矢神秀人の葬送

@syusyu101

《ファンアウト》

 雨が降る交差点。

 信号機の傍らに、缶ジュースが一本置いてある。

 子供が飲むような甘ったるいジュース。

 お供え物だ。

 昔は花束が置いてあったり、缶ビールが置いてあったり、お菓子の類も山と積まれた物だが、今となっては週に一度、ジュースが一本置かれるだけ。

 人々は、この場所で起こった事故を忘れつつある。

 五年前のバス転覆事故。

 十数名の乗客。

 生存者は二人だけ。

 残りは火に巻かれて、顔も分からない死体と化した。

 人は、それだけ凄惨な出来事も忘れられる。


 幼い子供を亡くした親と。

 事故を起こし、虐殺を行った犯人以外は。


「お待たせしました」


 背後から声を掛けられる。

 振り向けば、そこには少女が立っている。

 黒衣。

 大きな傘。

 黒い髪は若々しい瑞々しさに溢れ、その顔立ちも幼く愛らしいのに。

 語り掛ける声と、微笑むその表情には成熟された妖艶さが滲んでいる。


「……今来た所だ、とは言わないよ。プランナー」

「当然です。あなたを待たせ、この交差点を見つめさせる事もプランの内ですから」

「悪趣味だな」

「ふふ。昔からよく言われます」


 何十、何百という人間を転がした愛らしい笑みを浮かべる少女。

 “プランナー”都築 京香。

 千年以上は生きている、少女の姿をした化け物。

 とある業界の元締めをしている彼女が、この雨の日に、僕をこの場に呼んだのだ。


「悪いけど、貴女の依頼を受けるつもりはない」

「おや、中身も何も告げていませんが?」

「報酬は良いだろうさ。貴女が出るならゼノス直々の物となるだろう……でも、僕は普通の私立探偵だ。UGNでもFHでもない」


 煙草に火をつける。

 この交差点に漂って、鼻から離れない死臭を外に追いやるように。


「……もう『シナリオ』に関わるのはごめんだ」

「不可能な話です」


 拒絶の意思を示しても、彼女は、傘を揺らしながら歩み寄って来る。

 ヤニの臭いは彼女の香りで掻き消され、甘い良い匂いと、濃厚な死の気配が心臓を打つ。

 小さな口が開き、簡潔な言葉が紡がれる。


「あなたはプライメイトを殺した」


 雨の騒めきの中でも、彼女の声は良く通る。

 優しい声音。にこやかな表情。

 けれど、発する言葉と込められた意志には明確な殺意がある。


「元の無力なあなたならまだしも、神殺しですよ?」

「……二年も前の話だ」

「ですが、UGNのデータベースには未だにあなたの名前が残っています」


 殺意が籠った声には、割れる音が含まれていた。

 幻聴だ。

 実際には存在しない振動。

 人間に聞き取れる音じゃあない。もっと運命的で、理解しがたい何か。

 残念ながら、僕はそれに聞き覚えがあった。

 昔、この交差点で聞いた。

 力を解き放つ瞬間。

 バスが倒れる音。

 ガラスが割れて、爆ぜて。

 炎の中からたった一つ立ち上がる、異形の姿を見た。

 あの時、たしかに聞いた音。


「“銀の弾丸ワイルドカード”矢神 秀人」


 そう。

 日常が崩壊する瞬間の、音。


「あなたに、Planner Case1『不確定な切り札』の残滓。

 彼が撒いた災厄。

 レネゲイドビーイング化した『遺産』の回収を依頼したいと考えています」


 交差点を挟むビルの上には僕を見下ろす白刃の煌めきがあり。

 近場のカフェからは、真っ赤な宝石を首から下げた女子高生が見つめている。

 完全な包囲。

 自分たちが立つのは薄氷の上で。

 その下には、膨大で、広大で、混沌とした闇が広がっている事を思い出させる。

 いつだったか、僕が唯一認めた人間が言った言葉を思い出す。


『世界は既に、変貌していた』


 きっかけは五年前。ある日起こったバス転覆事故。

 秘められた力は覚醒してしまい。

 隠された真実が牙を剥いた。

 ずっと日常が続くと、そう思ってしまったが故の末路。


「いかがですか?」


 愛らしく首を傾げる少女。

 それに背を向けるだけの勇気を、僕は既に失くしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

矢神秀人の葬送 @syusyu101

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ