上にお気に入りなんだ、この子」
何故かここで手をギュッときつく握りなおされる。葉と言うらしい。
「そう、私のお気に入りだから、その汚れた手を離して貰おうか」
「オレの手は汚れてるんじゃなくて黒いんだ!」
「似たようなものだろう。彼に触っていいわけじゃあない」
「絶対に離してなんかやらないぞ」
「ほう、いい度胸じゃないか」
テンチョウの笑みに含みが込められたことに気づいて思わず間に入る。
「そこまでしてくれなくていいですから」
「おや、何故か情でも湧いたのかな。君が思うよりずっと小汚い生物だよこれは」
「ッ……!」
目に涙をためているのがなんとなく可哀想に見えてしまって、利用されている気がしても言葉が止まらなかった。
「人間を襲おうとしてたのが見えたから止めただけで、別に何もされてないですから」
「これからも襲わない保証はないよ優史くん。どうせ退屈だから何か教えろとでも言ったんだろう、ワンパターンだからね」
顔を赤くしながらぷるぷると震えている。
テンチョウとこの人……人でいいのか? は相性が悪い、
「さっさとその手を離してばっちいものとの関わりは切ると良いよ。キミだけなら一晩ぐらい泊めても良い、そろそろ陽も落ちてきたし」
手を離す、と言った直後に俺の顔を見る。
こういう存在にも甘いのはよくないとは、思うんだけど。
「いや、別に。大丈夫です」
「……なら、陽が落ちる前に帰ったほうが良いよ。それは闇が広がる程邪悪になるから」
「わかりました、じゃあ」
「うん、またね優史くん」
にこやかに、だが圧の強くなったテンチョウから逃げるように手を繋いだまま歩き出す。
えっ、と困惑の声がするのも気にせず進んでいく。改めて空を見上げると、世界が金色に輝くような時間が終わりを告げようとしていた。
夜が迫っていて、どこで別れようかと迷っていると曲がり角に差し掛かる。
不意に飛び出してきた別の黒い物体を、葉が――人型では無くなった彼は頭から伸ばした何かを大きく降って遠くへ打った。
「……今」
「あれは、キミが触ると良くないヤツ」
「助けてくれたんですか?」
「別に、身体を動かしたかっただけ」
赤い三つの光を持つ黒いもやもやは、ゆったりと左右に揺れている。ご機嫌の時に揺れるのだろうか。
「そう……行き先はあるんですか?」
「特に無いよ。適当に人をつまんで適当に生きてる」
少し機嫌が悪いのか、揺れが控えめになった。退屈なのかもしれない。
「……摘まむのやめて貰ってもいいですか」
「やだ。他に楽しみがない」
「楽しみがあれば良い?」
「ウン」
そう言うとまたゆったりと左右に揺れ始め、徐々に人型に近づいていく。壁一点を見つめていて、どうしたのかと思ってみると、そこにはポスターがあった。
「夏祭り、月末にあるんだ」
「あ、ああ……水上神社でありますよ」
そういうと横揺れをやめてぐるぅんと人型から影に近づいて身体を横向きに丸くする。何か考えているらしい。しばらく経った頃、ポツリと彼は呟いた。
「夏祭りまで、キミが一緒に遊んでくれたらその間は大人しくするよ」
「それはありがたいですけど……その間どこで過ごす気ですか」
「キミんち」
ああ、やっちゃった。
ぐるぅんと身体を丸めたり、ゆったりと横揺れしながら人型と影を行ったり来たりする。
黄昏時に出会った何かと、俺は一ヶ月過ごす事になった。
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